第48話
誉が起き出したのは、夕方近くになってからだ。
鹿島屋が狩野と契約して使っている『絵』が、洸次郎宛の手紙を持ってきたとき、弾かれたように跳ね起きたのだ。
「なんだ……狩野さんの絵か」
動く絵の気配を察知できるあたり、誉もみどりやクモのように絵を出現させる絵師なのだと、洸次郎はぼんやり思った。
「驚かせて、すみません。急ぎのやり取りがあったので、郵便ではなく動く絵に頼ってしまいました」
「いえ、僕の方こそ……これではいけませんね。平静では、いられなくなっちまった」
誉は苦笑した。爽やかな雰囲気は健在だが、わずかに訛っていたことに気づいていない。
「お絹さんは、お仕事に行きました。みどりさんは、お弟子さんの稽古に。クモさんは絵に集中しています」
「寝ていたのは僕だけでしたか」
「ええと……俺も、寝ていたようなものです」
洸次郎は、緑埜橘平の工房を手伝う際の日程や何やらを手紙でやり取りしていた。郵便の方が制度がしっかりしているのは明らかだが、こういうときは『絵』に手紙を運んでもらうのは大変便利だ。
「夕飯、つくります。『とっちゃなげ』でも良いですか?」
「とっちゃなげ?」
「信州には、ねえですか」
「ねえなあ……あ」
誉は、恥ずかしそうに片手で顔をおおった。
「洸次郎さんと話していると、国の言葉が出ちまうんですよ。みどりさんには内緒にして下さい」
「わかりました。でも、みどりさんは誉さんのことを嫌いにならないと思いますよ」
みどりが誉に送る目線を思い出し、洸次郎は小声で続ける。
「誉さんとみどりさん、お似合いだと思いますが……あ、でも、誉さんは」
「独り身です。いや、でも、俺なんかにあんな素敵なお嬢様は勿体ねえし、こんな一回り年上のおっさんを相手にしてもらうわけには……」
「誉さんは全然おっさんじゃねえですし、みどりさんとは一回り離れてねえですよ。六か七くらいじゃねえですか?」
「でも、やっぱり……」
ただいま帰りました、と澄んだ声が帰宅を告げた。
「みどりさん、お帰りなさいませ。お絹さんも、お仕事おつかれさまです」
「コウ殿、お留守ありがとうございました」
「とんでもないです。誉さん、起きましたよ。皆さんで夕飯にしましょう。『とっちゃなげ』つくりますね」
「コウ殿、ありがとうございまする!」
昼間と打って変わり、冷え込む夜。『とっちゃなげ』で温まった誉と絹子は、浅草の自宅にそれぞれ帰っていった。
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