第45話

 ひゅっ、と、絹子の咽喉に変な風が入った。

「お絹、あんたのせいじゃない。だから、自分を責めないで」

 誉が絹子の背中をさする。絹子は、背中を丸め、涙目で頷いた。

「僕の母親は、僕の眼の前で息を引き取りました。ですが、母の『絵』は帳面から抜け出し、お絹の旦那と妾の子を……殺してしまったのです。今年に入って、すぐのことでした」

 『絵』に詳しくない洸次郎さえ、そこ状況を想像して、ぞっとした。みどりも、膝の上で組んだ手が震えている。

「帳面と筆を焼いても、葬儀をしても、祈祷しても、母の『絵』は消えません。お絹か僕に危険が迫ると、母の『絵』は現れ、危害を加えると思い込んだ相手を殺そうとします。モノであろうと、人であろうと、構わない様子でした。これ以上、母の『絵』を野放しにすると、何が起こるかわかりません。僕の『絵』のチカラを使って、母の『絵』を消滅させることに決めました。しかし、母の『絵』はなかなか消滅させることができず、気づけば、蔦の絵と雅号の目撃情報が多数寄せられてしまいました」

 誉は、大きく息を吐いた。

「誉殿、横になりましょう」

「いいえ、大切なことを話していません。雅号のことです」

「狂斎」

「大変申し訳ないことをしたと思っています。戸隠神社の龍神様の絵をお描きになった大先生の雅号を勝手に使ってしまった。僕の『絵』は、武将や妖怪などいかにも強大なチカラを持ちそうなものしか出現しないのです。しかも、父が僕にくれた雅号でなく、『狂斎』でないと帳面に収まってくれない。本当に申し訳ありませんでした」

 誉は、ふらふらと頭を下げた。

「事情を聞けば、致したかないことやもしれませぬ。しかしながら誉殿は、動く絵を酷使していらっしゃるとお見受けします。誉が出現させた絵は、たいらの維盛これもり。お母上様の絵は、鬼女紅葉でございましょう。どちらの絵も、チカラが大き過ぎます。このままでは、誉殿は……」

 みどりは言いかけた言葉を飲み込んだ。

「今日はうちでお休みになって下さいませ。医者の不養生は良くありませぬ」

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