第32話

 みどりとクモを見送り、絵の子犬二匹に見つめられ、洸次郎は何とも言えない微妙な気持ちになった。

 寝ていて下さいと言われたが、家主達は使命のために出向き、絵である犬に注視され、就寝する気になれなくなってしまった。

 月の明るい深夜。縁側に腰かけ、昼間来たという手紙を開いた。上州の友人、平井羊右助ようすけからだった。あんな不可解な形で上州を離れてしまったから、詫びも兼ねて先月のうちに洸次郎から手紙を送っておいた。その返事である。

 手紙の文章を羊右助の口調に直すと、以下のような内容になる。



 洸次郎さん、手紙をありがとう。洸次郎さんの筆跡だとわかったら、生きていてくれてたことに安心しました。

 こんなことを伝えて良いのか迷ったけど、隠すのも良くないので書きます。

 爺様や両親は、まだ洸次郎さんのことを責めています。俺の娘の「るり」にまで毎日のように、洸次郎が悪人であると吹き込んでいます。るりは聞きたくないみたいで泣いてしまうけど、叱り飛ばして最後まで話を聞かせようとします。そのたびに俺は両親と喧嘩してまで話を止めようとして、毎日喧嘩が絶えません。

 それでも、俺は洸次郎さんの無実を伝えます。あのとき両親達も俺と同じものを見ていたのに、極限まで歪んだ見方をしてそれを吹聴するなんて、俺は許せない。このままでは洸次郎さんだけでなく、小塚村の者達も浮かばれない。皆、まだ行方不明のままです。

 町田先生達がいれば、少しは状況が良くなったかもしれないのに。町田先生も、児玉の木村先生も、星野様も、フランスの博覧会に行ったままです。十月の終わりに出発するみたいなので、日本に帰ってくるのは冬になります。

 上州は麦蒔きの準備をしています。洸次郎さん、生きててな。



 子犬二匹が洸次郎の膝に上り、手紙を覗き込む。

 洸次郎は夜空を仰いでしまった。隠し事ができないのは羊右助らしいが、自分が羊右助の立場だったら伝えるだろうか。自分だったら、すぐには伝えず、後で発覚して責められるかもしれない。

 子犬二匹は、まるで生きている犬であるかのように、洸次郎にくんくんと鼻を擦り寄せる。洸次郎にはそれが、泣かないで、と言っているように見えた。

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