第二章 狂斎を騙る者

第26話

 高く晴れ渡った天を小気味良い音が割き、白球が舞う。

「あああ! ずるうございます!」

 バットという木製の棒を持った、みどりが、打席でぴょんぴょん跳ねた。それが、みどりが地団駄を踏みたいときの動作だと洸次郎が知ったのは、先月末。月見団子の最後の一個を兄のクモに食べられてしまったときだ。

「兄上には、慈悲というものがないのですか!」

「そんなもの、月見団子と一緒に食っちまったよ」

 投手を務めるクモは、慣れた風で妹をあしらう。

「はいはい、三振したんだから、打者交代。妹よ、ご苦労さまでした」

「むう」

 みどりは頬を膨らませて打者席バッターボックスから下がった。足元は、素足だ。

「みどりさん、足を休めましょう」

「コウ殿はお優しいですね」

 洸次郎がみどりに手拭いを渡し、足元に草履を置くと、みどりは瞳をうるませた。洸次郎は何も突っ込まないが、みどり達の優しさには心の底から感謝している。



 郷里を襲ったモノから逃げて帝都に来たのがきっかけで洸次郎は、みどりとクモという画家に命を救われた。

 それだけではない。動く絵を描き、モノを退治するふたりは、洸次郎を襲ったモノに関心を持ち、洸次郎の郷里である上州小塚村にわざわざ赴いてくれたのだ。

 モノは退治されたように見えたが、安否不明だった村の住人は、未だに見つかっていない。ただ、妻の幽霊のようなものを見た洸次郎は、悟ってしまった。悟った内容は、とても口外できるものではない。その上、隣村の人達から迫害同然に追い出され、また帝都に来てしまった。

 何も言わず抜け殻のようになってしまった洸次郎に、みどりもクモも根掘り葉掘り訊くことはなく、後援者のような鹿島清兵衛は弟のように洸次郎にべったり甘えてくる。

 みどり、クモ、清兵衛のお蔭で、洸次郎は帝都で暮らすことができている。根岸大根畑の家に居候の身ではあるが。

 そんな洸次郎は、みどりと一緒に上野の球場で、大学予備門の学生達と野球をしている。



「わしのターンぞな!」

 やたら元気に打席に立ったのは、と呼ばれている男だった。

「のぼさん、無理すんなよ!」

「また血反吐を吐かれちゃかなわんからな!」

「よっ、変態現象!」

 のぼさんは仲間に激励され、バットを素振りする。

 洸次郎は、ちょこちょこやってくる男児に気づいた。小綺麗な身なりをしており、歳の頃は息子の愛太郎と同じくらいだ。

「あんた、親父さんは?」

 村の子どもと接したときと同じ感覚で男児に話しかけたが、男児は答えずにどこかへ行ってしまった。「若様」「ぼっちゃま」と世話人らしき大人が男児を追いかける。

「洸次郎さん! 次!」

 一塁を踏んだ、のぼさんが声を張る。

 洸次郎は打席に立ち、バットを軽く振った。左手に力を入れた方が振りやすい。

「かっとばせー! 折茂おりも!」

 クモが球を投げる。それを見た洸次郎は、バットを思い切り振った。

「ふあー!」

 謎の声が体の奥底から湧き出て、仰向けに倒れた。秋晴れの宇宙にバットが舞う。

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