第20話
翌朝、早いうちに熊谷を出発した。
「洸次郎殿、昨夜は休めましたか?」
みどりは、鋭い。良眠していたのではなかったのか。洸次郎がなかなか寝つけず、うとうとすればモノの記憶を思い出していたことに気づいていたのか。
「……休めました」
「顔色が悪いぞ」
クモにも指摘され、洸次郎は返事に困った。
「ゆっくり行きましょうぞ。健康第一でございます」
みどりは鼻歌を歌いながら歩みを進める。
畑仕事で培った体力なら帝都の人に負けないと思っていた洸次郎は、予想外の暑さと疲れ具合に自己嫌悪になりそうだった。昨夜寝られなかったことが、体調に響いている。
本日中に頑張って上州に入るつもりだったが、本庄に泊まって早めに休むことになってしまった。
「本庄宿はその昔、新選組が火を放った所だと言われていたそうですね」
宿を二部屋借りたのに、みどりは今日も男子の部屋に居座ろうとする。
「そうらしいな。どこまで真実かわからんが」
「藤田様も新選組にいらしたのでしたよね。ご存知なのでしょうか」
「どうだかな。案外、京都で加わったクチかもしれねえぜ」
「藤田様……この間の警察官のかたですか?」
新選組って何ですか、とも訊けず、会話に加われない疎外感にも耐えられず、洸次郎はふたりに訊ねた。
「ええ。二十年以上前、まだ大樹公が世を治めていた頃に、藤田様は京都の治安を守る新選組にいたそうです」
みどりが新選組の説明をしてくれて、洸次郎は助かった。そして、藤田が大樹公……幕府側の人間だったことにも驚いた。洸次郎のいた小塚村は、幕府とその
敵の戦いなぞ気にする余裕もなく、養蚕と畑仕事に明け暮れていたと、洸次郎は思っている。幕府と政府の話をする人が誰もいなかったのだ。誰それが戦に加わった、という話も聞かず、戦死した人もいなかった。
上州という視点で見れば、小栗上野介忠順が幕臣であり、処刑されているが、小塚村に影響は出ていない。県令の楫取素彦が上州で様々な政策を行い、功績を残したらしいが、小塚村はその恩恵を受けていない。小塚村は、世間に疎い地域であった。
「薩長ばかりで肩身が狭いんじゃねえか」
「今もそうやもしれませぬ。それなのに、モノに関わる事件も請け負って下さり、頭が上がりませぬ」
「ほんと、それ」
兄妹仲良く談話し、早く就寝してしまった。
洸次郎も横になったが、眠気が来ればモノの記憶が蘇る。妻の顔が脳裏に浮かび、洸次郎はとび起きた。
暑さによる汗なのか、冷や汗なのか、わからぬ。胸が押しつぶされそうに苦しい。息ができない。
「コウ……洸次郎!」
もがいていると、クモが起きてしまった。よほどうるさかったと見えた。
「大丈夫。大丈夫だ。俺達があんたを守る」
クモが洸次郎を抱き寄せ、背中をさする。
「コウ……殿」
みどりも、のそのそ起きて、洸次郎にとびついた。
眠気で回らない口で「コウ」と呼ばれ、洸次郎は思い出した。
妻が何気なく、洸次郎のことを「コウさん」と呼んでいたのだ。普段は「お父ちゃん」「お母ちゃん」と呼び合っていたのに。それに対し、洸次郎は妻の名を呼んでいただろうか。
――つきさん。
月の明るい夜に産まれたから、つき。そうに名の由来を話していた。
つきさん、つきさん。
洸次郎は声にならない声で、行方の知れぬ妻に呼びかけた。
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