第19話

 列車に揺られていると、洸次郎もみどりもいつの間にか眠ってしまった。

 目が覚めたのは、機関車が熊谷に着いたときだ。皆が一斉に下車する様子が窓硝子から見えると、洸次郎は、吐き出されるようだと思ってしまった。

「やっと着いたか」

 クモは欠伸をして腕を伸ばす。それが洸次郎にぶつかってしまった。

「すまねえ!」

「本当でございますよ!」

 洸次郎より早く、みどりが口を開いた。

「兄上、暴力は愛ではありませぬ!」

「指摘がずれてないか⁉」

「兄上よ、我々も降りましょうぞ」

 ここから上州に行くには、徒歩しかない。本日中に着くのは難しいと判断し、熊谷で一晩泊まることにした。

 クモがさっさと宿を探してくれた。宿を取ったことがない洸次郎は、頼ってばかりだ。

「すみません。迷惑ばかりかけて」

「迷惑をかけていやがるのは、モノだろう」

「でも、モノを連れてきたのは俺で」

「わざとじゃねえだろうが」

 洸次郎とクモのやり取りは、列車の中の洸次郎とみどりのやり取りとほぼ同じだった。

「兄上、なぜ、わたくしだけ部屋が違うのですか!」

「男と同じ部屋にさせるわけにはいかんだろうが」

「俺もそう思います」

 兄妹喧嘩が勃発する前に、洸次郎は緩衝したつもりだったが。

「俺が変な気を起こしたとでも思ったか」

「クモさん!」

「はうぅ……っ!」

 遅かった。クモが余計な一言で、みどりを煽ってしまった。

「……冗談だ」

「……ですよね」

 みどりは胸を撫で下ろす。が、用意された部屋に入るつもりがなさそうだ。

「それはそうと、洸次郎殿は、よくぞ上州から熊谷まで来られましたよね。地図上では、山を避けるとかなりの回り道になってしまいますのに」

 みどりは地図を広げ、三人で額を寄せて地図を注視する。

「……それ、俺も後になって思いました。村を出てモノから逃げるときは必死だったので気づきませんでしたが、一晩中ひとばんじゅう山の中を進んでいたかもしれません。熊谷に出られたのは奇跡でした」

 洸次郎が考えた道筋は、三通り。

 ひとつ目は、神流川を越えた新町しんまちまで中山道を通り、藤岡ふじおかを経て小塚村に入る。

 ふたつ目は、本庄まで中山道を通り、長浜で橋を渡り、藤岡を経て小塚村に入る。

 三つ目は、本庄まで中山道を通り、児玉や神川、鬼石おにしを経て、小塚村に入る。

 ひとつ目の道筋は、道が整備されていて一番安全だと思われるが、遠回りである。

 ふたつ目は、街道から外れてしまうが、遠回りではない。

 三つ目の道筋は、洸次郎が夜通し山の中を進んでいた道筋で、地図上では最短距離でもある。

「どのみち、徒歩でしか行けない道筋です。すみません。俺の村、本当に田舎過ぎて」

「こんなとき、狩野さんとこの絵なら、ひとっ飛びなんだけどな」

「兄上、それは言ってはならぬことでございます……わたくしも言いたいですが」

「本当に、ごめんなさい」

 洸次郎は、消えてしまいたくなった。赤の他人にこんな足労をかけて、本当に申し訳ない。

「洸次郎を責めているんじゃねえ。絵には絵のことわりがある」

「絵が絵師を殺す、というやつでしたっけ」

「兄上、そのようなことまでお話になって……でも、話が早いです。絵を使って出過ぎたことをすると、絵師は報復を受けることになります。絵師と絵にできることには制約が多いのでございます」

 話し合いの結果、ふたつ目の道筋で行くことに決めた。

 みどりは用意された部屋に行かず、男共の部屋の隅で小さく丸まって眠ってしまった。

 まったく、とクモは溜息をついて、みどりに薄手の掛け布団をかけてやる。

「みどりさんとクモさんは、仲が良いですね」

「そうか? 案外そうでもねえさ」

 クモは軽い口調で苦笑した。

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