第18話

 汽車は帝都を離れると、のどかな田んぼの真ん中をせわしなく走る。線路の両脇は、風を受けた青い稲穂が揺れる。

 いつの間にか、クモは眠ってしまい、みどりは窓硝子に手をついて田舎の景色に見入っていた。みどりは今日も、鳩のかんざしをつけている。

 田畑の景色は、洸次郎はさほど珍しく感じられない。だんだんと武州を北上していると思うと、鳩尾の辺りに嫌な感じがしてきた。

「洸次郎殿、ご気分が優れませぬか?」

「平気です」

 みどりに訊かれ、洸次郎はとっさに否定してしまった。どちらかといえば不調だが、心配をかけたくない。

 みどりは景色を見るのをやめ、席に座り直した。

「洸次郎殿は我々が守ります。どうか、この兄上のように気を緩めて下さいませ」

「クモさんは……見習いたいところです」

 みどりも洸次郎も、苦笑してしまった。

「兄上が白状しました。あの日、兄上は鴉を出現させてモノの探索をしながら、獏と馬もその場で描いていたのですね」

 あの日。洸次郎がモノに取り憑かれ、入水自殺させられそうになった日だ。

「そうらしいです。すみません、俺のせいで」

「洸次郎殿ではなく、モノのせいでございます」

「モノを扇動したのは俺です」

「故意……わざとではないのでしょう」

 この件に関しては、考え方が相容れないと思い、洸次郎は話題を微妙に変えた。

「『持ち絵』や『捨て絵』のことを聞きました。クモさんは、鴉を『持ち絵』にして、他の絵は『捨て絵』としてその場で描くみたいで」

「ええ、そうです。そして、いくつも絵を同時に出現させるのは、大変気力の要る技です」

「クモさんが褒めていました。みどりさんは、二体の『持ち絵』を使う才能がある、と」

「兄上がそのようなことを……わたくしは、兄上にも父上にも及びませぬ」

 みどりは、どこまでも謙虚だ。

「金之助さんも言っていました。みどりさんは十七歳で賞を取って、学校の先生になる話も出ているとか」

「描き始めるのが早かっただけでございます。兄上みたいに短期間で上達したわけではありませんし」

 みどりは、ちらりとクモの寝顔を伺った。クモは俯いて静かに寝息をたてている。おどけた言動はなりをひそめ、どこか翳りがある。

「わたくしが絵を始めたのは、五歳いつつでございます。兄上のように筆が速いわけではなく、父上のように才能があるわけでも……」

 みどりは言葉を濁した。伏せた目には涙が浮かぶ。父親の初盆を済ませたばかりだ。心が追いついていなくても不思議ではない。

「俺の兄が、よく親父さん……河鍋暁斎さんのことを話していました。実際に会ったかどうかはわかりませんが、本当に凄い人だったみたいですね」

「ええ、凄い人でしたの! 物知りで、ただでさえ交友関係が広いのに西洋の友人やお弟子さんもいて、こうも多才になれるのかと……人として憧れておりました。今も、憧れです」

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