第12話

「あ、クモさん」

「よう、金の字」

 クモに声をかけたのは、上州にいたら尻を引っ叩かれそうな繊細そうな男だった。

「この間は、妹が急に逃げちまって悪かった」

「いえ、構いませんよ。みどりさんが塁を逆走するなんて珍しくありませんから」

「言うじゃねえか」

「ところで、この人は」

「洸次郎さん。上州から来たんだとよ。洸次郎さん、こいつは、金之助。大学予備門の学生さんだ」

「どうも、金の字です」

 金之助と呼ばれた男は、意外にも気さくだった。

「クモさん、蕎麦食いません? 洸次郎さんも」

「あの、俺は」

「良いな。行くぞ」

 クモが洸次郎の腕を引いた。みどりが見ていたら、「はうぅ……!」と喜びそうだ。

 一番近い蕎麦屋に入ると、濃い汁の匂いがした。洸次郎が親しんだ「おっきりこみ」の汁も濃かったが、ここまででなない。

「みどりさんは稽古ですか?」

「そうさ。お忙しい奴だよ」

「凄いですよね。僕と同じ二十二歳なのに、十七歳で賞を取りましたし、学校の講師にならないかって話も出ているんでしょう」

「まあな。恐れ多いと言って断るのが目に見えてるぜ」

「わかります、わかります」

 大らかなクモと繊細そうな金之助。なぜか気があっている。

 洸次郎は、気が気でない。銭湯の代金はクモに支払ってもらった。そこで気がついた。親の教えに逆らっていたことに。

 風呂なら家で入れ。飯なら家で食え。物品は修理して使え。それらを守れないのは、家族を見捨てた証拠だ。

 村から逃げる途中で知り合いから借りた金のお蔭で機関車に乗ることができて、帝都で河鍋兄妹に助けられた。機関車の運賃に関しては、洸次郎自身は許容している。

 だが、外食は別だ。生死のわからぬ家族に背を向けて、自分は奢侈をしている。

「洸次郎さんも同じので良いよな?」

「……い、いえ」

「蕎麦は苦手か」

「……わりいです。帰ります」

 こんなところで贅沢をしているわけには、ゆかない。洸次郎は店をとび出した。

 小塚村に帰らなくては。金が無いから歩かなくてはならないが、金を借りるなんてできない。着物は借りたままだが、いずれ返そう。家族の安否を確認したい。

 通りを早足で進んでいると、悪寒がはしった。真夏なのに。誰かに見られている。否、誰かではない。

 モノの気配だ。

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