第9話

 翌日は前日の雨と打って代わり、朝から晴れて暑い日になった。

 具材が茄子のみの味噌汁と米飯、梅干しで朝食を摂った後、来客があった。

「鹿島屋様」

 鹿島屋と呼ばれた男は、洸次郎と同年代に見えた。こざっぱりして教養のありそうな男だ。格好から、商売をする人に見えた。

「みどりさん、おはようございます。昨夜はお帰りにならなかったので、心配しましたよ」

「ご心配なく。ここに泊まらせてもらいましたから」

「心配ですよ。お父上様が亡くなられたばかりなのに健気にも、行き倒れの者もお世話をしながら、お兄上の面倒も見ていたのでしょう」

「鹿島屋様はお優しゅうございますね」

「いえ、そんな」

 みどりに褒められ、男は頬を赤らめる。照れながらも手には紙を握りしめていたことが、洸次郎は気になった。

「洸次郎殿、このかたは、鹿島清兵衛様。わたくし達、河鍋の者は、何かと鹿島屋様にお世話になりっぱなしです」

「みどりさん、私のことは清兵衛と呼んで頂けると……」

 鹿島清兵衛が頬を赤らめると、ひょっこりとクモが顔を出した。

「よお、清兵衛。暇か」

「あなたに呼ばれたくありません!」

「下心お出しなさんなよ、既婚者」

「出していません!」

「……あの」

 洸次郎は早速、置いてけぼりを食らった。置いてけぼりを食らったのは、洸次郎だけではない。清兵衛が連れてきた医者も、ぽかんとしていた。

 清兵衛が連れてきた医者は、洸次郎の村にもいたような老齢の漢方医だった。

 おおよそ風邪による脱水症状だろう、と診断され、薬は出さず、医者は帰っていった。

「ところで、みどりさん、クモさん」

 清兵衛は帰らず、ふたりを呼ぶ。

「珍しいな。あんたが俺も呼ぶなんて」

 クモが軽口を叩いた。清兵衛は咳払いをして、握りしめていた紙を広げた。

「うちで取り引きをしている、上州から来た人からもらいました。先日の、現地の新聞です」

 清兵衛は紙のしわを丁寧に伸ばし、自信満々に突きつける。上州新聞。洸次郎もこの新聞は知っているが、じっくり読んだことがない。

「ここです、ここ」

 清兵衛が示す見出しには、こう書かれていた。

『小塚村焼失、白昼の怪奇な火の手』

 洸次郎は、血の気が引く感覚をおぼえた。難しい言葉は読めないが、自分の故郷である小塚村が焼かれて失われたと解釈した。

「新聞では三日前となっていますが、おとといの記事なので、実際は五日前です。上州多野郡小塚村を火の手が襲い、村は全滅。隣の村の者の証言によると、ひとつの火の柱が不自然に折れ曲がり、舐めるように村を飲み込んだ。炎は小塚村との境界で止まり、小塚村だけが炎に包まれた。小塚村の住人の生存者は確認されていない」

 清兵衛が新聞記事をかい摘んで話した。

「お客人、あなたがやったのではありませんか? あなたが村を焼いて逃げてきたのでは?」

「鹿島屋様」

 みどりが、やんわりと清兵衛を制した。

「この件は、わたくしにお任せ頂けませぬか。モノが関わっております。鹿島屋様にはご迷惑をおかけしませぬゆえ」

「みどりさん」

 清兵衛は不服そうに、みどりではなく洸次郎を睨む。

「そうですね。みどりさんなら、警察にも顔が利きますし、何かあれば警察が動くでしょう。私なんかより、よほど役に立つでしょう。でも……有事の際は私を頼って下さい。みどりさんとクモさんを失うとあらば、私は暁斎先生に顔向けができません」

「おいおい、俺もか」

「当然です。クモさんも、日本が誇る画家。絵画の鬼、画鬼がきと称した暁斎先生の後継ぎである、おふたりを失うわけには参りません。芸術家を守るのは、私の使命だと心得ておりますので。ですから、あなたは、おふたりに迷惑をかけないで下さい!」

 あなたは、と、清兵衛は洸次郎を指さした。

 清兵衛は初対面から洸次郎を嫌っている。その実は、みどりとクモを尊敬し守ろうとしているのだと、洸次郎は解釈することにした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る