第5話 牛腕のウル
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カンコンと木剣が案山子にあたる音が響く。
あれから数日、剣術の基本のキこと「剣の振り方」と「構えと足さばき」を習っている。
「そういえば、大猪の討伐って急がなくていいんですか?」
じっと僕の剣を見ながら指導してくれているアガートさんに訊く。
ちなみにオルガノさんは母さんが置いていった安楽椅子(前後にゆらゆらする椅子)で何かの本を読みふけっている。
「ん、ああ……大丈夫。もともと中長期任務として請け負っているダンジョン調査が私たちの目的で」
腰に提げた袋にアガートさんの手が伸びて一本の杭が握られた。
「この魔力杭を安全なルートに刺して後続の深層調査担当に引き継ぐのが仕事なんだよ」
わずかな魔力が掌から杭に流れると、ぼんやりと杭の頭に付いた結晶が光った。
薄暗い森の中なら十分な目印になるだろう。
「でも、じゃあなんで大猪と……?」
調査が目的なら、大猪の討伐にこだわる必要はないはず。
大猪を避けて適当に杭を埋めてくればいいだけなのでは。
「そこが問題で、事前に聞いてた話と森の様子が変わってるんだよね。まあ前回の資料は20年くらい前のだから仕方ないけど」
魔力杭をしまって、また僕の剣をじっくりと見ながらアガートさんが続ける。
「本来安全な中間地点を展開できるエリアに大猪の縄張りが出来ちゃってるんだよ、こういうちょっとした例外の対応も調査の一環ってね」
はぁ。と心底うんざりしたようにため息を吐いてはにかむアガートさんは、思っていたよりも少女じみているように見えた。
「そうなんですか……」
こういう時、大変ですね~と言ってもなんか薄っぺらいし、かといってギルドや冒険者の事情は僕にはわからないので、とりあえずそうなんですかーと言ってしまう。
もうちょっと気の利いたことを言いたいんだけど。
「そうなんだよ、ところで」
アガートさんは、夕焼けの山間をちらりと見てからそろそろ訓練を終ろうと声をかけてくれる。
「ああ、そろそろ終わりですか? 今日も」
ありがとうございました。と僕が言おうとする。
「いや……その、宿屋の女の子がいるだろう?」
アガートさんは意を決したような表情で素っ頓狂なことを言い出した。
「リラのことですか? あいつがなにか」
宿で不手際か何かがあったんだろうか。それとも街のほうではあるサービスがうちにはなかったとか?
「そう、リラちゃん。リラちゃんとアンサズくんは……そういう関係なのか?」
夕焼けの関係か、いつもより頬を赤くしたアガートさんが前のめりでそう聞いてくる。
えっ恋バナですか? 今?
まあ逆に今以外にいつがあるんだと言われたら反論できないけど。
「いや、リラの家は僕の洗濯屋のお得意さんってだけで……なんでそう思ったんですか?」
とくに嘘をつく理由もないので、正直に答えながら、また剣を振る。
なんか今日は長引きそうだ。
「そうか、いや、ほら。大猪に襲われたときにかいがいしく手当てをしていたものだから」
目を泳がせながら、アガートさんは指をくるくると回す。
催眠術かなにか。
「別に、そんな特別な意味とかないと思いますよ。リラは誰にでも優しいし」
この村はそんなに大きくない。
同年代の子供が僕とリラの二人で、上の兄貴と喧嘩するたびに手当てをしてもらってたけど。特別な何かがあるわけじゃない。
「そういうものなのか……」
しれっと答えたことで逆にがっかりしたように肩を落とされた。
申し訳ないが、逆になんだと思ってたんだこの人。
「アガートは箱入りだったから。そういうのの機微の敏感なんだよ」
安楽椅子からオルガノさんが顔を上げながら視線をこちらに傾けてくる。
「オルガノ! そういうんじゃないって!」
慌てた様子でさっきよりも大きく手をわたわたと動かしながら弁明するアガートさんはわりとシュールでかわいい。
せわしなく動く足の短い犬みたいだな。と思う。
「そうなんですか」
「そうじゃないって~!」
オルガノさんと二人で笑い声をあげ、わたわたしてたアガートさんもつられて笑いだす。
「よし、今日はここまでにしようか」
ひとしきり笑ったあと、アガートさんがぱんっと拍子を打って〆る。
「ありがとうございました!」
ぺこり、と頭を下げて宿屋のほうに向かって歩き出す二人を見送った。
いやあ今日も非常に疲れた。とっとと帰って母さんのご飯を食べて寝たい……。
「あれ? アンサズ? さっき通りすがったのは……最近噂の冒険者か……」
背後から声がかかる。
この声は……。
「ギィヤハハハハハ!!! なんだよ、面白そうなコトやってんじゃねえかよ!!」
アンサズ。こと僕には二人の兄がいる。
農家の後継ぎとしても、男性としてもすごい有能な兄たちは。
まずモテる。
出会う女の子はまずその筋肉に見とれ、顔面のイケメンさに驚く。
そんですごい強い。
基本的にこの村の若者で最強なのは兄貴たちだ。その巨腕から繰り出される刃は一撃で大地を穿ち土煙を迸らせる。
その膂力、腕力は常人の数倍を誇るうえに……身体強化を掛けることでまさに超人と化すのだ。
「兄貴、おかえり」
つまりその人こと、「牛腕」のウルである。
「おう! 帰ったぜェ! ずいぶん楽しいことやってたみたいだなァ?」
ガッと肩をつかまれて家の裏に引きずられる。
ぎっちりと詰まった筋繊維が鋼鉄のようだ。硬くて痛い。
「あ~~はい~~……そうですね……」
こういう時、もっとうまいことを……いや違うな?
どうせ話なんか聞かないんだ兄貴は。
「ちっちぇえ頃から剣術なんかなんにも面白くねぇって顔で剣振りやがってよォ!! どういう風の吹き回しだァアン???」
「いいだろ別に、あの頃は」
あの頃は、兄貴たちができることを僕ができないってことが、嫌で嫌でたまんなかったんだよ。
絶対言いたくないけど。
「いや、いいぜいいぜェ! ギャハハハァ!!」
ぽいっと僕を裏庭に放り、門に立てかけてあった大剣をつかみ上げた兄貴がぎらついた眼で迫ってくる。
選択権なんかあるわけないんだ。こういう時に。
「しょうがない、ご飯までにもう一回。運動だ!」
さっきしまったばかりの木剣を背から抜刀して構える。
僕だって少しは強くなったんだ。その成果を見せてやるさ!
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