第8話 天使、決別

 声が聞こえた瞬間、息が止まるような錯覚をした。

 この結界は、私が張ったもので、他者の侵入を拒み、敵を弱体化させるかなり強力なものだ。


 だから入れるのは、私以上の実力者か、幽霊のような実体のないものだけ。


 つまり、今のはっきりと聞こえた声は……。


「そこまでにしてくれないか?」


 男のような女のようなよくわからない声。

 透き通っていて、はたから聞いたら綺麗に聞こえるのだろうが、私は何も感じない、無機質な声だと思った。


 その声の人物は、スーッと女によってきた。

 真っ白な乱れのない髪に、顔の横に二つに分けたツインテールを下げている。


 さらに、真っ白いレースのような布をふわりと重ねた服を着ていた。


 金色に光る首飾りと、凛としたたたずまい、背中から生える翼と頭の上の光のわっか……もしかして。


「自己紹介が遅れたね。私はこの世界の……なんていうかな、人間からは、天使、と呼ばれる存在の者だよ」


 もしかしなくてもそうだった。

 確かに、私の使う魔法にも天使はあるし、リリーの話によると神様がいるらしいから、軽く悟ってはいたけど……。


 本当に、物語に出てくるような世界に転生しちゃったんだな、私。


 というか、天使も一応実体はあるし、私以上の実力者……っていう解釈でいいのかな?


「私はね……神様のお告げと、世界の現状により……この世界で君は異物、不要だと判断したんだ」


 なっ……。

 この天使、言っていることは本気なの⁉


 でも、確かにオーラはあるし、本当に実行しようと思ったら易々とできそうな力と、威圧感を感じる。


 現に、隣で倒れているリリーも、目の前の天使を見た瞬間体を震わせ、今でも、口も開けずカタカタと震えている始末だ。


「だから、君を消すために……私はある組織を作った。『天使のつどい』……私はその頭首リーダーだ」


 組織……? 私一人のために?


 目の前の天使だけでも、十分私を殺せそうな気がするけど、ね。


「今日は、挨拶兼、仲間を回収しにやってきた。……いずれ殺される運命なのだから、仲間のユウナを傷つけないでくれたまえ」

「カノン様……」


 ユウナ、と呼ばれた女が、頭首と名乗ったカノンを見て、ふるふると震えている。

 すると、ユウナは、これまで見せていなかった天使の翼とわっかを光らせた。


「今日のところは、君を傷つけるつもりはない。だが、これ以降、君たちには容赦しない……覚えていてくれたまえ。……それでは、これで失礼するよ」

「今度会ったら絶対解剖するからね~!」


 魔力切れで動けないユウナを、カノンがふわりと浮かせ、私の作り出した結界に近づいていく。


 ようやく我に返った私は、声を張り上げる。


「待て!」


 立ち去ろうとしているカノンたちを、けん制するには物足りない乾いた声で呼び止めた。

 だが、やはりカノンはにやりと笑っただけ。


空間魔法スペース・マジカル『捩じれ渦』」


 空間……⁉

 リリーと同じ属性だ!


 でも、明らかにリリーとは、魔法の次元が違っていた。

 そもそも、『捩じれ渦』と言って出した穴が、リリーの穴より3倍は大きい。


 しかも、敵を著しく弱体化させるこの結界の中で、あんなに簡単に魔法を使うなんて……!


 リリーは、次元が違うのはもう分かり切っていた、というふうに倒れたまま一ミリも動かない。


 そのうちに、カノンたちは『捩じれ渦』を通って、結界から抜け出し、どこかへ行ってしまった。


 よかった……カノンたちが来てから、私も体に力を入れっぱなしだった。

 強い奴ほど大きく反応する、名付けて「魔力レーダー」が、警戒音鳴らしてたし。


「やっと休める……」


 問題点を探るのは魔力を回復してからにして、と割り切り、私はリリーの隣に座った。


 だが、やっと少し魔力が戻ったらしいリリーは、バッと立ち上がって、荒い息をしながら私を睨みつけた。


「あんたのせいよ!」


 いきなり怒鳴られて、ビクッと体が反射的に震える。

 体が動かない。


「え……リリー……?」

「あんたのせいって言ってんでしょ! 近寄らないで!」


 まさか、リリーに怒鳴られるとは思っていなかった。

 しかも、目が真っ赤になっている。


「狙われているのはあんただけよ! 私は……関係ないから!」


 ……私は、その言葉で、カノンが「君には容赦しない」と言ったことを思い出した。


 私は指名手配犯。

 どんなに悪気がなかったとしても、それは変わらない。


 先ほどの圧倒的強者――カノンたちにも、敵意を向けられてしまった。

 こんな異常者と、一緒にいられる者がいるはずがない。


 だから、私の周りには、敵しかいなかった。

 それでも、リリーだけはそうじゃないと……思いたかった。


 思いたくて、無理やり……。


「………うん、そうだよね………ごめ」

『炎魔法「火車ヒグルマ」』


 謝ろう、そして別れよう……としたときには、もう遅かった。

 杖が光り輝いて、あっという間に、火をまとった車輪が、リリーに突っ込んだ。


 ――この世界では当たり前の知識だ。

 魔法、そして杖は、持ち主の精神と気持ちが不安定になればなるほど制御しづらくなる。


 だから、膨大な魔力を持つ私なら当然――こうなるのも目に見えていた、はず。


 煙が収まった時には、人影は見えなかった。

 あの炎……あれはきっと、千度を超えていた。


 人体なら容易に溶かしつくす温度だ。


「え……リ……リリー……?」


 まだ私は現実を見ることができず、数秒間固まった。

 だが、その状態も終わると、私はいろんな考えと感情で頭がパンクしそうになった。


「私がリリーを殺した」

「私は犯罪者だ」


 そんな言葉が、頭の中に響く。

 ……パキン、とどこかが割れた音。


 ――こんな私に、生きている意味なんて、ほんとにあるの……?


「あああああ……」


 唯一の仲間を……自らの手で殺してしまった。

 なんと滑稽なんだろう。


 大切にしたいと、あれほどまでに思った仲間を。


 自分の魔法すらもコントロールできないなんて……情けなさすぎる。


 うずくまって泣き出す。

 涙さえも、私を嘲笑っているような感じがして、気が狂いそうだ。 


 何度も、リリーの名前を呼んだ。

 何もない空中へ。

 返事は当然、いつまでもかえってこないけれど。

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