婚約者は月明かりの下で愛を囁き、助けるために剣を振るう
憂木 秋平
婚約者は月明かりの下で愛を囁き、助けるために剣を振るう
ああ──お腹が空いた。
渇いている。
満たされない。
今日もまた、月明かりの下で、一人涙を流す。誰にも届かない助けを叫ぶ。どうにもならない現実に頭を抱える。
もう、終わりにしても良いよね…。
ああ──お腹が空いて仕方が無い。
「フィリアお嬢様、本日も朝の散歩ですか?」
「ええ。心配をかけてしまって、ごめんなさいね婆や。」
「滅相もございません、ただ、睡眠は大事ですから。」
婆やは、朝、外から帰ってきた私を見ると、いつもこのような小言を言う。心配などと言ってはいるが、本音は、もっとお嬢様らしく家で優雅に過ごしていて欲しいのだろう。
全くもって、面倒くさい。私だって、優雅に過ごせるものなら、過ごしたい。
「フィリスお嬢様、お嬢様が外出なさっている間に、スコット様がお見えになっていますよ。」
「あら、そうだったの。客室で良いかしら?」
「はい、その通りでございます。」
そう言うと、婆やは恭しく腰を折ってから、私の元を去って行った。
スコットは、私の婚約者で貴族の男性だ。金髪の長髪を一つに束ねていて、優しげな顔つきをしている。けれども、その優しげな顔つきには似合わず、剣の扱いが非常にうまい方らしい。王国で騎士に任命もされているのだとか。
スコットは、今日のように、私の住んでいるお屋敷に顔を出しては、冒険の話を聞かせてくれる。
手強い魔獣の話や、幻想的な景色の話にはいつも心躍らされる。だから、スコットがこうして屋敷に顔を出してくれる日は、私にとって特別な日だった。
「やあ、フィリス。元気にしてたかい?」
「ええ、気遣ってくれてありがとう。」
スコットは、待たされた事を特に気にした風もなく、挨拶してくれた。私は、スコットの座っている対面に座った。
「じゃあ、今日は僕が、止まない雪の降る町に行った話でも──。」
スコットは、いつものように面白い話を身振り手振りで話してくれた。そして、話の終わりにいつものように言った。
「今度はフィリスも一緒にどうだい?きっと、楽しいよ。」
「行けたら良いわね。」
私もいつものように返す。そう言うと、決まってスコットは少し寂しそうに笑う。
私は、雰囲気を変えようと、話題を別のものに変えた。
「最近この辺りの魔獣や動物が食い荒らされているのを聞いたことある?」
「ああ、物騒な話だよね。フィリスも、散歩に行くのはできれば控えた方が良い。」
「心配してくれて、ありがとう。」
そこで、言葉を切った。スコットは何も言わない。私の話がまだ終わっていないことを雰囲気で察したのだろう。
「…ねえ、スコットはさ、その危険な魔獣を倒せるくらい強いの?」
「自分で言うのも恥ずかしいけれど、僕は大抵の魔獣には引けを取らないくらいには強いつもりだよ。」
「…そう。だったらさ…。」
「もし、私が助けて欲しいときには助けてくれる?」
「もちろん、僕の命に代えてでも。」
スコットは、期待していた通りの返事を返してくれた。
──ああ、やっぱり、そう言ってくれるスコットが私は大好きだ。この頼みをすることは間違っていなかったのだと確信できる。
だから、私も笑って言った。
「ありがとう、期待してるね…。」
それから、スコットとは少しだけお話をした。
今日は泊まっていって欲しいという頼みも快く、受け入れてくれた。
夜になる。
暗い暗い、月明かりの下を、空腹の獣はさまよう。迷子の子供のように、寄る辺を求めて、さまよう。
──お腹が空いた。
渇いている。
満たされない。
今日もまた一人で涙を流す。月明かりの下で、助けを求めて叫ぶ。
ああ──お腹が空いて仕方が無い。
こちらに誰かが駆け寄ってくる音がする。それは、次第に大きくなっていって──
「…フィリス?」
スコットは、驚愕に満ちた表情で、呆然と立ち尽くしている。
スコットなら来てくれると思った。
スコットなら、きっと、私の叫び声が聞こえるはずだから。
スコットなら、きっと、私を助けるために、剣を取るはずだから。
スコットなら、きっと───。
「…フィリス、こんな時間にこんなところで何をしているんだい?危険だから屋敷に戻ろう。」
スコットは震えた声で言う。
「もう、分かってるでしょ。」
そう、分かっているはずだ。
だって、私の口の周りは、私の手は、こんなにも赤いのだから。
「……君が、魔獣や動物を食い荒らしていたのか。」
「そう、私が、その凶暴な魔獣の正体。スコットが倒すべき魔獣。」
スコットは何も答えない。
月明かりの下で、沈黙が落ちる。
どれくらいの間、そうしていたのだろう。
私はずっと、そうしていたかったけれど、迷いを振り切って、口を開いた。
「…私ね、こうして、魔獣や動物の肉を食べないと生きていけないんだ。特に、感情が昂ぶると、その欲求が制御できなくなっちゃって…。」
「スコットの事が、どうしようもなく好きになっちゃったんだ……。」
「……食べちゃいたいくらいに……。」
「だから、助けて……。」
その言葉を聞いた瞬間、スコットは剣を握る手に力を込めた。
「…フィリス、君に聞いてももらいたい話が、まだまだあった。君と行きたい場所が、たくさんあった。君と、ただ過ごしたいだけの時間が……。」
スコットは何かをこらえるように、言葉を紡ぎ、最後に締めくくるように言った。
「もう、それは叶わないんだね。」
私は何も言わない。何も言わずに、両手を広げた。スコットの剣を受け入れるように、スコットに抱きしめてもらえるように。
「…君を助けると誓ったからね。」
そう言うと、スコットは私を抱きしめた。
同時に、剣を心臓に刺しながら。
「愛してるよ、フィリス。」
スコットの頬に、涙が一筋伝う。私は、それを拭った。
スコットも同じように、私の頬を流れている涙を拭った。
ずっと、一人で流していた涙は、今日初めて二人で流す涙になった。
「私も愛してる、スコット。ありがとう──。」
「ごめんね。」
最後の言葉は、二人の声が混ざったものになった。
──ああ、今はこんなにも満腹だ。
渇いてない。
満たされてる。
だって、一人で涙を流さなくても良いって、気づけたから。
誰にも届かなかった叫びに、助けに、あなたが気づいてくれたから。
あなたがくれた愛で、全てが満たされたから。
──ああ、今はこんなにも満たされて仕方が無い。
婚約者は月明かりの下で愛を囁き、助けるために剣を振るう 憂木 秋平 @yuki-shuuhei
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