オータム・モンスター・ウォーズ 前編

木村竜史

秋の謝肉走祭

 20XX年――地球は核の炎に包まれはしなかったが、異常気象が世界中で猛威を奮っていた。ハリケーンが繁華街を飲み込み、猛烈な大雨が途上国の村を押し流していく。B級映画のような激烈な光景は消してテレビの向こうで起きている光景ではない。実際にこの日本でも起こりえていることなのだ。


 春夏秋冬――日本を日本たらしめてきた色とりどりの季節は、もはや過去の光景になってしまった。都心の最高気温が二十五度を超える、いわゆる夏日が一年の半分を占めている。そして最低気温が氷点下を割る日も、全体の三割だ。


 もうこの国に、春と秋はほぼ存在しない。それが現在を生きる日本人の共通見解であり、一瞬だけ花を咲かせる桜や、枯れ落ちる寸前に紅や黄に染まる木々が、この国に四季があったことを辛うじて思い出させる。


 そんななか、失われゆく『秋』に人生を賭けた男たちが、秋の聖地こと山口県大島郡周防大島町の秋にて行われようとしていた。


 その名も、『ハイパー・エクストリーム・オータム・レース』。周防大島の外周の一部である県道四号で行われる、よくある形態のレース大会だ。片道二十六.九キロメートルを二往復……およそ百八キロメートルをランナー達は駆け抜ける。


 距離だけでもフルマラソンの倍以上。これだけでもかなり過酷なレースであるが、それが何故、秋の名を冠した『極限』のレースと呼ばれるのか。この大会は、ただ単にタイムを競い合うものではないからだ。あらゆる『秋』を『自発的に』体験しながら進まなければならない。そして、それをこなした数も、勝利への重要な要因になるのだ。ただ脚が早いだけでは、持久力があるだけでは、この戦いに勝利することは出来ない。


 気持ちのいい秋晴れの下、火薬が炸裂する乾いた音が響く。数多のランナー......いや、戦士たちが県道を駆けていくが、その光景は異様な雰囲気に包まれていた。


 ある者は『食欲の秋』を満たすために秋刀魚の塩焼きを食べながら走り、ある者は『読書の秋』を完遂するために本を読みながら走る。


「うあああああああ」

「な、なんだあっ」


 当然ながら、そんな試みがうまくいく筈もない。走りながら食べ物を詰め込むことで腹痛や誤嚥でのたうち回り、本を読みながら走れば壁にぶち当たり転倒する。あくまでこのレースは秋に全てを捧げた狂戦士でなければ、コースを満足に進むことも出来ないのだ。


「なんだ、なんだコイツは――!?」

「頭おかしいんじゃねえか!?」


 そんな中、一陣の色なき風となって進む男が一人。


 ただ走るだけならば、この場に参加している者ならば誰にでもできることだ。問題はこの先で、どうやって、どのように秋を満喫しながら百八キロメートルを駆けることを考え、それを実行しなければならない。


 だがあくまでそれは通常の思考を持った常人――言ってしまえば凡人、凡夫の発想である。先程も述べたとおり、このレースを制することができるのは狂戦士だけだ。常人にはない発想を用い、人間性をドブに投げ捨てて長く長い道程を走り続けなければ、勝利と栄光を掴むことなど、できはしない。


「絵を描きながら走ってるのか⁉︎」

「デ、デラウェアを食べながら⁉︎︎」


 木枯らしを樹木から切り離された木の葉でしか認識することしか出来ないように、一瞬で名もなき木っ端ランナー達を追い抜いていく彼のスピードは、一般的に超人の部類にカテゴライズされているマラソンランナーとしても異次元の領域に達していた。誰もがそんな彼の行動を把握しきれない。見切ることが出来ない。


 なんてこった。

 この男は。


『クロッキー帳に絵を描き、果実を齧りながら』駆けているのだ。


 左手にクロッキー帳とデラウェア(アメリカ原産の小粒の生食用葡萄)を持ち、右手に持った鉛筆でシュルレアリスムを感じさせる独創的な絵画を描きながら、時折デラウェアの粒を摘み、皮を剥かずに口に放り込む。程よい酸味と糖度二十度の甘みが男の脳を活性化させ、鉛筆を動かす速度も加速していく。


 最近は巨峰の人気に押されて減少傾向にあるデラウェアだが、彼のように皮を剥かずに食べても美味しく頂ける。更には眼精疲労に対しての効果、そして血液を綺麗にする働きをするアントシアニン、がんを抑制する作用があるといわれているレスベラトロール、そして食物繊維が含まれていて健康に大変よろしい。実りの秋を実感出来る素晴らしい果実なので、これを読んだ読者諸君はすぐにスーパーに行くように。


 それはさておき、視線をクロッキーに向けたままで、前どころか左右も見ないまま駆け続ける男は、普通ならば壁や電柱に突っ込んだり側溝に足を取られたりして転倒するものだが、レースのルートを外れることなく走り続けている。まるで自分の姿を上から見ているかのような、見事な走りだった。


「ま、まさかこいつが優勝候補の――!!」


 男に気を取られているうちに栗を踏みつけ転倒したランナーが戦慄した表情で慄く。


 そう。この男こそが、秋という季節にありとあらゆる全てを投げ打った狂戦士のなかの狂戦士。


 その名もアキヤマ。その名の通り、秋に全てを捧げ、秋にのみ生きる怪物を超えた怪物である。


「まだまだァ、こんなもんじゃあないぜ」


 あっという間にデラウェアを食べ尽くしたアキヤマはにやり、と口角を上げると、背負っていたカバンから分厚い本を取り出す。それでもクロッキーは手放さない。まだ完成まで時間がかかるのだろう。


 取り出したのは厚さが十五センチもある百科事典だ。読書の秋、勉強の秋、そして重量による運動の秋を一度に体験することが出来る超高ポイントのアイテムだ。これに気付けたからこそ、彼が優勝候補に足り得る発想を持ちえていることがわかる。


 ただ走ることしか出来ないランナーを、奇っ怪な動きでぐんぐんと抜いていくアキヤマの姿は、普通のマラソン大会の視点で見てみるとあまりにも異様な光景だ。だが、これこそが『ハイパー・エクストリーム・オータ厶・レース』である。


 そして、秋に全てを捧げたのはアキヤマだけではない。彼よりもかなり前方に、二人の男たちが駆けていた。


 片方は長身痩躯の優男。秋色に輝くバイオリンを弾きながら軽やかに、踊るように脚を進めていく。長い足をしなやかに広げるストライド走法のリズムは、アストル・ピエソラが愛したブエノスアイレスを想起させる。


「今年の参加者はレベルが低い。そうは思いませんか、ご友人」


 バイオリンの弦から奏でられているのは、ヴィヴァルディの『秋』。第一楽章でのアレグロが実りを華やかに表現している。まさしく音楽の秋に相応しい、誰がどう見ても高得点のチョイスだ。いささか安直が過ぎる選曲ではあるが、走りながら音を飛ばすこともなく完璧な演奏を続けられていること自体が、彼の異様さを強調させる。


「はぁ......どうでもいいよ、秋天(チォウティエン)」


 心底どうでも良さそうに呟く男......少年と例えていい。おそらく十代前半であろう彼も、高レベルのアスリートと同じような速度で県道四号を駆けている。マラソンランナーは一時間に八百CCもの汗をかくというのに、少年の額には汗粒ひとつ浮かんでいない。ただ無表情に、気だるげに走る彼の姿はハロウィンに蘇った亡霊を彷彿とさせた。


「はははは、心の秋ですかな? もっと楽しまないといけませんよ、オーシン君」

「......」


 白い歯を見せ、爽やかな笑みを浮かべる秋天。オーシンの沈黙で返されても、彼は余裕の笑みを絶やさない。まるで自分が勝つことを確信しているような、そんな不敵な笑みだった。


 このままだと優勝は二人のうちどちらかだろう。だが彼らは未だに気付いていない。マラソンということを無視したような異様ともとれる驚異的なペースでコースを突き進むアキヤマと、そのすぐ後ろに控える、もう一人の存在に。


 秋毘売神と竜田姫が見守るなか、県道四号を狂戦士たちが駆けていく。先頭を走る秋天とオーシンが大島大橋の麓からスタート地点に近づいてくる。


 もう間もなく、折り返し地点。狂戦士たちの戦いは遂に危険な領域にまで到達しようとしていた。




☆★☆★☆★☆★☆★☆★


こちらは創作仲間のテケリ・リさんとの『秋』をテーマにした前後編の合作となっております。


続きはこちらをどうぞ↓(ᐢ⓿ᴥ⓿ᐢ)↓

https://kakuyomu.jp/works/16817330667271813804/episodes/16817330667271825174



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