時間と経費



 


 恒星間移民が開始されてから20年も経たないうちにアース・ツインが発見されたことを私は知っている。


 


 古い学術論文を探せば二十一世紀初頭にはその可能性が示されていたことも、その論文の第一執筆者の名が最初のアース・ツインに冠されていることも知っている。


 


 その知識に基づいて当時の人々を批判するのは不公平かもしれない。


 


 


 だが、それでも腑に落ちない。


 


 


 アース・ツインを入植先として選べる今の時代になっても、アース・アナログを移民先として選ぶ人が多いのは何故なのか。


 


 


 トウコやアルも、好きな星系を選べる船乗りでありながらこの星系を選んだ。湖の周りの狭い可住地帯の、小さな家を選んだ。


 


 オーレリアを選ばなかったのは判る。生きては行けるが、地球とはかなり環境が違う。


 


 アースアナログよりもずっと数が多いが、人が定住しているオーレリアは2つしかない。


 


 ユーロパと違って2つのオーレリアには広大な海があるが、なにしろオーレリアだから住める場所は限られる。


 


 しかも片方は流刑星だから、選択対象になるのはグローだけだ。不思議なことにグローは昔から移民に人気で、人口飽和して移民受け入れ停止する日が近い。


 


 2人が選ばなかったのもそのためだろう。


 


 考えがいつもの障壁にぶつかったせいだろうか、首を振りたくなった。トウコが新居の説明を続けているので我慢する。


 


 グローの人口が飽和に近い今日なお、移民の流れはベッセルやケイド、ユーロパ、アルサーフィ、そしてアキルドに集中している。


 


 きょしちょう座ゼータ/4やおとめ座61番/2のような流刑地の砂漠惑星が嫌われるのは判る気がする。


 


 だが、カーラやさそり座18番のアース・ツインは流刑地では無いし、まさに地球の双子と言うべき海洋惑星なのだから、嫌われる理由がない。


 


 


 では、距離の問題だろうか?


 


 確かに今のところ、ユーロパを別にすれば人口の多い順序はソル系からの距離が近い順序と一致している。


 


 


 しかし距離が理由だとするには無理がある。


 


 


 なにしろ距離の違いは大した意味を持たない。


 


 


 ソル系からグローがあるラランド21185星系までの距離は8.3光年。


 


 光速に近い速度で航行する恒星船の船内では特殊相対論効果によって経過時間が短くなる。


 


 時間短縮の比率は船の性能や、航路の星間物質濃度によっても違うが、『ヒュベルボレイオス』なら4年半、プラスマイナス10日と言うところ。


 


 当直割り当てに従って浅い低温睡眠と常温生活を繰り返す我々乗員にとってはその数パーセントが主観時間で、おおよそ2月半くらい。


 


 


 ソル系からケイド星系までは16.5光年。前回の航行では船内時間で5年と4月弱を要したはず。


 


 ここヘビ遣い座70番A星系はソル系から16.6光年。


 


 ソル系からアルサーフィ星系とアキルド星系まではそれぞれ18.8光年と19.4光年。船内時間では5年と9月前後。


 


 一番近いアース・ツインがあるカーラ星系までは27.3光年。船内時間では6年と4月で、私の主観時間では5月弱ほど掛かった。


 


 要するに、距離の差は我々乗員にとってさえわずかなものだ。


 


 そもそも、乗客にとって距離が理由になるはずがない。


 


 航行中ずっと深い低温睡眠で眠り続ける乗客にとっては、グローであれカーラであれ、あるいはさそり座18番や双子座37番であれ1泊2日なのだから。


 


 距離は理由になりえない。


 


 乗船料金も同様だ。船内時間に比例して請求するのだから。もちろん同じ船内時間でも、船の設備によって料金は変わる。


 


 


 


 今回の航行では、『ヒュベルボレイオス』の船客にはソル系深宇宙港からユーロパ第一宇宙港までの乗船料として一人あたり350ドルを請求した。


 


 いっぽう『ファン・セバスティアン・エルカーノ』の主計はカーラまで500ドルと言っていたはずだ。


 


 アルサーフィへ向かう『プロテウス』の主計は400ユーロと言っていた。


 


 


 今頃、彼らは減速航行中のはずだ。


 


 


 光年単位の距離を隔てて「今」を定義するのは無意味な気もするが、まあ私もまだ人間なのだろう。


 


 


 やはり、疑問の答えになるほどの数字では無い。グローの人口が十億人に届こうとしている今、アキルドやアルサーフィの人口が一億にも達していない理由にはならない。


 


 さきほどトウコが説明していた新居の値段を思い出す。


 


 地球の大都市だと、集合住宅の一室が買える程度の金額だった。トウキョウあたりだとそれも無理か?


 


 ターンブルで、つまりカーラの第4惑星で同じ出費をすれば島をいくつか買えるだろう。


 


 


 


「ありがとう、ゾーイ。もう動いても良いよ」


 


 トウコの声に我に返った。


 


 ユーロパは窓の上縁に半分隠れ、すでにキーテジ市は見えない。


 


 トウコとアルがこの惑星を選んだ理由を知れば、疑問の答えが得られるかもしれない。


 


 だが、どう切り出そうか。


 


 そもそも、聞いてよい事だろうか?


 


 端艇の操縦室が静かになった。その沈黙はほんの一瞬しか続かなかった。


 


「トウコ、どうして地球やカーラじゃなくて、ユーロパなの?」


 


 我らが『ヒュベルボレイオス』の通信士Cが聞きにくいはずの質問をさらりと発した。


 


 ユーロパの姿が窓の上に隠れてゆく。


 


「地球だと何もかも高くつくし、カーラは遠すぎるから」


 


 トウコの答えに、操縦室は再び静かになった。ハーネスを緩めて向き直ろうかと思ったが、止めた。


 


 一昨日まで同じ船の仲間だったトウコ。


 


 距離にして200光年以上、主観時間で五年半を共にしてきた電測士と私の間には、いまや大きな隔たりがあるらしい。


 


 以前はトウコも私と同じ疑問を共有していた。


 


 


 何が彼女を変えたのか?


 


 そもそも、どこから見て「遠い」と言うのか?


 


 


              *





 窓の下から三日月状に並んだ光点の群れが昇ってきた。


 


 


 惑星ユーロパを22時間周期で巡る静止軌道上に、複数の静止衛星が並んでいる。ユーロパ第1宇宙港だ。トウコとアルが選んだレストランはユーロパ第1宇宙港を成す静止衛星群のひとつ、一番前方のドルフィンにある。


 


 


 列の中央に近いところほど衛星のサイズは大きく、密度が高くなる。今の距離から見ると衛星群は三日月を引き伸ばしたように見える。


 


 


 三日月の中央にある静止衛星は最も大きい。極端に上下に長く、光の線が操縦窓の上に、ユーロパへ向かって延びているように見える。


 


 


 実際にそれは惑星ユーロパの地表まで延びている。


 


 


 これを軌道エレベータと言う。人類の住む惑星のほとんどにある。


 


 


 もちろん場所によってその規模はさまざまだ。


 


 


 地球(ソル/3)の静止軌道からインド洋や大西洋を見下ろすか、あるいは火星(ソル/4)の静止軌道上からパボニス山を見下ろせば光の線が地表まで伸びているのが肉眼で見える。


 


 


 逆に地球(ソル/3)の地表のどこから見上げても、軌道エレベータの末端まで肉眼で見える。


 


 


 ユーロパの軌道エレベータはずっと細くて肉眼で見えるのは数千キロがせいぜい。


 


 


 トウコとアルの新居から見上げた時も同じだった。真っ青な空の途中で消えてしまった。


 


 


 ふと思い出してハーネスを緩め、振り向く。


 


 


「パティ、貴女達の前回の航行はアキルドだっけ?」


 


 


「そうだけど」


 


 


 ドレスの裾を直していた『タイガー・ストライプス』の航法士Bがいつもどおりにこやかに答えた。


 


 


「フソウから軌道エレベータは見えるの?」


 


 


「フソウ」と言うのはアキルド星系の可住惑星(アキルドA/4)の名前ではなく、その可住惑星で最大の都市だ。


 


 


「見えないよ。フソウのあたりは例の大きな湖のせいで、空気が水蒸気で濁っているもの」


 


 


「ザーラから見ても同じ?」


 


 


「ザーラ」と言うのもやはり都市の名前だ。アキルドA/4の南半球にあったはず。


 


 


「同じ。湖畔で景色を眺めてると、軌道に戻れるか不安になるくらい」


 


 


 私は軌道エレベータが掛けられていないような未開の惑星、あるいは流刑惑星への航行は経験したことが無い。


 


 


 儲からない上に、軌道上で本船が整備している間の上陸休暇はさぞ心細いことだろう。私の知る限り、どこの惑星でも軌道エレベータを用いて軌道に戻るためのチケット代はその惑星上の安宿の1泊分程度だ。


 


 


 もちろん地球(ソル/3)の地表から軌道に戻るチケット代と、ユーロパの地表から軌道に戻るチケット代は桁が違うが物価の桁も違う。


 


 


 これがもし軌道エレベータの無い惑星だったら?


 


 


 想像したくもない。聞きたくも無い。が、以前に我らが『ヒュベルボレイオス』の船長から聞かされたことがある。


 


 


 船長がまだ若くて、『クリストファー・コロンブス』の航法士Bだった頃の話だ。


 


 


 ある惑星からロケットで軌道に戻ったが、チケット代を払い終えるまでに暦で50年掛かったと言う。


 


 


 どんな理由でそんな羽目になったのかは知らない。


 


 


 船長の話の途中でトウコがレーダー情報を更新して、私に急な仕事を作ってくれたので聞かずに済んだ。


 


 


 しかしトウコは船長の昔話の続きを聞いたはずだ。


 


 


 ひょっとしてトウコとアルがこのユーロパを選んだのはそれが理由だろうか?


 


 


 ターンブル(カーラ/4)やスコルピオ18/3みたいなアース・ツインにも軌道エレベータはあるはずだが、居住人口が少ないのだからここユーロパのそれよりさらに細いはずだ。


 


 


 しかもターンブル(カーラ/4)やスコルピオ18/3はアース・ツインでその大気は常に水蒸気で濁っている。


 


 


 その地表で暮らしていたら軌道エレベータそのものの存在さえ不安に思えるだろうし、軌道上の暮らしはさぞ遠いものに感じるだろう。……たぶん。


 


 


 そう考えてトウコに聞いてみようかと思ったが、計器表示に目を向けて止めにした。


 


 


 ドルフィンへのアプローチに失敗して新婦を遅刻させるわけには行かない。


 


 


 今向かっているドルフィンはその名が示すとおり、他の静止衛星や軌道エレベータとは構造連結されていない。


 


 


 だからこそドルフィンで、橋や通路が掛かっていれば埠頭と呼ばれる。


 


 


 つまり何を動かすにもいちいち端艇を出すか宇宙服を着込んでスクーターを動かす必要がある。


 


 


 人間や荷物の出入りが少ないからこそ、誰も橋や通路を掛けない。


 


 


 軌道上の建物や船に対して軌道前方から近づくには面倒な操船を要し、マニューバの自由度も低い。


 


 


 離脱時も同様で、後方へ離れる方が楽でなおかつ安全だから、私も出来ることなら軌道後方の埠頭に着けたい。


 


 


 だから、どこの星系の宇宙港でも後方のドッキングポートほど利用者が多く利用料金も高く、設備の更新も拡張も進む。


 


 


 この原則は二十世紀のソル系でロシア人が最初の宇宙ステーションを建造した時から変わっていないし、これからも変わることは無いだろう。


 


 


 もちろん個々の機材や構造物は更新されてゆくだろうけれど、それも利用者の多い後方からのこと。


 


 


 ユーロパ宇宙港も同様で、今では後方の衛星のほとんどが橋や通路を掛けられて埠頭と呼ばれるようになっている。


 


 


 逆に数百年の歴史を持つ地球(ソル/3)のインド洋宇宙港でさえも前方にはドルフィンがいくつか浮いている。


 


 


 今もまた1隻、系内船が後方の埠頭を離脱してゆくのが航法状況インジケータに表示されている。


 


 


 表示によればこの星系の第4惑星への定期客船らしいから、数千人は乗っているだろう。


 


 


 宇宙港のさらに後方にはアプローチ順を待つ系内船が浮いている。これは月(惑星ユーロパの天然衛星)から戻ってきた貨物船らしい。


 


 


 目指すドルフィンへのアプローチコースに端艇を乗せ、操艇をコンピュータに任せる。


 


 


 目を計器パネルに向けてコンピュータの仕事ぶりを監視しながら、先ほどの思いつきとは別の話をしてみた。


 


 


「パティ、アキルドへの客は海洋同盟の出身者ばかり?」


 


 


「ほとんど日本人とイタリア人ばかり。地球の……太平洋だっけ?海に囲まれた土地からあんな砂漠の惑星に行こうと思うのが不思議ね」


 


 


「イタリアは太平洋には面してなかった気がするけど、疑問には同意。日本人やイタリア人がカーラ/4やスコルピオ18/3に行かず、アキルドA/4に行くのはちょっと判らない。……トウコ、どうした?」


 


 


 もうひとりの介添人、『ヒュベルボレイオス』の航法士Cが同意を示し、そしてトウコに目を向けたようだ。


 


 


 後で聞いたが、このときトウコは微笑みながら涙を拭いていたそうだ。


 


 


「ちょっと前まで私にも判らなかったけど、今は判る。貴女達も、近いうちに判るはず」


 


 


「今教えてくれない?」


 


 


『ヒュベルボレイオス』の航法士Cはいつもどおり率直にあるいは無造作にトウコに尋ねた。


 


 


「自然と判る方が良い。それが私からの贈り物になるから」


 


 


 トウコの言葉の意味を私が理解するのには暦で20年近く掛かった。そしてトウコに再会して確認するには、さらに40年ほど掛かった。

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