距離
『ヒュベルボレイオス』の巨体が、ついに光点にしか見えなくなった。
「外部映像出そうか?」
振り向いて尋ねてみたが、トウコは首を振った。無重量状態の艇内に、涙が飛んだ。
それは長年勤務してきた船を離れるためか、それとも私達同僚との別れに対してのものだろうか?
端艇の操縦系を確認し、同乗者に告げる。
「十五秒後にピッチダウン開始、百八十秒で反転」
「三分も掛けるの?ゾーイにしてはずいぶんゆっくり」
「だって、座っているのは私だけだもの」
トウコも介添人も船乗りばかりだが、体をシートに固定しているのは私だけ。
本来なら規則違反だが、船長の許可は得てある。
主計士官である私にとっては軌道上に停泊している本船と宇宙港を結ぶ短い(雑用)航行は日常の業務だが、今日のこの航行は少し違う。
一昨日に退職するまでは『ヒュベルボレイオス』の電測士Aだったトウコを式場まで送り届ける航行なのだから。
『タイガー・ストライプス』を退職した新郎と結婚して地上に降りるトウコにとっては、最後の宇宙航行になるかもしれない。
トウコはもちろんだが、その両脇に浮かんでいる二人もドレス姿だ。だから乗客を乗せる時と同じレートで端艇を回転させることにした。
中断スイッチを離す。
「転回」
セットしたとおりに艇が縦回転を開始。重心から遠い艇長席に座っている私の肩に、シートハーネスがほんの少しだけ食い込む。
窓の中で星空がゆっくりと流れ、『ヒュベルボレイオス』が窓の上に隠れる。それと同時に窓の下から赤褐色の球体が上がってきた。
高度3万2千キロメートルのこの軌道から見下ろす惑星ユーロパは、ソル系の同名の天体(たしかソル系の巨大ガス惑星の衛星だ)とは全く似ていない。
今の視点は直径1.1メートルのユーロパ儀を3.2メートル離れたところから眺めるのと同じ。
だから赤道と両極を同時に眺めることが出来る。
一見すると、ユーロパは暦で200年くらい前の火星(ソル/4)に似ている。
大半が赤褐色の砂漠色。左舷側に見える北極と右舷側に見える南極は氷原の白い輝きに覆われている。
真正面に、あるいは真下に見える赤道地帯は、昔の火星と同じく赤褐色の濃淡模様。
そして赤道と両極の間、中緯度地帯のあちこちに青い斑点が散らばっている。改造開始からしばらく経ったころの火星と同様に、湖が散在している。
ただしユーロパの湖は火星の湖と違って、人類が訪れる前から存在している。
そしてもうひとつの違いがある。
この視点から眺めるユーロパの砂漠は、火星のパボニス港から眺めるタルシス山地やソリス高原より強い光を放っている。
それどころか地球(ソル/3)の第2宇宙港、大西洋宇宙港から斜めに見下ろすサハラ砂漠と比べても輝きが強い。
ユーロパの太陽、ヘビ遣い座70番A星は地球と火星の太陽であるソルよりも小さい。
しかしユーロパは太陽に近い軌道を巡っている。だから太陽がユーロパに注ぐ光はソルが地球に注ぐ光よりも強い。ソルが金星(ソル/2)に注ぐ光より少し弱いだけ。
もし地球やターンブル(カーラ/4)がこの軌道にあれば水蒸気の温室効果で金星みたいになってしまうことだろう。
幸いにして、ユーロパは誕生した頃から水が少ない。
だから金星化を免れて、アース・アナログ(地球近似惑星)のひとつとしてここにある。
土着の光合成生物が全ての湖に住んでいて、大気に酸素を供給している。
だから、テラフォーミングせずとも人類が入植できる。
「貴方達の家はどこ?」
背後で介添人の一人、『タイガー・ストライプス』の航法士Bがトウコに尋ねた。
「ゾーイ、ちょっとじっとしていてね。ありがとう。じゃあパティとサラはゾーイの左肩を見て。今イヤリングの横に上がってきた、湖がリング状に並んでいる場所が判る?」
トウコが私のシルエットをポインタにして説明を始めた。
「見えた」
「あれがキーテジ市?」
「湖と湖の間を緑の帯が繋いでいるでしょう、あの緑地がキーテジ市。私とアルの家は、その東のはずれ」
トウコの説明を聞いて、昔から持っている疑問が浮かび上がってきた。
恒星船乗員が引退と共に地上に住まいを定める例は珍しくない。育児休暇を地上で取るものも多い。しかし地球でも火星でもなくここ、ヘビ遣い座70番A星の第3惑星を選ぶものは珍しい。
トウコとアルは結婚を機会にそれぞれの船から降りると決め、新しい暮らしをスタートさせる場所としてこのユーロパを選んだ。
人間が補助具を用いずに地表で暮らしている十三惑星のひとつであり、その中で七番目に人類が暮らし始めた惑星だ。
恒星間植民の歴史が始まってから、地球の暦でおよそ300年になる。
惑星ユーロパが発見されたのは、植民開始のさらに百年以上前のことだ。
つまり21世紀の前半、全人類がソル系の地球に棲んでいた頃にこの惑星は遠隔探査によって発見された。
日当たりのちょうど良い軌道を安定して巡り、なおかつ表面重力が地球とほぼ同じ惑星。
いわゆる「生き物が住めそうな」惑星としては五つ目の発見だった。
当時の人類にとって恒星間飛行は夢でさえ無かったせいか、それらの惑星の多くは長いこと単に番号で呼ばれていた。
しかし、遠隔探査技術はそれなりに進歩していた。
当時の人々は発見された地球型惑星やオーレリアの観測を続け、やがては大気成分を判断できるようになった。
地球型惑星のいくつかは日当りとサイズがちょうど良いだけでなく、大気に水蒸気と多量の酸素を含んでいる事が判った。
そう、酸素を。酸素と言う元素は炭素やケイ素、その他の金属と容易に結合する。それが大気中に安定して存在していると言うことは、何かが惑星上で起きているのだ。
そうでなければ二酸化炭素や二酸化ケイ素と言った安定化合物になってしまうはずだから。
それらの惑星には生物が住んでいる可能性が高いと判断され、当時の人々は資金を持ち寄って巨大なアンテナを建造してメッセージを送り始めた。
まずはラランド21185へ、次いでベッセルへ、タウ・セティへ、ケイドへ、そしてこの、ヘビ遣い座70番Aにも。
電波が往復に要する年数を待っても返事は無かった。
21世紀の後半、軌道エレベータの実用化によって宇宙産業の規模が爆発的に増大し、僅か数十年のうちに恒星間飛行を可能とする二つの技術が形になった。
ホットサイクル核融合炉と、ラムスクープの技術が。
星間探査船が建造され、実地探査が開始されるとすぐに百年来の疑問の答えが出た。
ソル系近傍の星系には「地球の近似」アース・アナログがかなりの割合で存在し、生物が住んでいる。
オーレリアと呼ばれる類の惑星はさらに多く存在し、これにもやはり生物が住んでいる。
しかしそのいずれにも、文明は存在しない。
地球で言う先カンブリア紀に留まっている惑星ばかりで、つまり単細胞生物しかみつからない。
それから三百年以上が過ぎた。
半径百五十光年圏の実地探査データが積み上げられた今日でも遺跡や化石を探しつづけ、開拓にブレーキを掛けるように提唱するものは居る。
しかし現地生命を尊重せよとするものはこの300年ほど、少数派だ。
多数派意見は、近傍傍星系の実地探査結果が出揃った2127年に複数の宗教指導者が連署した教書にある。
要約すれば、「アース・アナログとオーレリアは火星と同じく、人類のために用意された新天地」らしい。
ただし私は連名教書の原文を読んだことは無い。
教書の影響によって多数派認識が形成されたと言う説もある。
どちらが原因でどちらが結果なのかは判らない。
とにかく、恒星間移民が開始されたのだ。
いまや毎年一千万人を超える移民が地球から船出する。恒星船乗りと言う職業がそれなりに成立し、同業者の社会が形成されるほどだ。
私が今日ここで端艇を操縦して元同僚を結婚式の会場へ送ろうとしているのもその一部。
そしてそれは、私が抱いている疑問にオーバラップする。
連名教書の出た数年後には四つの国家連合がそれぞれひとつずつのアース・アナログに対する入植優先権を得ることに決まった。
当時知られていたアース・アナログは六つあったが、ひとつは共同入植地と決められ残るひとつ--厳密にはアース・ツインかもしれないが、陸地がひとつもない--は誰も欲しがらなかった。
同じようにオーレリアのひとつが共同入植地と決まり、ひとつは共同流刑地と決まった。
決定から十年も経たないうちに最初の移民団が出航した。
それが、私が以前から抱いている疑問のひとつだ。
『ヒュベルボレイオス』の同僚たちや他船の乗員も同じ疑問を口にすることがある。
私は一度、恒星間植民の黎明期を知る人物に「なぜ当時の地球人たちはそんなに性急な行動をとったのか」と聞いてみた事がある。
我らが『ヒュベルボレイオス』の船長は「私にも判らない」と短く答えたものだった。
暦では400歳近い我らが船長にも判らない疑問。
つまり、なぜ当時の地球人はもっと地球に似た、もっと住みよい惑星の発見を待たなかったのか。
今で言うアース・ツインの発見を待たなかったのはなぜなのか。
先日、トウコの引越しを手伝うためにキーテジ市まで降りた。
主計士Dによればロシア人にとっての理想郷の名だそうだが、典型的な「暑い方の」アース・アナログの街だった。
要するに地球の砂漠地帯にあるような、雨よりも砂対策を意識した建物ばかりが並び、庭木と言えばナツメヤシかキャロブ。そして水の値段が高い。
キーテジの街で買った水は高かった。
値段を確認して思わず見上げた空は真っ青で、高層に見えるかすかな白い帯以外には雲はひとつも無かった。
ソルよりも低温のはずの太陽が大きくぎらぎらと輝き、水の値段が納得できたものだ。
他のアース・アナログも似たようなもので、誰も欲しがらなかったタウ・セティ/2以外はどれも湖が点在する砂漠惑星だ。
海洋惑星へ改造する話をたまに聞くが、着手したと言う話は聞いたことがない。
たぶんこれから先も、入植者たちは湖の周りにひしめき合って暮らしてゆくのだろう。
なぜ?なぜこんな惑星に住みたがるのか?
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