アキルドにて:訊問、質問
風が強くなってきた。一千メートル下の真っ青な海面にまばらに刻まれていた皺の上に細かい皺が立ちはじめる。
この分では風浪が治まるまで母船の揺れは収まらず、着船できないだろう。
そう考えてバスケット降ろし方を開始したが、ロックを解除しても降りない。どこかが氷結しているらしい。
とりあえずバスケットに入ってゴンドラとの継ぎ目を叩いてみる。三度目にハンマーを叩き込んだのと同時に、ゴンドラとバスケットの継ぎ目が開いた。
風が吹き込み、光が射しこむ。体重が消失する。
一瞬後、私は落下するバスケットの中に浮いていた。
飛行船から見れば、私はバスケットと一緒に落下していることになるだろう。
バスケットの内壁を軽く蹴って床面へと向かいつつ、そんなことを考える余裕があった。
頭上を塞いでいたガス袋が見る見る遠ざかり、飛行船のシルエットに変わる。
船首からぶら下がったヨーラインが風に揺れている。ゴンドラ中央下面にぽっかり空いた穴は、数秒前までこのバスケットが繋がっていた部分だ。
その穴からバスケットまで伸びているワイヤーロープがもうすぐ伸びきる。
バスケットの床に体を引き寄せて手足を突っ張る。バスケットの床がぶれて見えた。叩きつけられる。
軽い衝撃で目が覚めた。
大きく息を吸って、ゆっくりと視線と手足を動かしてみる。痛みは無い。
体の奥でおかしな音がしたりはない。私が転がっている床は、どういうわけか木張りに見える。
起き上がってみる。どうやらすぐ傍のベッドから転落したらしい。
私は窓の無い部屋にいた。見覚えは無い。しかし部屋の間取りや調度はすぐに把握できた。
一人用ベッドだけで半分が占有されている、あまり広いとは言えない部屋だ。
ベッドも椅子も、あらゆる調度が床や壁に作りつけで、トイレのシャワーノズルさえも向きが変えられるだけで引き出せない。
私は似たような部屋に居たことがある。その経験がいつ、どこでのことかは良く判らない。しかし、この部屋と同じ目的の部屋だったはずだ。
ベッドから落ちた理由も判った。
ベッドにはベルトを通すらしい金具が複数あるのに、どういうわけかベルトが見当たらない。さらに椅子にもベルトがついていない。
検分しつつ、気づいた。床や壁面は木目模様だと思っていたが、本物の木張りに見える。この部屋を作ったのはとてつもない富豪らしい。
出入り口はノブの無いドアがひとつあるだけ。いや、その隣に小さな扉があるがこれにもノブはついていない。
小さい扉は差し入れ口だろう。
要するに今居るこの部屋は拘禁室だ。
貯水池とか言う大きな水容器から私を連行したあの人物は、貯水池は遊泳禁止だと言った。
その貯水池で泳いだ私を拘禁し取り調べる必要があるのだろう。
壁を軽く叩いてみると、反響さえ戻ってこないほど分厚いと判った。この部屋を作った何者かは、とにかくコストと重量を掛ける主義らしい。
椅子に腰掛けて数分待つと、足音が近づいてきて小扉が開いた。
「目が覚めたかね」
小扉の向こうに黄色系の男性が顔を見せた。私を拘束した女性と似た服装をしている。
「気分は良いですよ。空腹を除けば」
男性は数秒遅れて反応した。
「や、通じたようで幸いだ。この翻訳機は何年か使っていないのでね。さて、私はこの拠点の駐在保安上級士官だ。これから事情の聞き取りを行うが、答えたくないことは答えなくて良い。食事は今持ってこさせよう」
差し入れられた食事は握り拳サイズの、真っ黒い塊だった。
ひとつ手に取り、匂いをかいで見ると藍藻フィルムと似た匂いがした。表皮をちぎりとって一口かじると、藍藻フィルムに良く似た味がした。
中身は蒸したか茹でたか判らないが、とにかく高温の水と反応させたコメだった。
コメと藻類は覚えている。どこで覚えたものだろうか。つい先ほど夢に見たあの海で?
塊の中心部に赤い魚肉があった。トラウトを塩漬けしたものに似ている。
断面を見てみると、泳いでいたときにはかなり大きな魚だったのだと判った。しかし匂いと食感、味を確認してみるとまさにトラウトの塩漬けだった。
かなり塩がきつい。私たちがトラウトの塩漬けを食べるときには、どうやって塩を抜いていただろうか。そもそもどこで手に入れるものだったか。
藍藻フィルムやコメや魚肉の識別、塩漬けの食べ方。疑問なく心に浮かんでくる。けれど背景情報が思い出せない。
どれも先ほどの夢に繋がっている気がするのだが。考えるうちにも夢が断片的に、不明瞭になってゆく。目を覚ました直後はあれほど明瞭に覚えていたというのに。
けれどまだ、いくつかのことは覚えている。
「では始めようか。まず姓名と年齢、出身地を教えて欲しい」
差し入れ口の向こうで椅子に座ったらしい駐在治安士官が尋ねた。
「名前と年齢は判りません。出身地は、大きな海のある惑星です。ここ……アキルドとは違う星系です。太陽はひとつだけ」
「はい。ではここへの来訪目的は?」
駐在治安士官は特に驚いた様子もなく質問を続けてきた。
「覚えていません」
「ここへどういう方法でやってきたか覚えているかな?」
「気がついたら溺れていました。壁まで泳いで、その上を歩いて北へ向かいました。歩き疲れて休んでいたら日が昇り、それからしばらくしてあなたと同じ服装の女性に発見されて拘束されました」
「貯水池で気がついたのは何時ごろか判るかな?」
「夜明けの8時間から9時間前だと思います」
「時間をどうやって計ったのか教えて欲しい」
駐在治安士官の目が厳しくなったような気がした。
「恒星の角度変化です。天頂近くから水平線近くまで下がりましたから」
「なるほど。今いるこの場所がどこだか判るかね?」
「貯水池からさほど離れていないのであれば、赤道上のどこかです」
「赤道上だと判断する理由は何かな?」
「月の昇る経路と、軌道エレベータの見え方です。観測者つまり私が惑星の赤道上に居る以外は考えにくいです」
「この星へどうやって来たか覚えていれば教えて欲しい」
「……思い出せません。ですが、私はこの星の生まれではありません」
事情の聞き取りは延々と続き、すでに答えた質問が何度も表現を変えて繰り返された。私の回答に揺らぎが無いか確認したのだろう。
「では、そちらから質問などあれば」
「あなた方はいったい何者なんです?どうやってこんなに大きな船を作って動かしているんですか?」
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