アキルドにて:巡査の当惑




  不審者が意識を失ったと言う追加報告はすぐに終わった。


 


 私が口頭報告している間に、後部座席に縛り付けた不審者をパトカーがスキャンし身体基礎情報と状態を駐在所に送信していた。


 


「では巡回を続けてくれ。こちらは視察団員の所在を確認しておく」


 


 回線が切れた。少し拍子抜けした。


 


 


 たぶん、つまらないことだ。ザーラ市からこの赤道第一貯水池と緑化基地を見学に訪れた視察団のひとりが夜半に外出し、貯水池に落ちた。


 


 今は意識を失っているが、パトカーのスキャンによれば緊急を要する状態では無い。


 


 これが緑化阻止派や復元派の妨害工作員だと言うなら少しは緊張感があって面白いのだが、これまでの例から考えて無理がある。


 


 緑化基地から一番近い都市まで二千キロメートル以上もある。その道中、一本の川もなければ水溜りのひとつも無いし、どこを掘っても地下水は沸かない。


 


 惑星アキルドA/4を南北に分断する赤道砂漠帯は、何億年も前に乾ききっている。それより昔には巨大な湖がいくつも存在していたらしく、塩や鉱物なら手に入るがそれだけだ。


 


 赤道砂漠地帯は緑化基地と貯水池を飲み込もうとする最大の敵だが、より小さな敵から守ってくれる防壁でもある。


 


 砂漠を越える現実的な方法は二つ、パイプラインと並行して走る鉄道に乗ってくるか、飛行機をチャーターすることだ。


 


 だが後者を考える必要は無いだろう。飛行機のチャーターなど隠しようが無いうえに、滑走路は駅から見下ろす場所にあって常に大勢の目がある。


 


 前者はそれに比べれば易しい。荷物にまぎれて駅まで密航してきた事例と、基地職員そのものとしてやってきた事例が年に一度は発生している。


 


 しかしそのいずれも、基地職員の中で目立たない外見の人間、要するに日系のものばかりだった。


 


 モニタポストごとに車を停めては警備装置の状況を確認し、次へ向かう。不審者はまだ目を覚まさない。貯水池をほぼ一周したところで、通信機が呼び出し音を発した。停車する。


 


「もう一度人着、スキャンを頼む。ああそれと、拘束状態を徹底確認」


 


 巡査部長の慌てた声をはじめて聞いた。


 


 再度の報告を終えてスキャンデータを送信し、不審者の拘束状態を確認して報告。そして、いったい何があったか聞いてみた。


 


 


「視察団十名全員の所在を確認した。そもそも、人相着衣の一致する団員が居ない」


 


 


 耳を疑った。後部座席を覗き込む。


 


 不審者は中背のコーカソイド男性、気密性のあるオーバーサイズの繋ぎ服を着用。


 


 この緑化基地にいるコーカソイドはザーラから訪れている視察団の十名だけ。


 


 この基地への交通手段ふたつは監視下にあり秘密裏に訪れることはできない。


 


 どれかが間違っている。しかしどれが間違っているのか?


 


 


 保水林を抜けて駐在所に戻ると同僚たちと診療所の医師が待っていた。


 


 とりあえず意識を失ったままの不審者を留置場に運び込む。


 


 診察の間は傍に控えているつもりだったが、「不審者を脱がすから」と言って追い出されてしまった。


 


 自席へ戻り、文書報告を書き終えたところで医師と同僚たちが出てきた。


 


「先生、どうでしょう?」


 


 茶を出しながら聞いてみた。


 


「まだ目を覚ましそうにない。……毛髪に代謝低下剤が残留していた。つい最近まで低温睡眠していたわけだな」


 


「つまり飲み食いもトイレも不要の状態で、貨物列車に潜り込んでやってきたわけですか」


 


 そんな事例は年に一度は起きているが、どれも駅での荷降ろし時に発見されている。


 


「やはり武本もそう考えるか」


 


「だって他に無いじゃない……失礼しました先生」


 


 同期の同僚に気安く答えてしまい、医師に詫びる。


 


「気にしなくて良い。ただ、低温睡眠の継続時間はかなり長い。検査結果が出たら知らせるが、たぶん年単位だ」


 


 


 医師が去り、私は同僚たちと顔を見合わせた。


 


 


「貨物列車に潜り込んでから代謝低下剤を自分に打ったなんて話じゃないわけね」


 


「そうだな、ずいぶん前からあの不審者を低温睡眠状態に準備して持って来たわけだ」


 


「なんでそんなに前から準備したのかな?」


 


「視察団に協力者を得るのに時間が掛かったと言うのはどうだ」


 


 私も同僚たちも、あの不審者は視察団の荷物に潜り込んできたものと考えていた。駅で行われる検査を逃れる方法が他に思いつかない。


 


 


「だとするとずいぶん間の抜けた話だわ。それだけ時間を掛けて準備して、せっかく潜り込ませた工作員は貯水池でへたり込んでいるところを捕まるなんて」


 


「手際の悪いテロリスト、結構なことじゃないか。しかも一目でよそ者と判る人間を使ってくれて、さらに結構だ」


 


「部長にこの話は?」


 


「報告済み。だからこそ、二人とも帰ってこないわけさ」


 


「任意聴取か。なかなか難しそう。……視察団に協力者がいると決め付けて良いのかな?」


 


 念のために疑問を提示してみる。


 


「俺らも含めた基地職員の荷物も、搬入資材も全数検査だ。視察団の荷物に密航してくる以外に、人間が見つからずに駅で降りるのは無理だよ」


 


「そうじゃなくて、視察団自身があの不審者の存在を知らない可能性は無いかってこと」


 


 視察団が自らの荷物をいつどこでどのようにしてコンテナに納め、こちらについてから見学者宿舎でいつ、どのように開封したのか。


 


 それによっては、あの不審者が視察団にも知られずに侵入できた可能性が生じる。


 


「その可能性も含めて、部長たちが聞き取りに行ってるわけさ。ところで武本、飯がまだだろう。時間があるうちに食っておけ」


 


 年長の同僚に指摘され、私は空腹に気づいた。


 


 


 遅くなってしまった朝食を終えて、私はいつものように駐在所の窓から貯水池の方を眺めた。


 


 ここからは貯水池は見えない。


 


 けれども太陽が昇り、保水林の上に霞が掛かっている。その向こうでは貯水池の水が盛大に蒸発し、空へ昇りつつある。


 


 水蒸気は東からの風に吹かれてこの基地の上を越えながら雲になり、午後には西の外輪山にぶつかって雨を降らせる。この惑星の赤道砂漠地帯で雨が降るのは、同じように外輪山の中に貯水池が作られている地域だけだ。


 


 太陽の力によって雨は降る。しかし降らせる雨水は、人の手で極地から運び込まれたものだ。


 


 


 さて時にはこの基地にまで雨が降ることもあるが、今日はどうだろう?


 


 朝の巡回レポートはいつもよりも長いものになったが、それでも一時間と掛からずに終わって暇になってしまった。


 


 


 


 恒星船が実用化され、光年単位の距離を越える移民が開始されてから二百年以上が過ぎた今、人類は多数の星系に移住し現地の惑星に地球と良く似た生態系を作り上げている。


 


 いや、日々作りつつあるのだ。


 


 今日も外輪山の内側では雨が降って、また少しだけ緑が増える。小学校の修学旅行で軌道上から眺めた時と比べても、第一貯水池を取り巻く緑は濃くなっているはずだ。


 


 それは惑星上のほかの場所にも言えること。


 


 曽祖父たちの世代がこの惑星にやってきたとき、緑はなかった。両極の氷原と中緯度地帯に点在する湖を除けば、赤茶けた砂漠が惑星全土を覆っていたのだ。


 


 


 曽祖父たち日系移民は北半球の中緯度地帯にあった大きな湖のほとりに住まいを定め、この湖を扶桑湖と名づけた。そしてイタリア人たちは南半球に見つけた湖のほとりに住まいを定め、この湖をザーラと名づけた。今ではこの惑星の北半球を「扶桑」、南半球を「ザーラ」と呼ぶ慣わしが定着している。


 


 


 曽祖父たちがやってくるよりさらに前。たぶん何億年も昔から、この惑星に点在する湖には光合成生物が発生していて、大気には地球生まれの生物が呼吸できるほどの酸素があった。


 


 しかしこの惑星アキルドA/4原生の生物は陸地には進出していない。


 


 それどころか複数の細胞を持つ高等な生物は発生しておらず、バクテリアだけがこの惑星上の生物だった。要するに生物学者が推測する十億年くらい前の地球から水量を減らしたような状況だった。


 


 そして入植者の手によって十億年を埋める作業、地球化が開始された。


 


 いくつもの湖に地球産のバクテリアとプランクトンが散布されはじめてから、漁獲が始まるまでの間に祖父母が生まれた。

 今では保護地区以外の全ての湖に魚が住み、扶桑湖を始めとする大きな湖には水棲の哺乳類まで住んでいる。


 


 湖のほとりに地衣類を散布することから始まった地表緑化は今でも続いている。


 


 扶桑湖と鋸山連峰に挟まれた扶桑平原には惑星人口の四割、星系人口の三割が住んでいる。私も扶桑市の生まれだ。


 


 緑化の歴史が一番長い扶桑平原でもまだ作業は続行中で、帰省する度に緑が濃くなるのが判るほどだ。


 


 いずれは赤道砂漠帯以外の全土が緑化されることになっているが、ずっと先のことだ。緑化完了を祝うのは十世代くらい先の住人だろう。


 


 そしてたぶん、それを祝わない人々もいるはずだ。


 


 緑化作業への暴力的な抵抗は近年、人類の内部から現れた。


 


 人類が地球でのみ過ごしていた時代の末期のような人類自身の生存環境保全を兼ねたものではなく、もっと激しい思想によるものだ。


 


 原生の生命を尊重し、人類のソル系外への拡大にブレーキを掛けようと主張するものは昔から居る。緑化に際してもそれらは無視されているわけではなく、原生の生物を保護している水族館はこの惑星のあちこちに存在している。


 


 それでは原生生物の保護が不十分とし、人はドームから出ないで生活するべきだと言う主張も入植当時から存在するし、今でも議会に席を占めている。


 


 しかし制約党はあくまでも合法な政党だ。


 


 合法活動に背を向けて、暴力によって主張を行う集団が現れたのは近年のことだ。


 


 三十年前、農業ドームや養殖水槽に頼らずに二千万人の星系人口が賄えるようになった。扶桑とザーラ合同の記念式典の映像は、小学校で何度も見せられたものだ。


 


 そしてそのころから、赤道の貯水池や極地の発電所、両者を繋ぐパイプラインへの破壊行為が行われるようになった。


 


 時期がたまたま一致しただけなのか、何か関係があるのかは私には判らない。

 


 扶桑平原の農地や、湖へのテロが行われていないのも不思議なことだ。彼ら復元党の主張からすれば、地球原産の生物がドームの外で暮らしていること自体が悪であるはずなのだが。


 


 これは南半球、ザーラでも同様なようだ。謎である。


 


 


 そして、今留置場に横たわっているはずの不審者が目下、一番大きな不思議だ。



 あの不審者は太陽が二つあることに驚きを見せた。


 小学校に上がる前、ソル系には太陽がひとつしか無いことを知った時に私は大変な衝撃を感じたらしい。直接は覚えていないのだが、帰省する度に家族や親戚から冷やかされる。


 自分で記録映像を見てみたこともある。ちょうど、あの不審者が二つの太陽に対して見せた驚きに似ている。



 太陽がひとつしか無い世界について知らされた幼児のように、あの不審者は二つの太陽を見て驚きを見せた。


 


 だが、そんなことがありうるだろうか?


 


 この土地の生まれでは無く最近の移民だとしても、恒星船『ヒュベルボレイオス』が寄航して四十万千十七人を下ろしたのは一昨年のことだ。


 


 それ以降は恒星船は訪れておらず、つまりこの星で暮らした時間が一番短い人間でも二年が過ぎている。いまさら二つの太陽に驚くものだろうか。


 


 医師はあの不審者について、数年前から低温睡眠状態にあったと言う。


 


 ソル系で『ヒュベルボレイオス』に乗り込んでから昨夜まで一度も目を覚まさなかった人間が夜明けを迎えれば、二つの太陽に呆然と立ちすくむだろうか。


 


 しかし、復元党がそんな人間を送り込むだろうか。この惑星の状況を何も知らない人間をこの貯水池に送り込んで、いったい何が出来る?


 


 パトカーで何度もスキャンしたが、不審者の体からは組み込み爆弾の類は発見されなかった。


 


 生物系の弾頭とか、そういったものも見つかっていない。パトカーのスキャナに引っかからないような何か、しかもそれを扱うものに予備知識を必要としない高性能な破壊装備があるとしても、留置場のセンサや医師の目を誤魔化せるものではあるまい。


 


 



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