アキルドにて:拘束



 呆然としているうちに足元の水面に陽が射し、今立っている壁は想像よりも遥かに規模が大きいこと、そして船縁では無いと判った。


 


 


 


 壁は大きな弧を描いて広がり、いびつな円か楕円を成して水面を取り囲んでいる。その材質や傾斜は一定では無いらしい。


 


 


 


 向かい側の壁は錆のような赤褐色をしていることが判ったが、遠すぎて傾斜は判らない。少なく見ても数キロメートルは離れている。


 


 


 


 壁に這い上がってから一度も揺れを感じないことが理解できた。これほど大きい船は、津波以外では揺れないだろう。


 


 


 


 こちら側の壁は北へ数百メートル行ったところで石から赤褐色の物質に変わっていることと、傾斜が緩くなっていることは判る。あちらへ泳ぎ着いていればもっと楽に這い上がれたのだろうか。


 


 


 


 大きいほうの太陽が昇るにつれて輝きを増し、小さいほうの太陽が見づらくなった。


 


 


 


 朝焼けは空に広がり、月の輝きは薄れ光の線はもう判然としない。


 


 


 


 陽射しに角度がついて、水面下の様子が見えてきた。心が疲れてしまったのか、もはや驚かなかった。


 


 


 


 私が立っている傾斜した壁は水面下に伸び、やがて平らな底面に繋がっている。その底面がどこまで広がっているのかは見て取れない。


 


 


 


 水面を見渡してみる。水面上で疑問に思った時と同じく、風が吹き続けていると言うのに細波しか立っていない。見わたす限り、波立ちは同じだ。つまり水深はほとんど一定。


 


 


 


 足元に広がっている水面は、一部を切り欠いた円か楕円の形をした、おそらくは石と赤褐色の物質で作られた容器に蓄えられたものなのだ。


 


 


 


 その容器の径は少なくとも数キロメートルあって、その外側に木の並びを巡らせている。


 


 


 


 水深は光が通る程度の深さで、なおかつ風が夜通し吹いても細波しか発生しないくらいの水深。大きく見積もっても十メートルと言うところか。


 


 


 


 だが、誰がこんなものを作ったのか。


 


 


 


 私の知る限り、世界中のどこにもこんな大きな船はない。それは間違いない。これほど多くの石を持っている船主も居ない。


 


 


 


 船主とは何だ?世界とはどこだ?


 


 


 


 私はどこの、誰なのだ?


 


 


 


 


 


"Io faccio quello che qui?"


 


 


 


 背後から鋭い、高い声。


 


 


 


 ゆっくりと振り返ると、こちらへ銃らしいものを向けている姿があった。深い水色をした作業服のようなものを着ている。顔を見ると、黄色系の女性らしいと判った。年齢は良くわからない。


 


 


 


「貴方は英語が話せますか?」


 


 


 


 両手を差し上げてそう言ってみた。


 


 


 


「ザーラに英語圏の人が居たとは知りませんでした」


 


 


 


 相手はそう言って、銃を向けたまま近寄ってきた。


 


 


 


「害意はありません。その武器を下ろしてください」


 


 


 


 女性の答えは、手錠を投げてよこすというものだった。


 


 


 


 私は自らの両手に手錠を嵌めた。少し離れたところに停められていた四輪車両まで歩かされて、その後部座席に固定された。


 


 


 


 車両の塗装は、異形の月の色を強調したような二色だった。


 


 


 


 私の体を固定するその手際があまり良くないことに気づいたが、黙っていた。


 


 


 


「私の手荒な対応をお詫びします。貴方は私の警戒を過剰と考えるでしょう。しかし、こちらは女一人であることが理由です。やむを得ないことをご理解ください」


 


 


 


 発音は流暢だが、言葉使いは奇妙なほど硬い。英語で話しなれていないのかもしれない。


 


 


 


「警戒されるのは当然でしょう。しかしこちらが見知らぬ場所で途方に暮れているということも理解していただきたい」


 


 


 


 とりあえず、思いついた限りで穏やかな表現を選んだ。


 


 


 


「あなたの真の所属と目的を教えていただければ手錠を緩めます」


 


 


 


 わけがわからない。


 


 


 


 太陽が二つあること、座標名らしき「ザーラ」、赤道上だと言うのに涼しいこの海域。ありえないほど巨大な船。


 


 


 


 私が答えるのを待たずに女性は運転席について四輪車を発車させた。ゆっくりと壁の上を走り出す。


 


 


 


「どこへ連行するのですか」


 


 


 


「質問しているのは私です。しかし説明しましょう。私はハプニングにより中断した仕事を再開したのです」


 


 


 


 そう答えた女性はしばらく走ったところで車を停め、壁の上を歩いて検分しはじめた。何か測定器のようなものを取り出して、壁の上面を調べている。


 


 


 


 壁の上にしゃがみこみ、やけに母音の多い言葉で呟いている。


 


 


 


「良いですか?」


 


 


 


「どうぞ」


 


 


 


「その辺りを、何時間か前に私が濡れた体で歩きました。……ここはどこで貴方は何の権限があって私を拘束し、ザーラとは何で、赤道上のこの場所がどうしてこれほど涼しく、風が穏やかなのか」


 


 


 


 憤然と彼女は立ち上がり、この貯水池は遊泳禁止だと告げてからしばらく考え込んだ。


 


 


 


「今、私と貴方がいる場所はフソウ市が所有する赤道第一貯水池の岸辺で、私はフソウ市の巡回士官です」


 


 


 


 女性はこちらを見つめながら、ゆっくりと説明してくれた。私がどう反応するか確かめているのだろうか。


 


 


 


「ザーラとはイタリア系移民が住んでいる場所の地名で、南半球にあります。貴方は理解できましたか?」


 


 


 


「……はい」


 


 


 


 説明は理解したが、それと状況を繋げて理解することが出来ない。いや、理解する方法はある。ある仮定に沿って質問し、回答を得れば良いはずだ。


 


 


 


 どんな答えが戻ってくるのかは見当がついてきた。それを聞く覚悟が出来ない。


 


 


 


 聞いてしまうと、疲れた心にはかなり響きそうだ。


 


 


 


 イタリアは地球上の地名だったような気がする。フソウには聞き覚えが無い。わかったこともある。貯水池とはたぶん、大型の水容器だ。


 


 


 


 この女性は保安要員だろう。


 


 


 


 職掌が水容器の技術上の保安か、人的な面での保安なのかは判らない。


 


 


 


「涼しいと言うのは、貴方の主観でしょう」


 


 


 


 運転席に乗り込みながら女性は回答し、車両を再び走らせ始めた。


 

 先ほどと同じく徒歩より少し早い程度のスピードで走り、時折停車しては壁を調べる。



 これほど大きな容器に漏れが無いか、あるいは誰かが手を加えていないか確認するのは大変な手間に違いない。



 時折車両の後ろに回って何か操作しているようだから、携帯しているもの以外にも測定器を用いているようだ。



 やがて石の被覆は終わり、赤褐色の物質で出来た傾斜壁の上に出た。表面の凹凸が大きいらしく、車体の揺れが大きくなる。しかし振動の角は丸い。赤褐色の物質は石より柔らかいらしい。


 さきほどまで整然と並んでいた石が、ここでは乱雑に積まれて赤い物質で固められたような状態にある。何故赤いのだろう?


 女性が何度か車両を停めて壁の調査を行うのを見ているうちに、間違いに気づいた。


 赤い物質は単に細かい粉と粗い粒が混ざったもので、積み重なった石は重力と摩擦だけで固定されているのだ。そして大きめの粒は石と同じ物質で出来ている。


 たぶん粉末も石と同じ物質をより細かく砕いただけのものだ。色が違って見えるのは大きさの違いによる、散乱効果の違いだろう。


 キロメートルで測るような巨大な水容器を作る集団が作ったものだと考えると不自然なまでに粗放な素材だ。


 人手によらないものだとすれば説明がつく。


「……太陽が二つあるのは何故です。ここは、何処の星系ですか」


 避けてきた言葉を口に出した途端に、視界が揺れだした。

 


「大きい太陽が主星アキルドA、小さい太陽は伴星アキルドBです。ここはアキルドAの第四惑星です」

 


 巡回士官の怪訝そうな言葉の途中からめまいが酷くなった。シートに縛り付けられているというのに、落下する感覚が生じた。



「納得していただけたならもう一度聞きます。貴方はどこの誰ですか」


  わからない、そう答えようとしたが、唇が動く前に視界が真っ暗になった。



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