ドラゴン・パサント ~七番目の息子の七番目の息子〜

かぐろば衽

第一部 王位奪還

第一章 魔道の申し子

第1話 転生者アルール

 今日も死ななかった。


 燭台しょくだいが照らす薄暗い地下室で、ボロ服を着た少年アルールは、大の字になって寝転ぶ。


 彼は現在、十四歳。赤子のころから幽閉ゆうへい生活を強いられた結果、体の線は細く、背もあまり高いとはいえない。

 日の当たらない生活によって肌は青白く、顔立ちは幼くて中性的。

 長く伸びた金髪は無造作にまとめられ、碧眼へきがんは疲労によどんでいた。


「腹へった……」


 食事は日に一度きり。いつもなら陰気な老婆が〝餌場えさば〟から差し込んでくるのだが、すでに七日も途絶えている。

 さいわい水はかめに残っていたものの、それも先ほど飲みきってしまった。

 あとはただ、干からびて死を待つのみだ。


 ひどい人生であった、とアルールは振り返る。

 ずっと閉じ込められているが、その理由をまるで知らない。

 自分が何者なのかもわからずに、この世を去るのだ。


 幼いころに世話役の女性から言葉を習った以後は、自学自習でこの世のことわりを学んだ。

 だがじきに、それもすべて無駄に終わる。

 あまりにも長い時間を浪費した。

 最悪だ。


 悪かった。


「まさか転生十四度目にして、餓死がしでくたばろうとは。この世界はとんだハズレだよ、まったく。外の様子を知りたかったが、もはやこれまでのようだ。せめてとっととお迎えが来てほしいものだね。楽しい来世らいせでも想像して、その時を待つとしようか……」


 しかし残念ながら、あと数日は生き延びると思われた。

 力なく吐息といきがもれ、視界がゆっくり閉ざされていく。


 目をつむればよみがえる、前世ぜんせの記憶。

 忘れもしない。あれは最初の人生にして、最期の日であった。



       * * *



「向こうに秘密の砂浜を見つけたんだ。みんなで行ってみようよ!」


 短い黒髪をした少年は言った。

 のちにアルールと自ら名づけることになる彼の当時の名を、今ここで明かす必要はない。


 眼前にいるふたりの少女のうち、くり色の髪をしたおとなしそうな子は答える。


「どんな所? 危なくはない?」


「心配しなくても平気だって。岩に囲まれていて、外からは見えない場所なんだ。ちょっと森を抜ける必要があるけど、すごくきれいなんだよ。きっとふたりとも気に入るはず。だから早く行こう!」


 目を輝かせるアルールに対し、長い黒髪をした気の強そうな少女はあきれ顔だ。


「そう言って、またとんでもない目にあわせる気なんでしょう。この島に来て、もう六回も怪我けがしそうになったのよ。大人に見つかって怒られるのも時間の問題なんだから」


 三人は長期休暇を利用して、家族と共にある離れ小島へ訪れていた。

 穏やかな子はアルールとひそかに恋の約束を交わし、はつらつとした子は面倒見のいい幼馴染おさななじみ

 みな十四歳で、いつも一緒に遊んでいた。


 説得の甲斐かいあって、大人たちがくつろぐ夕方、隠された浜辺を目指して出発した。

 アルールが先頭となり、手にした枝で蜘蛛くもの巣を振り払って茂みを進む。

 少女たちがケガをしないよう下草を踏みつける彼のすねは、汚れて傷ついた。


 やがて視界が開け、真っ青で美しい海が見えてくる。

 左右に突き出た大岩によって隠された秘密の砂浜。

 真実が明らかになると、少女たちはアルールを押しのけて駆け出した。


「あははっ! がけになってると思ってたのに、こんな場所があったのね!」


 黒髪の少女は砂浜で跳び前転を披露する。

 運動神経は抜群で、アルールよりもよっぽど活発だった。


「すてき。とってもきれい……」


 栗色の髪をした少女は砂浜にしゃがみ込み、きれいな貝殻を拾い始める。

 彼女は勝負事を好まず、普段は読書ばかりしていた。


 少年はふたりを見つめてほほ笑む。どうやらここに来たのは正解だったようだ。


 それから三人は浜辺で共にたわむれ、ひとしきり特別な時間を過ごした。

 じきに各々おのおのが好きなことをするようになり、泳ぎの得意な幼馴染は深場へと向かい、想い人は砂浜からその様子を見守った。


 ふたりを連れてきたことで満足したアルールは、砂浜に寝転んで赤く染まった空を眺める。

 すると、残っていた少女が頭上からのぞきこみ、いたずらそうに笑う。


「泳がないの?」


 幼いころは病弱で水泳に自信のなかったアルールは、生き物を探して岩場の方へ行ってみることにした。

 カニやヤドカリ、イソギンチャクにアメフラシ、名も知らぬ美しい小魚たち……。小さな彼らは、好奇心の強い少年の心を存分に満たしてくれた。


 ふと声がして振り向けば、幼馴染が海中洞窟どうくつを見つけたと言って泳いでいった。

 砂浜に文字を書いていた想い人は、そんな彼女をうれしそうに応援する。

 ふたりの関係は良好で、いつまでもこの時が続けばいいのにとアルールは思った。


 いそ遊びに夢中になっていた少年がその異変に気づいたのは、波の音が強まるのを感じたときだった。

 胸騒ぎがして浜辺に引き返すと、つい先ほどまでいた少女の姿がない。

 慌てて海を見れば、波に流され沖へと運ばれていくではないか。


 ――あの子は泳げない。

 そう思った次の瞬間、アルールは海に飛び込んでいた。

 不得手な泳ぎで必死に彼女を追う。海水を飲んだが、信じられない力が出た。

 ついに少女の手をつかみ、海面に顔を出す。


「大丈夫か!」


「だ、だいじょうぶ……。ごめんなさい、わたし……」


「これは離岸流りがんりゅうだ。なんとか横へ逃げるしかない!」


 次第に波が強くなっていく。おぼれかける彼女を抱きながら、なんとか流れかられようとする。

 しかし、海の脅威から容易に逃げることはかなわない。


 諦めかけたその瞬間、腕をつかまれると同時に幼馴染の声がした。


「しっかりして、ふたりとも!」


「バカ! どうしてお前まで来たんだ!」


「バカはどっちよ! 泳ぎはあたしのほうが得意でしょ。とにかくこのままじゃまずいわ。浮いて助けが来るのを待つのよ」


 口うるさい大人たちが休んでいる時間を選んだ。おまけにここは外洋に面した孤島。これまで船を見掛けたこともない。


 三人で固まって耐える彼らの目に、沖から来る大波が見えた。

 直後、のみ込まれて散り散りになる。


 視界を埋め尽くす水泡の中、少年が伸ばした手の先から少女たちが遠ざかっていく。

 アルールは己のふがいなさを嘆き、激しい後悔の念にかられながら、暗い海の底へと沈んでいった――。



       * * *



 ……それが最初の死だ。

 あまりにもあっけない最期だった。

 おそらくふたりも死んだのだろう。


 回想を終えたアルールは、いつもの現実に戻されてため息をつく。


 あれから程なくして、生前の記憶を有したまま別の惑星で生まれ変わった。

 科学が支配していた最初の世界とは異なり、魔法があった。


 新たなる環境に戸惑いつつも最初に思ったのは、彼女たちもこの星のどこかにいるのではないかという淡い期待。


 魔術を極め、想い人と幼馴染を見つけ出す。その誓いがアルールを強く変えた。


 もとより騎士道物語に登場する偉大なる魔術師に憧れがあった。

 同じ年頃の少年が剣を携えしアーサー王を演じるならば、アルールは迷わずひげの生えた老人マーリンを選んだ。


 夢は現実となり、一歩ずつ着実に知識を蓄えていく。

 どんなにつらい鍛錬たんれんも、彼に近づこうと思えば耐えることができた。


 このままいけば宮廷魔術師にだってなれる。周囲からも期待され、才能を磨く日々。


 だが……またも十四歳で命を落とした。

 それから生と死を繰り返すも、これまで大人になった経験はただの一度もない。

 どんなに警戒していても、呪われたようにいつも十四歳で死ぬのだ。


 初めの死から幾星霜いくせいそう

 これまで十四回もの転生によって、合わせて二百年近くの時を生き、その大半を魔術の習得に費やしてきた。

 生まれ落ちたその日から、他者が生涯かけても到達できない域にまで達していると自負できるほどに。


 そんな彼が求めるのは、〝すべて〟の魔術と〝完全〟なる〝死〟である。

 それゆえ、その三つの意味をあわせもつアルールと自ら名づけた。


 あらゆるすべを用いて、この宇宙、多元世界のいずこかにいるふたりを探し出し、今度こそ人生を全うして終わらせるのだ。


 此度こたびの人生は、生まれてすぐに幽閉され、外界を知らずに育った。

 食事を絶たれ、死は目前に迫っている。


 しかし、この星のどこかに彼女たちもいる可能性があるならば、ここで諦めるわけにはいかない。


「忘れるな、わが名はアルール! すべての魔術を極め、完全な死を求めて時空をさまよう転生者だ!」


 少年はくわと目を見開くとはね起きて、伸ばした手に全身のちからをこめる。


 破壊の呪文。自ら編み出した、大岩をも粉砕する恐るべき魔術。


地霊ノームよ、わが前に立ちふさがる城壁を微塵みじんに打ち砕け。【地爆壊フリドラッド・ダイアル】!」


 勢いで服のすそが舞い上がる。


 …………だが、何も起きない。


「クソッ、せめて魔法が使えれば……」


 この地下室は、極めて強力な魔封じが施されているらしい。あるいはまったく魔法が使えない世界なのか。


 いったい誰がいかなる目的のために、己を閉じ込める必要があったのか。それを知る手立てはここに存在しない。


「腹へった……」


 アルールは再び床へと崩れ落ちた。

 ――くだらない、もうやめだ。

 諦めの境地に達し、意識が遠ざかっていく。


 そんなとき突然、頭上から声がした。


「――さま、起きてください! ――さま!」


「……うん?」


 うっすら瞳を開けると、逆さになった少女の顔が見えた。


 どこかなつかしい面影。かつて同じことをされた記憶があるような……。


「ああ、愛しの君よ。とうとう迎えに来てくれたんだね。どうかわたしを共に喜びの野へと連れていっておくれ……」


「しっかりしてください、イェイアン陛下!」


「誰だそれ?」


 とつぶやいたアルールは、正気を取り戻して上体を起こす。


 よくよく見れば、じつに美しい乙女である。

 腰にまで届く長い青銀せいぎん色の髪、透きとおるような純白の肌、長いまつ毛の下に浮かぶ紺碧こんぺきの瞳。

 古代神官のような衣を身にまとい、頭のてっぺんから爪先まで完璧な美少女だ。


 しかし彼にとって、そんな見た目だけの存在に興味などなかった。

 十四の世界を渡り歩き、美女など腐るほど見てきた。

 魂があの子でなければならない、それ以外の女性に意味はない。

 それが、永遠の十四歳を生きる少年の価値観であった。


 深々とため息をついて、ハッとする。


「な、な、な……なんなんだ君はー!? いったいどこから入ったー??」


 戸惑う彼に、少女は告げる。


「『七番目の息子のセブンス・サン・オブ七番目の息子・ア・セブンス・サン』、イェイアン陛下へいか。十五歳のお誕生日、おめでとうございます!」


「………………はい?」


 アルールには、彼女が何を言っているのかさっぱりわからなかった。

 息子? 陛下?

 王家の七男ということか?

 というか十五歳になった?


 床にへたり込んで間抜けに口を開けながら、ただ呆然ぼうぜんと目の前の少女を見上げた。


 これが、想い人を求めて転生を繰り返す少年にとって、十五番目の世界で起きた始まりの出来事である。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る