【みじかい小説No.10】失われた花

くさかはる@五十音

失われた花

手の内でガラス細工がきらりと光る。

手のひら大のボール状の中に、虹色に光る花が一輪、丸ごと閉じ込められている。

ミコはベッドにうずくまって、そっとそのガラス細工に頬を寄せた。

冷たい――。

次いでゆっくりと唇を寄せて、口づけをする。

やはり冷たい――。

ミコは両手でそのガラス玉を抱えて、祈るように目をつむり、おでこにあてた。

神様、どうか、この苦しみからお救いください――。


フィアンセのユージが、スピードを出しすぎた車に衝突され死んだのは、先週のことであった。

ユージはただ通りを歩いていた。

日曜の昼下がり、なんてことはない午後だった。

買い物客でごった返す目抜き通りの沿道で、ユージはただ、通りを歩いていたのに。

そこへ、突然、猛スピードで車が突っ込んだのだ。

避ける間もなく、ユージを含め、子供を含む五人が巻き込まれた。

車に一番近い位置にいたユージは、即死だったという。

苦しまずに逝ったことが、せめてもの救いか。

ミコはそう思う。

けれど、なぜユージでなければならなかったのか。

なぜあの時、あの場所でなければならなかったのか、ミコには分からない。

神様、なぜ私からユージを取り上げてしまったの。

神様、私はこれからどうして生きていけばいいの。

一週間、ミコはベッドに突っ伏して泣き続けた。

泣き続けて、疲れて、ふと、机の上に置いてあった、ユージとの思い出の品であるガラス細工に目がいったのだった。


このガラス細工は、ユージと一緒に九州へ旅行へ行った際に土産物として揃いで購入したものだった。

きれいだね、と言い合い、中に閉じ込められている花も、互いの好みで別々のものを選んだのだった。

ユージの花は、チューリップに似た形のもので、ミコのものはコスモスに似た形のもので。

手の内のガラス細工を眺めていると、ユージとの思い出ばかりが頭に浮かんでは消えていく。

そうは言っても、ベッドに横になってばかりもいられない。

ミコはえいやと起き上がり、顔を洗った。

歯を磨き、冷蔵庫から食パンを取り出しトーストに入れて焼き、マーガリンを塗って牛乳と一緒に胃に流し込んだ。

食欲は無い。

けれども、このままでは体がなまってしまう。

ミコは思い切って外に出ることにした。


天気は快晴。

筋状の雲が空に模様を描いている、気持ちの良い秋晴れである。

ミコは表情もかたく、近所を歩きだした。

道行く人々が目に入る。

親子連れ、友達連れ、老夫婦、そして、カップル――。

不思議と、一人で歩いている人には目がいかず、誰かと連れ立って歩いている人にばかり目が行く。

私だって――。

私だって、ユージが生きていれば今頃ユージと連れ立って歩いていたんだから。

そんな気持ちが去来する。

それを自覚して、ミコは少しおかしく思う。

ふふ、誰に対して対抗意識を燃やしているんだろう。

何に対してのコンプレックスなんだろう。

けれど。

うらやましくて、ねたましい。

そんな正直な気持ちが、ミコの内側をどす黒く染めると同時に、べったりとコールタールのようにへばりついてはなれない。

秋の気持ちの良い風がミコを通り過ぎてゆく。

すれ違う人々はみな、気持ちよさそうに隣の誰かと話している。

なぜ――。

なぜユージがここにいないの――。

ミコは叫びだしたくなる衝動を抑え、通り沿いのコンビニのトイレに駆け込んだ。

用を足し鏡を見ると、頬は突っ張り、目はぎょろりと開き隈で縁取られ、なるほど酷い顔をしている。

この世の終わりみたいな顔をしてるのね、私――。

「だいじょうぶだよ――。」

声が聞こえる。

ユージの声だ。

「ミコは強いから、大丈夫だよ――。」

幻聴か。

ミコはもう一度鏡を見た。

死んだ魚のような目をした自分の目から、大粒の涙がこぼれた。


どれくらいそうしていただろうか。

ずいぶん長いこと占領してしまったいたコンビニのトイレから出て、ミコは家路を急いだ。

早く、早くあのガラス玉に触れたい――。

ミコは家路を急いだ。

家に帰ると靴を乱暴に脱いで急いで自室へと向かう。

上着を脱いでガラス玉を手に取りベッドに倒れこんだ。

「ユージ…。」

幻聴でもいい、もう一度、声が聞きたい。

ミコはガラス玉を両手で抱え、ひんやりとした表面をおでこにあてた。

しかし声など聞こえはしない。

残酷な現実が突きつけられる。

どうして。

どうして――。

どうしてユージでなければならなかったの。

私はこれからどうやって生きていけばいいの――。


それから一か月が過ぎた。

休んでいた仕事も復帰して、ミコはなんとか日常を取り戻そうとしている。

しかし、今もって就寝時にガラス玉は手放せない。

時間薬とは言うけれど、まだまだ忘れるわけにはいかないもの。

ミコのスマホの待ち受けは、ユージの満面の笑みだ。

寝起きのアラームの音は、ユージと決めたお気に入りの楽曲だ。

おひるごはんはユージの好きだったコンビニ弁当で、夕飯はユージの好きだった献立だ。

まだまだ、生活の中のユージは消えない。

消させない。

消させやしない。

あら。

私ったら、誰と戦っているのかしら。

ミコは時折おかしくなる。


ミコの生活からユージが消えるのは、それから五年ほど経った頃のことである。

ミコはいつものように目覚める。

もう枕元にガラス玉は必要とされていない。

スマホの待ち受けは、飼い始めた猫のミーだ。

目覚めの楽曲は、最近流行りのお気に入りの曲に変わった。

おひるごはんは自分の好きなコンビニ弁当に変わった。

夕飯の献立も、自分の好きなものへと変化した。

生活の中から、ユージの色が消えてゆく。

日常の景色の中から、ユージの匂いが消えてゆく。

これでいいんだろうか。

ミコはふと思う。

私がユージを忘れていくみたいで、うしろめたい気持ちがする。

私が忘れちゃったら、ユージがいなくなっちゃう気がする。

私だけは、忘れてはいけない気がする――。

ミコは思う。

けれど、同時に、ミコはこうも思う。

私がユージのことを忘れることは絶対にない。

絶対に忘れないけれど、日常生活からユージの面影は消えてゆく。

ただそれだけのことなんだ。

私はユージを忘れない。

たぶん、それだけで、いい。

その時、声が聞こえた。

「大丈夫。ミコは強いから――。」

机の上に置かれたガラス玉の中で、閉じ込められた花がきらりと光った。

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