第2話 ケルベロスの乙女心

 地の底にある世界──魔界。そこには悪魔達が暮らしている。

 ベルもエボニーもセピアも魔界の住民、つまりは悪魔である。


 魔界には、リリスという名の美しき無法者がいた。


 リリスは魔界の『治安維持部』に所属していながら、同族である悪魔をたぶらかし、次々に破滅させていった。それどころか、悪魔を文字通りことさえあったと言われている。


 やがて治安維持部から追放されたリリスは、地上へと姿をくらませた。だが、追放されて大人しくなったわけではない。

 今度は地上で人間をたぶらかし、大量の人間を魔界へ堕とすようになったのだ。


 これには魔界も大騒ぎである。

 住民からの止まらない苦情にせっつかれ、治安維持部はついに『リリス討伐とうばつ計画』をスタートさせた。


 選ばれし職員を実行担当として地上に派遣し、リリスを倒させるのだ。

 地上には拠点となる住居を設け、実行担当をサポートする支援担当も派遣した。


 だが、この計画には大きな問題があった。


 それは『リリスが魔王のお気に入りである』ということだ。

 魔王だけではない。くらいの高い悪魔の中には、リリスの熱狂的ファンが数多く存在していた。

 リリスを倒してしまったら、彼らは機嫌を損ねることだろう。


 詰まるところ、リリスを放置するわけにはいかないが、魔王達の手前、のだ。

 葛藤の末に生まれたのが『討伐計画は形だけのもので、実際には何もしない』という暗黙のルールだった。


 地上に派遣された実行担当は、ただ静かに日々を過ごす。

 そして、リリスを倒す気がないと世間に悟られぬよう、50年から100年の周期で代替わりする。

 わたしでは無理そうなので次の方にお任せします、というわけだ。


 ベルことケルベロスは、四代目の実行担当として派遣されてきた。


 彼女も暗黙のルールに従い、何もしないだろう。

 誰もがそう思っていたのだが・・・。



「でもぉ、わたし達の見た目が変わらないこと・・・ご近所さんは不思議に思わないんですかぁ?」


 ベルが二人に尋ねた。

 悪魔が歳をとる速度は嫌になる程ゆっくりだ。50年経っても100年経っても、見た目は変化しない。

 ベルの言う通り、近隣に暮らす人間は奇妙に思うことだろう。


「・・・問題ない。わたしとセピアは人間の認知を操るのが得意なんだ。いくらでも誤魔化せる。だから支援担当に選ばれたんだよ」


「ふぇ~なるほどぉ」


 ベル、エボニー、それにセピアの三人は、ダイニングテーブルでお茶を飲んでいた。

 あの後なんとかベルを落ち着かせ、リリスと戦うにしてもいきなり飛び出すのは得策ではない、と納得させたのだ。

 ベルはナイフをどこかにしまい、可愛い両手で湯呑みを握っていた。


「それに、拠点は定期的に移動するんだ、リリスの行動に合わせて」


「むむっ・・・」


 ベルは眉をひそめると、向かい側に座るエボニーとセピアを上目遣いで見つめた。


「わたしだって事情は分かってますぅ。わたし達は『何もしない』ことになってるんですよねぇ?」


「それは・・・その・・・」


 セピアは落ち着かなげに湯呑みをいじり、エボニーに視線で助けを求めた。

 だが、エボニーは黙りこくっていた。


「・・・」


「むぅ〜でも、わたしはリリスねえさんを本気で討ち取りますぅ。これまでどうだったかなんて・・・関係ないですぅ!」


 ベルはふんっと鼻息を荒くした。


「あのさ、どうしてそんなにリリスを倒したいの? さっきから『姐さん』って呼んでるけど、リリスとはどういう関係なのさ」


 思い切って、エボニーはそう尋ねてみた。


「・・・リリス姐さんが魔界にいた頃、わたしは治安維持部の候補生でしたぁ。姐さんは憧れの先輩だったんですぅ。でも〜・・・」


 ベルは急にほおを赤らめ、もじもじし始めた。


「?」


「今のリリス姐さんはぁ、わたしにとって『恋敵こいがたき』なんですっ! だから、どうしても倒さないといけないんですぅ」


「こ、恋敵?」


 ベルは紅潮した頬を両手で挟み、夢見るように呟いた。


「姐さんを倒して〜・・・をわたしの・・・に・・・えへへ、なんちゃってぇ〜!」


 ボソボソとした声だったので細部は聞き取れなかったが、どうやらベルは本気で言っているようだ。


(恋敵だからって・・・そんな理由でリリスを・・・)


 エボニーは頭を抱えたくなった。


「ベル、分かってるのか? リリスを倒したら大問題になるんだぞ」


「ちょ、ちょっとエボニー・・・」


「・・・分かってますぅ! 魔王様がリリス姐さんの大ファンだから〜ですよね」


「ベルちゃん! それは言っちゃ・・・」


 大っぴらに喋り出した二人を見て、セピアはおろおろと慌てふためいた。


「でも、大丈夫ですよぉ! 魔王様は、倒しちゃ駄目とは言ってないんですからぁ。姐さんを倒したって、魔王様は怒ったりしないと思うんですぅ。う〜ん、すっごく落ち込んじゃうかもしれませんけど〜」


「! それは、確かに・・・」


 ベルの言うことには一理ある。


 実のところ、魔王は『リリスを倒すな』と口に出して言ったわけではない。魔王だって、リリスが討伐されるだけのことはしてきたと、理解しているのだ。


「それに〜エボニーさんとセピアさんはぁ、このままでいいんですか? 地上でず〜っと支援担当をやらされるなんてぇ、嫌じゃないんですか?」


「「うっ・・・!」」


 二人は同時に顔をしかめた。

 痛いところを突かれたからだ。


 実行担当と違い、支援担当に『代替わり』はない。つまり、この計画がスタートしてから、二人はず〜っと地上にいるのだ。


 エボニーもセピアも、実力のある悪魔だ。本来なら今頃、魔界でバリバリ活躍しているはず。

 それなのに支援担当の役目を押し付けられ、地上で終わりの見えない無意味な時間を過ごしている。

 魔界に帰って、もっと意義のある仕事がしたい・・・二人はそう願っていた。


 二人の表情を見て、ベルは瞳を輝かせた。


「あぁ〜やっぱり! このままは嫌なんですよねぇ!」


 エボニーとセピアはゴクリと唾を呑んだ。


 これはチャンスかもしれない、ここから抜け出すチャンス。


 考えてみれば、治安維持部の上司達だってこの不毛なシステムにはうんざりしているはず。誰も言い出せないだけで、本当はもう終わりにしたいと思っているはずだ。


 ベルがリリスを倒してしまった・・・そういうことにすれば、意外に誰からもとがめられないかもしれない。


「エボニーさん、セピアさん!」


 ベルは祈るように両手を組み合わせ、二人に熱い視線を向けた。


「リリス姐さんのことぉ・・・討ち取ってもいいですよねっ?」

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