第9話 ジョンおじさんのプレゼント

 日本語を習うのは人生初ですが、50年ほど前に友達から「いろはにほへと」を聞いたのです。続きと意味が気になって…

 というのは、72歳のジョンさん。私の日本語教室に来た生徒だ。

 ジョンおじさんは教室でただひとりの男性で、しかも聴覚障害がある。まわりはマダムだらけ、先生は子供ほども年下、耳は聞こえない。

 「オトナはできない理由探しの達人」なので、新たな一歩を踏み出せないものと思っていた。

 いやいや、ジョンおじさんを見たら私たちひよっこは、今からアラビア語でも馬頭琴でも何でもやれるよねって思う。勇気に感服するしかない。

 授業はできるだけ大声でやってはいるが、ジョンおじさんは教科書のどこなのか迷子。さっと教科書を指でなぞって「ここですよ」と合図する。

 ある日、「いろはにほへと」の全文と説明が現地語であるのを見つけて持って行った。予想以上に喜んだおじさんは、「次の学期も参加します。先生には恩がありますから」。

 翌週、「プレゼントです」とジョンおじさんがもじもじしながら差し出したのは、白い紙袋。おや、コスメ店の袋だぞ、もしかして買ってきてくれたの?

 70代の生徒と40代の先生、互いに嬉し恥ずかし顔で一緒に紙袋をのぞき込む。

 中にあったのは、人気の最新コスメ…ではなく、A4の印刷用紙と油性マジックと付せんだった。

 「先生がお使いになるかと思いましてね。小さいプレゼントでお恥ずかしい」

 ほんのり、ぬか喜びした己を恥じつつジョンおじさんの気遣いにぽわーっと温かくなる。油性マジックはホワイトボードに使えないけどね、そんなミスさえ愛らしくて、文具店で一生懸命に選ぶ姿を想像する。ありがたい。

 そんなジョンおじさん、今学期は途中から体調不良で休んでいる。回復を祈りながら、あの印刷用紙で教材をプリントしている。

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