第43話

 楽しい誕生日の一日。

私が知らなかった記憶。

「これが、私が呼び出された最後の記憶。ああ、ほんとの最後はユタさんとの実験の日だけど、あの時のことは映像で残っているから、いいわよね。その前のことも、大体のところは聞いたでしょう?」

私が送った覚えがないメールを送ったときのことだ。

そのときのこともユタさんに聞いたから、わかってる。

「他の記憶も返していきたいんだけど……私には愛美めぐみちゃんが何を覚えてて何を覚えてないかがわからないの。だから、愛美ちゃんが知りたい事柄ときを教えて。そしたらその記憶を返すわ」

記憶にないもので知りたいこと。

「……田舎の家に初めて行った時のことが知りたいわ。汲み取り式のお手洗いを見て私が泣いたって、とうさんが言ってたから」

 

 「わかったわ。じゃあ、またおでこをくっつけてくれる?」

コツン……

途端に頭の中に映像が流れ込んできた。

視線の位置がずいぶん低いわ……まだほんとに小さいときなのね。

「愛美、今日はママと三人でお出かけするぞ」

「おでかけ?わぁい。どこどこ?どこにいくの?」

「愛美は田舎のおばあちゃん覚えてるか?」

「おばあちゃん?うーんと……わかんない」

「ははは。覚えてないかぁ。会ったのは愛美が三歳になるかどうか……だったからな。覚えてなくてもしかたがない。おばあちゃんはママのおかあさんだよ」

「ママのおかあさん?ママにもおかあさんがいるの?」

「もちろんさ。さあ、トイレに行ってから車に乗りなさい。ママ、忘れ物はない?」

「多分、大丈夫。お土産は積んだし、今日は日帰りだし」

 

 「さあ、着いたぞ。愛美はすごいな。来る途中、全然寝なかったじゃないか。疲れてないか?」

「だいじょうぶだよ。めぐみちゃん、ねむくなかったよ。おそとがね、ぶーんってとんでいくのがおもしろくって、ずっとみてたの」

「おそとがぶーんってとんでいく??」

「窓から見える景色がどんどん変わっていくって言いたいんじゃないかしら?」

「ああ、なるほどね。ぶーんって飛んでいく……面白い表現をするな、愛美は」

そう言ってパパが私の頭をなでてくれた。

そして片開きのドアを引いて開いて家の中に声をかけた。

「こんにちは。相川です。いらっしゃいますか?」

「あらあらあら。遠いところをようこそ……今日は愛美ちゃんもいっしょかね。こんにちは」

「……こんにちは」

奥から出てきた女性に声をかけられて、私はおずおずと返事をした。

記憶しているよりずっと若いおばあちゃんの姿だ。

「ほらほら、そんなところに立ってないで、あがってあがって。もう、ヒトミが先になってあがってこないで何してるの。あんたの家だった場所でしょう」

 

 「……ここのおうち、ろうかがないの?」

「ああ、そうだよ。昔のおうちは、ここみたいに廊下がなくて、たたみの部屋同士がくっついていることが多かったんだよ」

「めぐみちゃんのおうちには、ろうかがあるよ」

「そうだね、廊下があるね。ほかには何があるか言えるかな?」

「ほかにはね、えっとね~おだいどこがあるでしょ、おふろばがあって、ねんねするへやがあって、ぱぱがおしもとするへやがあって……あれ?」

「おしもとする部屋?」

「多分、お仕事だと思うわ」

「なるほど。ほかは?愛美」

「えっとね、えっとね。あ!おといれがあった。あのね、めぐみちゃん、おしっこいきたい!」

「トイレか……ここのトイレ、愛美が使えるかな?」

「難しいと思うわ。抱えてさせてあげれば大丈夫かもしれないけれど」

 

 「愛美、ここのおうちのトイレはウチのとちょっと……すごく違うんだよ。こっちに来てごらん」

パパは私の手を引いてふすまの一枚を開けた。

「ぱぱ、ろうかがあった」

「これはね、廊下に似てるけど縁側っていうんだよ。ほら、トイレはここにあるよ」

そう言って縁側と呼ばれた場所の奥にある木の扉を引いて開けた。

中をのぞきこんだ私の目に映ったのは、真っ黒い穴が開いた白く光るだ円形のもので……。

その真っ黒い場所が口に見えて……落っこちるんじゃないか、落ちたら食べられちゃうんじゃないかと思って───

「うわぁぁぁぁぁん」

私は大泣きをしてしまった。

「こわいよ、めぐみちゃんこわいよ。おくちにたべられちゃうよ。うわぁぁぁぁん」

ぼろぼろ涙をこぼしながら地団太を踏む。

 

 「こわくないよ、パパが抱っこしててあげるから。おしっこがしたいんだろう?」

「やだやだやだ。おしっこないもん。もう、おしっこないもん」

おしっこを我慢しているのは、本当だった。

我慢できないくらいに……だけど、その黒い穴の近くに行くくらいなら我慢した方がずっといい。

そのくらい怖かった。

「困ったな。こんなに泣かれちゃ、ここでさせるのは無理そうだ」

「庭でさせたらどうかしら?しゃがんですることはできるんだし。ねえ、お母さん、いいでしょう?」

「いいよいいよ。庭のすみのほうでさせてあげなさい」

「ありがとうございます。ほら、愛美。お外でおしっこしよう」

「……うん。めぐみちゃん、おそとでおしっこする」

靴を履いて庭に出て、すみっこのブロック塀のそばに連れて行ってもらった。

下着をおろして地面にしゃがむ。

「さあ、ここならこわくないだろう。ここが今はトイレだから、おしっこしていいよ」

そういわれるのと同時に、私は溜まっていたものを外に出した。

(よかった……おもらししなかった)

家の中に戻っても、その場所の方は見ないようにした。

よりも一番遠い場所、家の隣に建っていた納屋と教えてもらった場所で時間を過ごした。

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