第37話

 「ああ、愛美めぐみが言うとおりだ。マナが愛美を産んだ人でとうさんの妻だった人だよ」

想像していたこととはいえ、とうさんの口から聞くと少しショックだった。

「じゃあ、マナさんが亡くなったから、とうさんはかあさんと再婚したの?」

とうさんは腕組みをして深いため息をついた。

「愛美には、ちゃんと最初から話しておいたがいいな。外村君も聞いてくださいますか?」

「はい、もちろんです」

「どこから話したがいいものか……まあ結婚するところからかな。とうさんが大学を卒業して、ここの役所に勤めだしたのは知っているよな」

「うん」

「同じ役所に、かあさんもマナも勤めていたんだ。マナたちは高校卒業後だったから仕事としては先輩だった。部署はとうさんとは違っていたが、双子の美人姉妹と役所内で噂になっていたから、しょっちゅう覗きにいったんだ。競争相手も多かったが、運よくとうさんはマナと結婚することができた」

「それって、前に伯父さんが言ってたアレ?」

 

 「ああ」

ひとこと言ってお茶を飲んだとうさんは話し始めた。

「結婚してしばらくして妊娠したマナは仕事を辞めた。かあさんは不思議と浮いた噂もないまま役所に勤め続けていた。そして愛美が産まれて……三歳になったころ、マナに病気が見つかった」

「病気?」

「ああ。他人に感染する病気ではなかったが、入院治療が必要でね。だが愛美はまだ小さいし、とうさんは仕事に行かないといけない。田舎の義母は遠方で頼れないからとかあさんが仕事を辞めて愛美を育てる手伝いをしてくれたんだ」

そんなことがあってたんだ。

「そして、愛美が十二歳になる少し前に、マナは亡くなった。だが、かあさんとは……再婚はしていない」

「えっ?どういうことなの?」

「もう愛美も十二歳になるから、家事の手伝いくらいはできるようになっていた……かあさんが仕込んだのだろうが。だから父子家庭でもやっていけるだろうと。いままで愛美を育ててくれたことへの感謝と、かあさんにはかあさんの幸せな家族を持ってもらいたい、そう告げたんだ」

「かあさんは、なんて?」

「断られたよ。大事な妹マナの大事な娘だから、私はこの子を育てあげたいと」

かあさんらしいわ。

そして一度言い出したら、それこそテコでも動かない人。

「だからというわけではないが、かあさんに形だけでも籍を入れて『夫婦』になることを提案したが、それも却下された。愛美の母親はマナだけでいいと」

「じゃあ、かあさんはずっと誰とも結婚しないままだったの?」

とうさんは何も言わずにうなづいた。

「公的な書類以外ではとうさんの……相川の苗字を名乗ってはくれたがな」

 

 「あ、でも。かあさんたちって高卒で役所に勤めだしたって言ってたけど。あの田舎からこの市の役所って勤められるの?」

「かあさんたちは、高校はここの市の高校に行ってたんだよ。寮生活していたらしい。愛美も知ってるとおり、あの田舎には高校がないからね」

そういえばそうだわ。

伯父さんも高校からは家を出て、寮だったり下宿だったりから学校に通ってたと昔話をしてくれていた。

「だから……夫婦ではなかったから、とうさんとかあさんは別々に部屋を持っていたのね」

昔、友達が『両親の寝室が』って言ってた時に『うちは別々だよ』って答えたら『仲が悪いの?』と聞き返されたけど、そういう理由だったんだ。

なんにせよ“マナさん”のことはわかったわ。

 

 「ねえ、じゃあマナさんのお墓ってどこにあるの?今日、田舎の家に行ったけどお墓に名前がなかったから」

「マナの墓は、かあさんと同じところだよ」

「あの納骨堂?」

「ああ」

お骨を納めたのはとうさんだから、私は中を見ていない。

気づかなかったのは当然よね……帰りにちゃんと参りに行こう。

「マナのことは納得したか?」

「うん。ありがとう。わたしにはかあさんと呼べる人がふたりもいたんだね。あと、もうひとつ気になることがあるんだけど、どうさんがわかるなら教えてほしい」

「どんなことだ?」

「あの遺影に使った写真を撮ったのは私だって、とうさん教えてくれたでしょう?その時、私は撮ったことを覚えてないって言ったわよね」

「ああ、そんなことを言ってたな」

「それって、その一度だけじゃないの。小さいころの記憶だとか思い出だとかがほとんどないの。幼稚園とか小学校とかで遠足や修学旅行に行くでしょう?アルバムに残っている写真に私は写っているんだけれど、行った記憶が全然ないの。中学からはちゃんと記憶しているんだけど」

「ど忘れしているだけ、なんじゃないのか?」

「違うわ。つい最近も、同じ現象が起こったんだもの。ね?ユタさん」

 

 私はユタさんに話を振った。

「本当ですか?外村君」

「ええ、ほんとうです。あるちょっとしたきっかけでが出てくるんです。その人格はひと晩寝ると消えてしまう……そして目覚めた愛美さんには、その間の記憶がない」

とうさんは、呆然とした顔をしていた。

でもそれは意外なことを聞いたという顔ではなく、思い当たる節がある、そんなときのとうさんの顔だった。

「それは……子守歌が引き金になっている、と言うんじゃないだろうね?」

「そのとおりよ。厳密にいえばある香りを嗅ぎながら子守歌を聞いた時、なんだけど」

「そうか。大人になっても有効だったとは……ちょっと待ってくれるか」

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