第5話
「記憶がない?そんなことはないだろう?」
「えっとね。記憶がないと言うのもへんかな。かあさんが、私のかあさんだっていうのは、ちゃんとわかっているの。ただ、なんて言えばいいのかな。記憶?思い出?がないの」
「どういうこと?かあさんがこんなこと言ってたとか、こういうことしてたとか、何回か聞いたことあるけど?」
私は、自分が感じた違和感をわかってくれるだろうか?と思いながら話しはじめた。
「えっとね。中学?とか高校くらいからの記憶はあるの。メチャ厳しかったとか。だけど、もっと小さいとき、小学校とか幼稚園とか、そのあたりのかあさんの記憶というか、かあさんとの思い出がないの。お葬式に使った遺影の写真もね、とうさんに聞くと、私の十二歳の誕生日に私が撮った写真らしいの。かあさん写真撮られるの嫌いだったから、その写真以外に正面から写ったのがなくて、それを使ったというんだけど。かあさんの写真嫌いは、私も覚えてるからそんなものかなと思ったけれど。そんな珍しい、レアな写真を撮らせてもらってるのに、その記憶がないの」
ユタさんは、ひととおり聞いた後に言った。
「ど忘れって、いうこともあるんじゃないの?十年以上前のことなんだし」
「うん。そうなんだけど。でもね、子供のころの思い出が、不思議なくらいスッパリ抜けているの。幼稚園の時のこととか小学校のころとか。実家の部屋に、卒業写真とか文集があったから見てみたんだけれど、こんな子いた?みたいなレベルで。遠足も修学旅行も他の行事も覚えてないの」
「不思議な話だな。そんなことってあるのかな」
「わかんないけど。生まれた時から中学生でした~なんて、SFの世界のようなことはありえないから、私にも子供時代はあったはずなんだけど。部分的な記憶喪失とか、若年性健忘症とかだったらどうしようかなって」
「う~ん。オレは医者じゃないから、くわしいことはわからないけれど。一時的に、思い出せてないだけじゃないの?ドラマとか小説では、記憶喪失になった主人公が、なにかのきっかけで記憶を取り戻すというのはよくあるパターンだし。過去の経験とか記憶とかは、脳のどこかに残っているはずだし。いつかまた、ひょんなことで思い出すんじゃないかな?というか忘れていたことも忘れていたんだろう?」
確かに、かあさんのことを改めて考えるまでは、思い出がないということも忘れていた。
「そうだね。あ~あ、かあさんあの世で、恨み言いってないかな。まったく薄情な娘だよ~って」
「そうかもしれないな」
ユタさんがそう言ってくれたおかげか、私は心の中のもやもやが、少し晴れたように感じた。
「それと、ねえユタさん。ユタさんは英語って得意?」
「英語?自慢じゃないが、学生時代はいつも赤点すれすれだった。けど英語がどうかしたの?」
「うん。それがね」
私は、かあさんの持っていた雑誌の中から見つけた薄い冊子をバッグから取り出して、ユタさんに見せた。
「これなんだけど。かあさんの本棚の、趣味で買ってた雑誌の間にはさまっていたの。めくってみたら英語で書いてあって。とうさんによればかあさんは『宝物の詩集』って言ってたって。だから、どんなことが書いてあるのか知りたくて」
「ちょっと見せてもらってもいいかな」
ユタさんは、私が渡した小冊子を手に取って、しげしげと眺めた。
「へえ……懐かしいな。わら半紙じゃないか。これ、手作りなのかな」
「わらばんし?ってなあに?」
「ああ、メグたち世代は使ったことないのかな。わら半紙、ざら紙とも言ってたけれど、オレたちが子供のころは、こういった薄茶の紙で学校のテストとか、配ってもらうプリントが印刷されていたんだよ。今もまだ売ってあるとは思うけれどね」
「そうなんだ。私、紙ってみんな白いかと思ってた」
「今は、白い紙のほうが安く輸入できたり、生産できたりするからね」
「へえ。初めて知ったわ」
「で、中身なんだけど。ごめん。ぜんっぜんわからない。辞書で調べれば、直訳くらいはできると思うけど」
「ううん。ありがとう。さっきのかあさんの思い出じゃないけれど、ゆっくり自分で調べてみるね」
ユタさんは、小冊子の表紙を見ながら言った。
「助けにならなくて悪い。でも、この表紙。表紙の花なら多分わかるよ」
「ほんと!なんていう名前の花なの?」
「おそらくポピーっていう花だと思う。ひなげしと言ったり、虞美人草と言ったりもするけど」
「ありがとう。ちょっと検索してみる」
そう言って私はスマホを取り出して、検索アプリを立ち上げて『ポピー』と入力してみた。
説明文とともに出てきた画像を見る。
「あ!ほんとだ。色はついてないけれど、ここに出てくる写真にそっくり。さすがユタさん!」
そして続けて説明文に目を通した。
【ポピー】
ポピーとは、色とりどりの花を咲かせるケシ科の植物の総称です。
すっと空を向いて咲く様子がかわいらしく、開花期には家族連れでポピー畑を訪れ方も多くいます。
人との関わりが深い植物で、古代人の住居跡からも発見され、現在でもケシの実(ポピーシード)は食用としてあんぱんや松風に使われています。(引用:ホルティ by GreenSnap)
「え?ケシ?ケシって、麻薬がつくれちゃうっていうアレなの?でも食用にもなってるって。それもだけど、あんぱんの上にのってるのってケシの実だったの?私、ずっと胡麻だと思ってた」
「まあ、胡麻がのっているものも、あるからね。それから、同じケシ科の花でも、ポピーは安全なケシで、危険なケシとは葉っぱとか茎の形状が、違っているんだ。まあ、まれに似たものもあるとはいうけれど、花屋さんとかに並んでいるものは、安全なほうのケシだよ」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます