第4話

 持っていた本を置き落ちたものを拾いあげてみると、それは薄茶色のざらざらした紙でできていて、表面にはペンで描いたような一輪の花の絵が描いてあった。

どこかで見たような気がするけども花の名前が思い出せない。

ページをめくってみると、手書きの文字が目に飛び込んできた。

(うわ、もしかして英語?さっぱりわからないや)

英文は短文で、見開き一ページに一行ずつ、それが十ページ。

(とうさんに聞いてみたらわかるかな?)そう思って、他に紛れ込まないように自分のバッグに入れた。

夕食のときに、私は昼間見つけた冊子をとうさんに見せてたずねた。

「とうさん、今日こんなのみつけたんだけど、なにかわかる?」

「どれどれ。ああ、これがかあさんの棺に一緒に入れてあげようと思っていた詩集だ」

「これ、詩集なの?中をちょっと見たけど英語みたいだったよ?」

「そうだよ、英語の詩集。かあさんがどこかから貰ってきて大切にしていたんだ」

「へえ。かあさんと英語が結びつかないけど。これ私がもらっちゃっていいかな?」

「ああ、いいよ」

 

 私は忘れないうちにと、冊子をバッグに入れた。

「あ……それと、かあさんの写真。あれ、いつ撮ったの?」

「遺影のやつか?」

「うん。そう。あんなに真正面からって、撮られるのいつも嫌がってたでしょう?」

「覚えてないのか?おまえの十二歳の誕生日に撮ったんだが。シャッターを押したのはおまえだよ」

「そうなの?全然おぼえてない」

「『私の誕生日の日に、主人公の私がシャッター押してあげるんだからちゃんと正面向いて』なんて屁理屈こねて。かあさん、苦笑しながら正面を向いていたよ」

「私、ほんとにそんなこと言ったの?ぜんっぜん覚えていないんだけど。それはそうと、片づけもだいぶ終わったから、わたし明日いったん帰るね。仕事のことも気になるし」

「ああ。世話になったな。とうさんひとりだったら全然片づいてなかった」

「とうさん、ひとりで大丈夫?」

「ん?なにがだ?」

「ごはんとか、洗濯とか」

「心配するな。これでもかあさんと結婚するまでは一人暮らししてたんだからな」

「そっか。だったらいいんだけど。またちょくちょく帰ってくるね」

 

 そうしてわたしは自分の部屋に戻り、彼に『明日、そっちへ戻るね』とメールを打った。

折り返し『お疲れさん。運転気をつけるんだよ』と返信が来た。

実家に帰っている間、こまごました用事で忙しくて、電話はおろかろくにメールもできていない。

『明日の夜、デートできる?』

『夜と言わず、昼間からでも会えるよ』

『じゃあ、帰り着いたら電話するね。おやすみなさい』

『おやすみ』

 

 翌朝、私はとうさんに時々様子を見に来ると告げ、四日前に走った道を自宅へと戻っていった。

四日前と同じ風景。四日前と違うのはカーステレオから流れてくる音。

先日はラジオだったけれど今日はCD。

ラジオを聴くと、来るときの気持ちを思い出してしまいそうだったから。

アパートに帰り着いた私はまずとうさんに帰宅したことを電話し、次に彼にも電話しようとして、仕事中かもと思い直してメールを打った。

『今、無事に帰り着きました』

しばらくして彼から電話がかかった。

「おかえり。お疲れさま。昼飯食べた?」

「ううん、まだ」

「そうか。じゃあ何か食べに行こう。ちょっと待ってて」

持ち帰った荷物を片づけながら待っていると、彼からアパートの前に着いたという連絡が入った。

 

 部屋を出て彼の車に近づくと、いつもの穏やかな彼の顔が目に入った。

「ただいま」

ドアを開けて、車に乗り込みながら彼に言う。

「おかえり。じゃあ行こうか。メグは何が食べたい?」

メグ……彼は私の愛美めぐみという名前をメグと縮めて呼んでくれている。

家族や友人は愛美や愛美ちゃんとしか呼ばないので、久しぶりにそう呼ばれてうれしくて、なんとなくこそばゆい感じがした。

「ん~。ユタさんは?何か食べたいものある?」

ユタさん、私は彼の名前ゆたかをそう呼んでいた。

最初はユタカさんだったけれど、彼がユタカだけがいいと言い出して。

だけどどうしても年長の人を呼び捨てするのができなかった私が頼んで、ユタさんと呼ばせてもらうようにしたのだ。

「そうだな。パスタかラーメンか。あ、うどんもいいな」

「え~。麺類ばっかりだね。でも私も麺類食べたいから、お蕎麦は?」

「あ~蕎麦。いいね。そうしよう」

彼の運転でよく行くお蕎麦屋さんに着くと、時間がずれていたせいか思ったよりは、お客さんは少なかった。。

空いていた席に座り、彼は天ざるを私は盛そばを頼んだ。

お蕎麦はいつもどおりとても美味しく、蕎麦湯まで楽しんで店をあとにした。

 

 「今日は、時間は大丈夫なんだろう?コーヒーでも飲もうか」

車に乗り込みながら彼がそう言ってきた。

彼の……私の話を聞いてくれる時の、いつもの気遣いだった。

「うん。コーヒー飲みたい」

そしていつも行く喫茶店にむかった。

低い音量でジャズが流れる明るい店内。

マスターが一杯ずつ淹れてくれるコーヒーを、ひと口飲んで彼が口をひらいた。

「いろいろ、大変だったろう?おとうさん、気落ちされてたんじゃないか?」

「うん。多分。でも私には、そんな姿見せまいとしてたのかな。あとは、いろんな手続きとかあって忙しくて、変な言い方だけど、そういうヒマがなかったのかも」

「メグは?大丈夫なのか?」

「私?私は、なんだか実感がわかないというか」

「そうか。そういうものなのかな。親戚の人たちにも会えた?」

「うん。でもウチ、親戚って、もともと少ないから」

そこまで言って、私はお通夜の席から感じていた違和感を、彼に話してみることにした。

「あのね、ユタさん。変なことを言うようだけど、私、かあさんの記憶がないの」

 

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