8.得体の知れないあま味
「にしても、さっきの男の人酔ってましたね」
「うん、そうなんだよね。そんなにたくさん飲んでいるようには見えなかったんだけれど」
「もともと弱かったんじゃね? 女の子の前だと見栄張っちゃうやつだ」
そうだったのだろうか。
疑問に思う点がないわけではないけれど、本当のところは今のわたしたちにわかる術はなく。水面に波紋が生じても、時間が経てばそのうち落ち着くのだ。今回のこともきっとそう、わたしたちはそのうち、こんな些細なことの記憶など薄れてしまうのであろう。この、今のわたしの疑問さえ。
「まあ、良いんじゃないですか。こうして無事だったことだし、それよりナツさん。僕と飲み直しましょう。せっかくご来店くださったんだから」
「お前まだ未成年だろ、ノンアルだぞ」
「わかってますー」
「ナツさんは何にする?」
「うーん、じゃあ、アキくんのオススメで」
「ほー。これはダメ、っていうのは?」
「カクテルなら特にないかな、なんでも好き」
「酒飲みの発言だなあ。了解」
そう言いながら、アキくんは手際よくカクテルを作り出した。その様子は誰から見ても様になっており、こういうのを恰好良いというのだろうな、と感じ取る。
「あ。ナツさんアキに見惚れてましたね」
「見惚れてただなんてそんな。様になっているなあ、と思って。でも格好良いとは思ったよ」
「妬けるなあ。ちゃんと僕のことも見てください」
「……ずるい言い方」
終始、にこやかな様子で隣に座る彼。ふわりとした掴みどころのない笑顔は、どうしてこうも不思議なのか。得体の知れない存在。本当に彼は人間なのだろうか。もしかしたら、宇宙からきた宇宙人なのかもしれない。そう思うほどに。
ふと、カンパネラが聞こえて来た。店に流れるのはピアノの音。耳に届いたジャズ風にアレンジされたそれは心地よい。お酒の香りと、隣に座る彼の香りが入り混じって、本格的に酔ってしまいそうなほど。
「はい、雪国」
「緑色で綺麗。ありがとうございます、いただきます」
ひとくち嗜む。喉が少し熱くなるのを感じて、ああアルコールの度数が高いのだ、とそこで気が付く。しかし甘く飲みやすい口当たりのそれは、雪国という。なぜ、これを選ばれたのか。聞くのは、野暮なのだろうか。
「……美味しい」
「ちょっとアルコールきついかもしれんけど、こういう気分の時には甘口で度数高いのをグイっといきたいかなと思って」
「飲みすぎないようにしてくださいね」
「ハルくんが飲んでいるのは?」
「僕は、ノンアルコールのカクテル。モクテル、っていうらしいですよ」
「モクテル、初めて聞いたかも」
「そうですよね、僕も最初そんな言葉があるんだ、って思いました。ちなみにシャーリーテンプルって言うらしいんですけど、僕はいつもこればっかりです」
「美味しい?」
「美味しいですよ、スッキリしてるというか。飲んでみますか?」
そう言って、わたしにそれを差し出す、彼。この年齢になって、間接的に、同じ部分に唇が触れることに対してなんて、意識をするべきではないのかもしれないけれど。それでもどうしてか、彼相手だとついつい高鳴る鼓動は、どうかしてしまったのだろうか。なにかの病なのだろうか。
そして、緊張しながらそれに口づける。ほんのりジンジャーとレモンの風味が咥内に爽やかな
「美味しい、って顔、してます」
「すごく美味しい、飲みやすいし」
「良かった」
これにアルコールが入っていたらついつい飲みすぎてしまいそう、と思うほどの飲み口に少し恐れながらも、氷がグラスを鳴らす自分の手元のそれを彼へ返した。
そうして、再び口にする緑色の、季節外れの甘い。甘い。いつだったか味わったあの懐かしいひと時のような、甘い。くらくら、まためまいがするほど。その視界の先にいるのは、どうあってもやっぱり、彼なのである。そしてまた、わたしを見て微笑む。内臓が浮くかのような、まるでおかしいどうしようもないわたし。
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