7.荒む心<穏やかな気持ち
わたしは、絶句した。
「酔いすぎじゃないですか、大丈夫ですか」
「うるせーなあ、引っ込んでろよお」
「ほらほら、お水どうぞ、おじさん」
今わたしの目の前で、わたしの取引先の営業の男性、佐々木さんを宥めているのが彼、ハルくんだったからだ。何故、こんな大人が集うバーにいるのか。
佐々木さんは、宥める彼の手を振り払う力もないほどに酔っていた。言われるがまま口元に運ばれた水を飲み、それを口の端から垂れ流していてなんとも、滑稽。
すぐに興津さんが手洗いから戻って来て、すみません、すみません、とわたしや、バーの店主、ハルくんに謝っている。可哀想でならない。そうして勝手に佐々木さんの財布から会計を済ませているところがなんとも彼女らしい強い部分である。
「タクシーつかまえて帰らせます。わたしは送っていくので、木下さん、今夜は本当にごめんなさい。これに懲りず今度はわたしとふたりでお茶でも」
「あ、それ良いですね。また連絡します。……お酒飲んだら楽しくなっちゃうのは仕方ないのでどうぞ、佐々木さんにも気にしないでくださいとお伝えください」
「ありがとうございます、本当にすみませんでした」
そうして興津さんはその小さい体で先輩である佐々木さんをタクシーに放り込むと、共に乗り込んで帰っていった。あれは、明日の朝になったらきっと、佐々木さんはいろいろと思い出して青ざめるに違いない。そして興津さん、彼女はきっと将来、大きくなるだろうな、なんてしょうもないことを考えながら、ふたりを見送ったあとにバーに戻った。
「おかえりなさい」
「ただいま。助けてくれてありがとう」
「どういたしまして。大事に至らなくて良かったです」
「それにしても、どうしてここに? 未成年でしょう」
「お酒は、もちろん飲んでないですよ。未成年なんで」
「それはそうとしても、いつから見てたの?」
「最初から、かな。僕の方がここに入るの、早かったですから」
どういうことなのだろうか。わたしにはわからなかった。
ただ事実であるのは、彼がここにわたしよりも早く来ており、さきほどのやりとりの一部始終見ていた、ということ。めまいがする。
さて、そのめまいというのは何が理由なのだろうか。自分で自分がわからなくなる。見られていたのが嫌だった? 否。仕事の延長だ、こういうこともある。今までだって無いわけではない経験だ。
彼がここにいること? 否。彼がどこにいようとそれは彼の自由である。そしてそれはわたしも同様であり、互いの動向について気になる点などありはしないのだから。
では何故、わたしは今この状況にめまいを感じたのだろうか?
結局のところそれについては答えが出ずに、わたしはバーのカウンターへと座り直した。隣には、取引先の人間ではなく、彼が座っている。
「あまり、お客様に対して口を出すようなことは普段はしないけどさっきのは本当にちょっと、危ない雰囲気醸し出てたね。何事もなくて良かった」
食器を拭きながらそう口にしたのは、カウンターの向こうにいる若い男性。ここの店主である。
「ご迷惑をおかけしてしまってすみませんでした」
「いや、大丈夫。迷惑だなんてことは思っていないし、大変だったすね」
「ほんとだよね、僕が間に入ってなかったらどうなってたことか」
「いやでもよ、今回は相手がああだったから良いけどハルだって殴られてたりした可能性もあんだから、気をつけろよ」
「……あれ、おふたりはお知り合い?」
「ああ、そっか。まだ言っていませんでしたね。ここのオーナー、僕の幼馴染で先輩なんです。シェアハウスの住人でもあるんですよ」
「そう、そう。ハルから話はちょっと聞いてたよ、ナツさん。俺は園田アキ。今後も当店をどうぞご贔屓に」
「ああ、そうだったんだ。こちらこそ、またお邪魔させてください」
「敬語じゃなくて良いっすよ、俺の方が年が下だし。今後付き合いも長くなりそうなんで、お互い堅苦しいのなしで」
「え、お若いとは思ってたけど年下……オーナーされてるなんてご立派。ではお言葉に甘えて、よろしくね」
オーナーの彼は、ハルくんとは少々雰囲気が異なっており、髪は明るくほとんど金髪に近い。コミュニケーション力もかなり高そうに見受けられるのは、所謂、典型的な陽キャ感。それは不思議と、楽しい空間へと誘うのだから大したものだ。
「僕としては行きつけの飲食店、て感じなんです。用事がなければ晩ご飯はだいたいここで食べているので、夕方から入り浸っていることが多くて。だからナツさんよりも早い時間からここにいた、ってわけです」
「ああ、そういうことだったんだ。今日のお夕飯は何を食べたの?」
「アキ特製オムライスです。良かったら今度ご馳走しますね」
「すげーな、勝手に話進めるじゃん。まあいいけど。コイツ用にいつも適当にまかないで作ってるんだけど、良かったらナツさんもいつでもどうぞ」
「楽しみにしてます」
ふたりのやりとりを見ていると、とても穏やかな気持ちになった。彼らの相好が終始穏やかだからだろうか。
会社での人間関係は悪くはないけれど、でもこうした互いを信頼し合える関係性を感じ取れる人同士を見たのは、なんだかすごく久しぶりな気がした。さきほどの出来事もあり少しばかり荒んでいた気持ちが晴れたような気がして、温かくなる胸元。
ああ、わたしにとっても居心地の良い場所だ、と。そう感じた。
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