6.醜いひと
あの日から、連絡を取り合うようになった。数は多くはないが、日常でおきた些細な出来事をお互い送り合う日々。今日のお昼ご飯はなにを食べた、だとか、そういう。
「いってきます、と」
今夜は、あまり気乗りしないが付き合いの長い取引先の営業とバーで飲みながら親睦を深める、という予定になっている。先方の営業は、先輩社員の男性と、後輩社員の女性がふたり。こちら側はわたしと、上司が参加の予定であったが急遽奥さんが産気づいたとかなんとかで代替できる人間もおらず、わたしだけで話を伺ってくることとなった。
お酒は嗜む程度にして、早々に切り上げよう。
そして彼に行ってくる旨のメッセージを送り、目的地へと向かった。すっかり暗くなった空は、街の灯りで儚い光となってはいるものの星がきらきらと瞬いている。明日はきっと、晴れ。
到着したバーはレトロ感漂う、しかし掃除などの手入れがしっかりと行き届いた、まるでブラウン管のテレビの中にセピア色で映っていそうな雰囲気の良いバーだった。カラン、と音を鳴らして開いた扉。カウンターには見慣れた人間が隣り合って座っている。
「こんばんは、お世話になってます。お早いですね。お待たせしてしまいましたか?」
「ああ、木下さんどうも、こんばんは。いえいえぜんぜん、待ってないです。我々もさっき着いたばかりで」
「そうでしたか。おふたりはもう、なにか注文されましたか」
「いえ、まだ」
先輩社員の男性は佐々木さんと言って、年齢は30代半ば。取引を始めてからずっとうちの担当の営業を担っている。小柄な女性は入社して3年ほど、確か年齢は25歳だったか、興津さんという。最近佐々木さんの下に配属されたばかりである。
「本日は小菅が欠席となってしまい……」
「ああ、いいえお気になさらず。たまには木下さんとゆっくり腰を据えて話をしてみたいと思っていたんです」
営業らしく言葉選びが上手で人当たりの良い佐々木さんは、実はわたしは少し苦手だった。いつもにこにこしているが、腹の底ではなにを考えているかわからないような底知れぬ雰囲気があるからだ。口元で笑みを作っていても、その目の奥はいつもぎらぎらと燃え滾っていて、どこか恐ろしい。
一方、興津さんに関しては愛嬌があり、どうも天然な一面が拭えない。嫌味な部分がなく、彼女がこの男の下に配属されたのはそういった面も踏まえてなのではないか、と勘繰ってしまう。
「ところで、先日の商談についてはありがとうございました。助言をいただけてスムーズに進められたこと本当に感謝しています」
「いいえ、とんでもない。経理としての観点から気になった箇所についてお伺いしただけですしこちらとしてもすぐに疑問点が払拭された手腕は流石でした、あちらのシステムで当社のポイント改善が早期に進みそうです」
「木下さんてすごいですよねー、視野が広いっていうか、細かいところにすぐ気が付いて。すごく勉強になります、そういうところ見れば良いんだー、って!」
まあ、わたしの方が社会人経験長いから。彼女は大学を卒業してからの就職のはずだ。わたしは高校を卒業してからそのまま社会人となったため、年齢がそう変わらなくとも彼女より社会人としての経験は多くある。ただそれだけだ。わたしの仕事は誰にだって出来る。
先日の商談についての話を目いっぱい語ったあと、佐々木さんはお酒が入って気分が良いのか今企画中の案件についても話し始めた。それは社外の人間が聞いても良いことなのかどうか怪しくはあったが、別に他言するつもりももちろんない。
興津さんはそんな佐々木さんを見て、飲みすぎですよ、となだめていた。途中佐々木さんが手洗いに立った時、すみません、と先輩のことについて謝れるなんとも良い後輩である。
「あ、木下さんわたしもすみません、ちょっとお手洗いに」
「あ、はい。どうぞ」
そうして、興津さんが席を立ち佐々木さんとふたりになった。佐々木さんはカクテルの中身をすべて飲み干し、わたしを見る。その視線が、気持ち悪いほどぎらぎらしていて。
「木下さん、僕ね、ずっと木下さんのこと良いなって、思ってたんですよ」
「はあ」
「今夜、このあとどうです、もう一軒はしごしませんか。もっと木下さんのことが知りたい。業務的な面じゃなくて……ほら、プライベートなところまで」
「佐々木さん、酔いすぎですよ。目が据わってます」
「そんなこたあない。本気ですよ、ねえ、木下さんももっと飲みましょうよ、楽しくなるくらい」
「……あの、ちょっと」
気持ち悪かった。わたしを見るその視線が、舐めまわすかのようにねっとりとしていて。いつもの貼り付けたような笑みではなく、下品に曲がった口角。興奮して開いた瞳孔。わたしの肩へ伸ばしてくるその手。すべてが、気持ち悪い。
「ちょっとおじさん、お姉さん嫌がってますよ」
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