2.甘く絆されるような痺れ

 どれくらい眠っていたのだろうか。感覚としては、まるでひと月眠り続けたような。しかしきっと、あまり長い時間は経っていないのだと思う。そんなぼんやりとした意識の中、もしかしたら夢を見ていたのかも、と体をゆっくり起こしたが、どうやらここは自宅ではないらしい。ということは、夢ではなかった、ということだ。


 自らの姿を確認する。横になっていたせいか少しはだけてはいたが服は着用したまま。体調に変化もない。そして、ベッドに腰かけている彼もまた、服を脱いだ様子はなかった。




「おはようございます。よく眠れましたか?」


「あ、ええ……わたし、どれくらい寝てたのかな」


「ほんの1時間程度かな。きっと疲れていたんですね。見ず知らずの僕のわがままに付き合わせちゃったし」


「わたしが、ついていってみたくなっただけだから。……ところで、なんのために、ここに?」


「なんのため、かあ。別にセックスしようと思って誘ったわけじゃないんですよ、ふたりきりになれればどこでも良かった。たまたま、結局、ここが都合が良かっただけで。……あ、もちろんお姉さんが寝ている間に済ませたりなんてことはないので」


「あの、それはなんとなくわかってます、大丈夫」


「そう、それなら良かった。それで、ええっと。お姉さんの顔をね、こう、まじまじと見つめたかったっていうか。歩いているところが目に留まって、声をかけずにいられなかったんです。あまりに、惹き込まれたものだから」


「へんなの。面白いね。そういうナンパの仕方は聞いたことがないかも」




 そうですよね、と言って笑った。その笑顔には幼さが垣間見えて、屈託のない純粋なものに思えてなんとなく安堵する。何にも穢されていない、小鬼のような笑顔だった。ああ、おかしい。




「でも、やっぱり僕の目に狂いはなかった」


「そうですか」


「はい。今夜は、ありがとうございました」


「わたし、寝ていただけでなにもしていないのだけれどね。こちらこそありがとう。なんだかとても不思議で、楽しい気持ちになれたよ。素敵なひと時だった」


「そんな。僕の方こそ、とても有意義な時間でした。……帰り、送っていきます」


「ありがとう、でもここからそんなに遠くないから大丈夫」


「残念だけれど、わかりました。きっと、きっとまたすぐに会えます。その時は、僕の方から迎えにいきますね」




 本当に最後まで、不思議な子だったな。そんなことを考えながら歩く帰り道。


 名前も知らない不思議な彼とはホテル前ですぐに別れた。なんだか、非現実的すぎてさっきの出来事はまるっとすべて、やはり夢だったのではないか、と思い直す。あの、脳みそに直接触れられたような痺れは、いったいなんだったのだろう。




「ただいま」




 返事はない。誰もいない自宅は暗く、手探りで明かりをつけてから奥へ進むと鞄を適当に放り投げた。さっきまで人といたせいか、いつもよりもいっそう寂しく感じる部屋。広い家ではないはずだけれど、広く感じてしまうのはいったい何のせいか。ああ、なんだかどっと疲れが押し寄せてきた。気が抜けるといつもこうだ。


 体を動かすことが億劫になる前にこの体をきれいにしよう。


 脱衣所に行くとさっさと服を脱ぎ捨てた。その際、なにかが引っかかる妙な感触。ふと左腕を見る。肘の関節部分より少し下。そうだ、さっきの彼が噛みついた部分。そこには、小さないくつかのイボが集合したような、ぼこっと盛り上がった朱い腫れもの。衣服にひっかかる程度の大きさで、痛みや痒みはいっさい無い。




「なに、これ」




 なんとも妙なそれにぞっとした。もしかしたら瘡蓋のようなもので、とれるかも。そんなことを考えて摘まんでみるが、思っていたより硬い。それをひとたび、がり、とひっかいた瞬間。


 びりびり。彼と見つめ合った瞬間に感じたあの痺れ。酷く甘く、溶けてわたしという存在ごとなくなってしまいそうになるくらいのあの痺れを感じた。くらくらする。


 これにあまり触れてはならないと、感覚的に感じ取った。違和感を覚えることもなく、まるでもともとあったもののような奇妙ささえ孕んでいる。放っておくことにして、わたしはコック捻った。浴槽には湯気が立ち込めて真っ白になり、もう何も見えなかった。

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