4

 湖での一件を思い出す。あの時だって、みんなそれぞれに怖い思いをしたんだわ。でも三人そろったらなんとかなって、無事、元の世界に帰ってくることができた。だから、お嬢さまも私がついていれば――。


 お嬢さまと元の世界に戻らなくちゃ。


 そうでないと、お嬢さまは永遠にこの世界に取り残されてしまうかもしれない。


 永遠に――それはそれでいいんじゃないの?


 私は自分の考えにギョッとした。私は、元の世界に戻ろう。レオとラルフ、スーザンを探して。でもお嬢さまは――お嬢さまがいなくなってしまえば――。


 レオとお嬢さまを引き離すことができるわ。


 もし、二人が親しい仲なら、レオは悲しむ。とても悲しむと思う。でも、悲しみなんてそんなに長くは続かないでしょう? いつかは癒えるわ。そしてお嬢さまを忘れてしまうのだ。


 いいえ、レオとお嬢さまが恋人同士なんてそもそもそれが馬鹿げた妄想よ。でも――でも、お嬢さまは美しいから、レオはそのうちお嬢さまのことを好きになってしまうかも。だから今のうちに、レオからお嬢さまを遠ざけなくっちゃ……。


 何を考えてるの! 私!


 私は立ち上がった。自分自身が恐ろしかった。ここにじっとしていると、もっと悪いこと、もっと邪悪なことを考えてしまいそうだった。


 私は立ち上がり、歩き出す。お嬢さまを探さなくちゃ! お嬢さまを見つけなくちゃ!




――――




「お嬢さま!」


 私は歩き出した。最初はゆっくり、そのうち早足で。やがて小走りになっていく。暗闇の中を、私は夢中で駆けていく。あてもなく、目的地もわからず、でも駆けていく。とにかくここから逃げ出したかった。お嬢さまに会いたかった。


 お嬢さま!


 私の必死の思いが天に通じたのかもしれない。暗い中にうっすらと扉が見えた。あれは――あれは、お嬢さまの部屋の扉!




――――




 私はその扉に飛びつき、そして無我夢中でそれを開いた。転がるように中に入る。そこは……たしかにお嬢さまの寝室だった。


 あまりにも見慣れた光景。私は混乱した。これは現実? 私は元の世界に戻ってきたの?


 でも何か――どこか違うような……。わずかに現実味がない。はっきりとした実体、みたいなものが。


 私はふらふらとベッドへ近づいた。お嬢さまはいるかしら。目を凝らして中をのぞきこむ。


 はたしてお嬢さまは――いた。上半身を起こし、目をはっきりと開けて、私を見ていた。


「お嬢さま……」


 私は動揺した。安堵と、いたたまれない気持ちが同時に押し寄せてきた。その顔を見てほっとしたし、同時に見たくもなかった。私が立ちすくんでいると、お嬢さまは私に声をかけた。


「私のために、走ってきてくれたのね」


 どういうこと? 黙っていると、お嬢さまは続ける。お嬢さまの顔は嬉しそうで、そして声は優しい。


「私のことを心配して、ここまで来てくれたんでしょう?」


 心配? ……そうかな。たしかに、心配の気持ちはあったと思う。でも私は――お嬢さまがいなくなればいいと思って――。


 私は何も言えなかった。いつの間にか目に涙がにじみ、頬にこぼれていた。違うの。私はお嬢さまのためを思ったのではなくて――。


「……あなたは私のことが嫌いだったでしょう? 私にはわかっていたの。でもあなたは――こうしてここに来てくれたから――」


 涙が後から後からこみあげて、私は黙って泣いた。そうよ、お嬢さまのことが嫌いだったの。お嬢さまがレオを奪っていくから。私がここにこうしているのは、お嬢さまのためじゃない。ただ、私は、自分が悪者になりたくなくて――。


 近くで人の気配がした。振り返ると、すぐそばにメリルさんがいる。いつここに入ってきたのだろう。


 私は以前あったことを思い出す。夜中に変な物音がして、スーザンとお嬢さまの部屋に行って、そのときもこうしてメリルさんが現れた。


 メリルさんは私にほとんど注意を払ってなかった。私の隣に並び、そしてお嬢さまを見つめる。その瞳が優しくなり、そして――笑った。私は驚いた。メリルさんの笑顔を見るのは初めてだったから。


 メリルさんはお嬢さまのほうに手を伸ばした。そして微かな、震えるような、けれどもいったん押し込められた愛情が溢れ出すような、か細くも強い声で言った。


「シャーロット」メリルさんの指が、お嬢さまの髪に触れる。「私のかわいい、シャーロット」


 二人が触れた辺りから、光がほとばしった。やわらかな光で、それはしだいに大きくなり、周囲を包んでいく。そして気づけば――お嬢さまもメリルさんも消えていた。




――――




 私の涙はすっかり止まっていた。私は二人が消えたことに驚き、呆然としてベッドを見つめていた。でも何かに呼ばれるように、私は部屋の扉のほうへ振り返った。そしてそこには……お嬢さまがいた。


 お嬢さま! いつの間にそこに移動したの? 私はお嬢さまのほうへ近づいていく。そして違和感に気づく。お嬢さま……なんだか、透けてない? 身体が。


 ふんわりとして軽そうで――足元を見ると、わずかに浮いてる! お嬢さま、幽霊みたい……、ひょっとして幽霊になったの!?

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