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 お嬢さまは怪訝な顔をしている。私の声が妙に固かったせいだろうか。


「知ってるわよ。二人いるでしょう」

「はい。話されたりしたことなどは……」

「ほとんどないわ。会うこともあまり――食事の給仕のときにたまに出てくるくらいね。でも大体はブライスで間に合ってるから。その二人が、どうかしたの?」

「いえ、なんでもございません」


 不思議そうなお嬢さまの顔を見て私は嬉しくなった。レオとお嬢さまが恋人同士なんて、全然ありえないこと! ほんと馬鹿げた空想!


 お嬢さまは嘘を言ってない。お嬢さまは本当に、レオとラルフのことをあまりよく知らない。もしこれが演技だとしたら、お嬢さまはすごい役者だと思う。


 私は心が軽くなって、自分の部屋に戻った。


 でも――それからしばらくして。私は見てしまったんだ……。




――――




 秋は深まり、次第に冬が近づいてきた。色づいた葉っぱは落ち、空気が日に日に寒くなる。そんなある日のことだった。


 お嬢さまのよい傾向は続いていて、その日も一緒に散歩したのだ。うっすらと曇り空の午後のことで、思ったより風が冷たかった。


「温かい上着を取ってきますわ」


 私はそう言ってお屋敷に戻る。お嬢さまを残したまま。そして上着を抱え、小走りでお嬢さまの元へ向かう。


 その時――見たのだ。


 庭の大きな木のそばにお嬢さまはいる。お嬢さまは細っこく、頼りなく見える。そこからいくらか離れたところに――レオだ。


 遠いけれど、わかる。あの長身はレオ。レオはお嬢さまを見ている。お嬢さまはそれに気づいてない。


 私の足が止まる。


 レオは――優しい表情でお嬢さまを見てる。愛おしそうに見てる。この距離からはレオの表情なんてわからないけど、でもきっとそうに違いないと私は思った。なぜか、レオの立ち姿にそんな雰囲気があった。私はお嬢さまのほうへ駆け出した。


「お嬢さま! 帰りましょう!」


 私はきっぱりとお嬢さまに言った。お嬢さまが面食らっている。


「どうしたの、メアリ。何かあったの?」

「寒いじゃないですか。お身体に悪いです。早くお部屋に戻りましょう」


 私は強く言った。お嬢さまは面食らったままだ。


「でも……上着を持ってきてくれたのでしょう?」

「天気が悪くなります」


 私はお嬢さまの腕をつかみ、引っ張るようにして屋敷へと連れていった。


 お嬢さまをこのままここにいさせたくなかった。レオにお嬢さまの姿を見てほしくなかった。一刻も早く、レオの視界からお嬢さまを消したかったのだ――。




――――




 その日はその後も、お嬢さまのお世話をする仕事が残っていた。けれども私は冷静でいられなかった。でもそれを表に出さぬよう、いつもと変わらぬ態度をこころがけていた。上手くいったかどうかはわからないけど。


 夜、お嬢さまの就寝の準備を手伝う。曇り空の一日だったけど、日が沈んでからはさらに風も出てきた。時折強い風が、庭の植物たちをざわざわと揺らす。


「私――ピクニックに行きたいな」

「ピクニック、ですか」


 お嬢さまがお出かけしたがっている。喜ばしい話題なのに、私は冷たい声で返事をしてしまう。


「そう、明日、ね。ほら、大きな湖があるでしょう? そこに――」


 私はちょっぴり笑ってしまった。湖。そこで、以前、怖い目にあった。でもレオが助けてくれて、すごく近くで私たちは寄り添って、レオも私にありがとうって言ってくれて、私は嬉しくって幸せで――。でも遠い昔のことみたい。


「明日はきっとよくない天気でしょう」笑いは一瞬で消えて、また冷たい声で私は言う。「明日は風がもっと強くなっているかもしれませんし、ひょっとしたら雨も降るかもしれません」


「でも私は行きたいのよ」


 私の冷ややかな態度にお嬢さまは気づいているのかいないのか。やや頑なな調子でお嬢さまは私に言った。


「お身体に触ります」


 私は返事をする。お嬢さまがまたそれに答える。


「そんなことはない。私はそんなに弱くないもの」


 私はまた少し笑いたくなってしまった。お嬢さまはようやく、自分がどこも悪くないということに気づいたのだ!


「春になれば」実際には笑うことはなく、私は言った。「春になれば暖かくなります。その時に行かれればよいでしょう?」


 春になれば――レオと二人でピクニックに行くといい。私の頭の中で、お嬢さまはレオの恋人であるという図式がもはや離れなくなって、ほとんど事実と化していた。


 レオと二人で出かければいい。レオと二人きりで。アトキンス先生は、私にお嬢さまの友だちになってほしいって言ってた。でも、お嬢さまにはすでに友だちが――ううん、友だち以上の存在がいるんだもの。レオという恋人が。私なんていなくてもかまわないじゃない。


 そして二人で好きだの愛してるだの言って、思う存分仲良くすればいい。


「でも、明日がいいの。明日なの、明日じゃないと――」


 お嬢さまがぐずぐず言ってる。私はいらいらしてきた。明日がどうしたというの? 明日、何があるというの?


 閉めきった窓の向こうで、風の音が聞こえた。ひゅうひゅうと高鳴り渦を巻き、私の心を落ち着かなくさせる。


 風が――風が吹く。明日はもっと強い風が吹いて、雨も降って――本当に嵐になるかもしれない。

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