4

 泣きたくなってしまう。うつむくと、ふいに声がした。


「メアリ!」


 レオだ! とたんに心が浮き立つ。安心感がおしよせて、太陽は見えないけれども、でも心の中に太陽がぱっと現れたように思った。私は大声で叫んだ。


「レオ! ここよ!」


 私はここよ! 気づいてくれるといいけど、わかってくれるといいけど……私を見つけてくれるといいけど! 心の底から願ったら、それは本物になった。レオが、私の前に現れたのだ!


「メアリ!」

「レオ!」


 気づいたら、レオの胸の中に飛び込んでいた。ぎゅっと抱きしめられて、――それに気づいたという感じ。自分でもびっくりして、でも恥ずかしさより何より安堵が勝って、離れたくなかった。


「一体どうして……」


 頭の上でレオの声がした。「何があったというんだろう」


 レオの声も不安そうで頼りなかった。レオが私を抱きしめているのは、レオも不安だからだろうと思った。だから私も抱きしめ返したくなったけど、さすがにそれはためらわれて、腕の中で小さな声で言った。


「私もわからない。――ラルフはどこなの?」


 ラルフ。レオは見つかったからいいけれど、ラルフはどこに。落ち着いたらとたんに心配になってきた。


「わからない。メアリの声だけ聞こえたんだ。俺たちを呼んでる声がして、こうやって夢中でやってきて――。これは魔物の……」

「魔物なんていないって」


 私は力強く言った。できる限り、だけど。私も頭の中に魔物の存在があった。これは魔物のよくない魔法で、私たちはその中に取り込まれて――。ううん、そんなこと考えちゃだめ。


 私が多少なりとも強気でいられたのは、こうやってレオと寄り添っていたからだと思う。


「そうだな」


 はっとしたようにレオが言った。「まずは、ラルフを見つけよう」明るい声で、精一杯明るく振る舞っているような声で、レオが言って、私から身を離そうとした。


 私もそっとレオから離れた。こうやってここでいつまでもレオとくっついていても動けないし。とはいえ、もうレオに抱きしめられることなんてないんだろうなあと思ったけれど。


 私たちは離れ、向かい合って立って、そしてレオがあらためて私を見て言った。


「ラルフを探そう。きっと無事でいるよ。そして三人でここから出る方法を見つけよう」


 そう言い終えたときだった。とたんに風が巻き起こった。


 同時にぞわぞわとした何かよくないものが周りに立ち込めたように思った。寒い。寒気がする。私の心を不安に騒がせ、波立たせる何かだ。


 レオの顔がこわばっている。おそらく、レオも私と同じようによくないものの気配を感じたにちがいない。


 それはやってくる――。私たちに向かって、近づいてくるように思った。私たちを囲み、怖がらせ、逃げ道をふさぎ、徐々に徐々に、その輪を縮めていく――。嘲笑うように。


「――お前たちなんて怖くないから!」


 レオの大きな声がした。レオは怒っていた。その姿は恐怖と怒りで毛を逆立てた獣を思わせた。レオは怒り、私たちを取り囲む乳白色の世界を睨みつけた。


「怖くなんかない。怖くなんてないんだ。そっちがその気なら、こっちだって、そっちを八つ裂きに――」

「レオ!」


 私は叫んでいた。そしてレオの腕にしがみついた。なんだか悪いことが起こりそうな気がしたからだ。レオが怒って、ひどく怒って、レオじゃなくなって、それは別の何かに――。


「兄さん!」


 そのとき、声がした。ラルフの声だ! 私はほっとして、その声に呼びかけた。


「ラルフ! ここよ!」




――――




 乳白色のもやの向こうに、何かこちらに向かってくる影が見える。もがくように近づいてきて、それはこちらに向かって声をあげる。


「兄さん! メアリ!」

「ラルフ!」


 私は答え、同じようにレオもラルフの名前を呼んだ。私たちはどちらからともなく動き出した。ラルフとおぼしき影に向かって駆けてゆく。


 私たちは近づいて、そしてぶつかるように合流した。お互い抱きしめあうように寄り添って、くっついた。


 ラルフだ! ラルフもいたんだ! 全員無事! でも問題は……ここからどうやって出るかということよね。


「よかった、見つかって。お前の姿が見えないから心配してたんだよ」


 三人でお団子のようにくっついてたのが離れ、レオが笑いながら言った。ラルフも笑った。


「二人の声が聞こえたからさ、一生懸命そちらを目指したんだよ。それにしても……ここはどこ?」


 当然ながら、誰もその疑問に答えられない。みんな黙っている。そして私はあのよくない気配がなくなっていることに気づいた。レオももう怒ってない。


「これは――夢なのよ」


 私は深く考えずに言った。またさっきのように恐ろしいものが現れるのが嫌で、このつかの間の喜ばしい空気を継続したくて、言ったのだ。


「夢?」


 ラルフがきょとんとしている。私は言葉を続ける。


「そう、夢。私たちはいつの間にか湖のほとりで眠ってしまったの。そして、みんな同じ夢を見てるの」


 みんな、じゃなくて、夢を見てるのは私だけかもしれない。ああ、早く目を覚ましたい……。

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