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 そして、ウィストンさまとお嬢さまの前に住んでいた人たちもいて――。私は思い出した。スーザンの話。30年前に悲劇があったという……。


「あ、あの! 30年前に!」


 上ずった声を出してしまった。でも、私が何を言いたいか、すぐにわかってくれたようだ。スミスさんは少し眉をひそめて言った。


「あれはなんだか恐ろしい事件だったねえ……」

「私よく知らないんです。30年前に何があったんですか」

「私だってよくは知らないよ。ただ、あの屋敷の当主が湖に身を投げたんだ。嵐の日でね」

「奥さまは出て行かれ、幼い娘さんは亡くなられたと聞きました」

「そうだよ。それですっかり絶望してしまったんだよ。でもね……なんだかあの人は暗いところがある人でね……」


 スミスさんの声が少し低くなる。私はつい身を乗り出してしまった。


「お知り合いなんですか?」

「知り合いじゃないよ。向こうはお屋敷の旦那さまでこちらはただの農婦だもの。でも噂があったんだよ。あの人は乱暴な人で、自分の妻に暴力を振るってるって」


 私が黙っていると、スミスさんは続けた。


「たしかに……言っちゃあなんだけど、そういう雰囲気のある人だったよ。横柄で、我々には目もくれなくてね。いつも不機嫌そうだった。暗い顔をして、世の中を呪っている、といった感じの……そう、魔術をやってるって話もあった」

「魔術」


 なんだか突飛なものが出てきた。


「黒魔術だよ。よからぬ魔法さ。でもそんなのただの噂だけど。あの屋敷の書斎でね、変な実験を繰り返してるとかで」


 なんだか変わった人が住んでたんだな……今のところ、噂だけど。スミスさんが話を続けている。


「あの屋敷の当主は代々そうなんだ。どういうわけかみな暗い影があってね。屋敷自体もなんだか暗そうだし、そういう、何かよくないものがとりついて……いや」


 スミスさんは私を見て口調を変えた。優しくなって、


「いやでも、今はそうでもないよ。もうあの一族は絶えてしまったからね」


 私をあまり怖がらせてはいけないと思ったのだろう。私はとりあえず、曖昧にほほえんだ。




――――




 農場を出て、私たちはその辺を少しぶらぶらと歩いた。秋の光が穏やかに明るい。けれども私の心はなんだか浮かなかった。


 さっき、スミスさんから聞いたこと。私はお嬢さまのことをほどんど何も知らない――だって、話してくれないんだもの。お嬢さまの力になりたいって思ったのに、相変わらず距離は遠い。アトキンス先生の言うように、お嬢さまのよき友人になって、お嬢さまの暗い気持ちを変えることが……できるのかなあ……。


 それに、30年前の事件も気になっていた。湖に身を投げたという、魔術をやっていたという、お屋敷の前の持ち主。その人が本当に――お屋敷に出てくる幽霊なのかしら。


 そこで私ははっと思い出した。子ども部屋! そうよ、その怪しげな男性には子どもがいたんだ。幼くして亡くなった女の子。あの部屋は――きっと、その女の子の部屋だ。どうして今まで気がつかなかったんだろう。


 あの部屋にあった家具やおもちゃたちの古さもそれで説明がつく。でもどうして、あの部屋は閉ざされ、そしてそのままになってるんだろう。


 あの部屋を今、管理してるのはカーター夫人だよね、たぶん。カーター夫人は、お屋敷の前の持ち主にも仕えていたのかな。だとしたら、その娘さんのことも知ってるはず。娘さんが亡くなって、カーター夫人はなんらかの理由で部屋をそのまま残している……。


 なんでなんだろう。片付けてしまうと悲しいから? とっておきたいものでもあるのかな……。


「ねえ、カーター夫人って、いつからお屋敷にいるの?」


 私はレオとラルフに訊いた。ラルフが一瞬、動揺したのがわかった。レオは目をそらしただけだった。


「えっと……あまりよく知らないんだよ……。僕らはまだここに来て日が浅いから……」


 あやふやな口調で、ラルフが答えた。レオが少し離れたところから言った。


「一年前。ここに来たのは」

「うん。だから、その前のことはよくわからない……」


 そうね。カーター夫人はおしゃべりな人ではないし。ブライスさんも。でもラルフはなぜ、少し動揺したのだろう。気になって、顔を見たけれど、でもそのような様子はもう消えていた。


「まだ少し時間があるよ。どこ行く?」


 話を変えるように明るく、ラルフは私に尋ねた。私は、あまり考えもせず答えていた。


「湖」


 それは私が望んだわけじゃなくて、一人で自然に出てきたような言葉で、言った自分もびっくりしてしまった。湖。お屋敷の前の旦那さまが身を投げたという湖。さっきあんな話聞いちゃったから、頭に残っていたんだ……。


「えっと……それは、スミスさんの話に出てた?」


 戸惑うようにラルフは言った。私はうなずく。


「その湖。たしか、そこには魔物がいるって……」


 スーザンがそんなことを言っていた。今ふと思い出した。なんだか――ちょっと怖くなってきたじゃない。日差しさえも陰ったような気がする。気がするだけだけど。

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