3

 とりあえず、下に行こう。私たちは、狭い使用人階段を降りていった。


 2階についたときに、ふと、お嬢さまのことが気になった。お嬢さま、無事かな……。この音に気づいているかな。それとも寝てるかな。


「ね、お嬢さまの様子を見ていかない?」


 私はスーザンに声をかけた。スーザンが大げさに驚く表情をした。


「レオはいいの?」

「あのねえ……」

「いいわ、お嬢さまのところに行きましょう。私も……行ったほうがいいと思うの」


 スーザンの顔が真面目になった。


「よくない……ほんとよくないものがいるわ。お嬢さまのことが少し心配ね」

「じゃ、行きましょう」


 スーザンの言葉を聞いて、私も不安になってきた。私たちは、足早に、お嬢さまの部屋を目指す。


 そして、お嬢さまの寝室の扉を開けた。


 室内は、静かだ。月明りがわずかに差し込む、灰色の世界。私たちのろうそくは小さくて頼りない。お嬢さまの大きなベッドが闇に包まれている。お嬢さまはきっとその中で眠っているのだろう。


 暗いからよくわからないけれど、とりあえず、異変は何もないようだ。ほっとしていると、大きな音がした。


「何!?」


 びっくりして声をあげてしまう。隣のスーザンに寄り添った。スーザンも身を固くしていた。


 それは部屋のすみから聞こえてきたように思った。まったく明りが差し込まない、こごったような闇がそこにある。闇の中から、なにか、見えないものが立ち上がったように思った。


 また、物音だ。これは――足音。この部屋に誰かいる。姿は見えないけれど、足音だけはする。


 部屋のすみから立ち上がったそれは――姿の見えないそれは――ゆっくりと移動していた。コツン、コツンと音を立てて、お嬢さまのベッドに近づいていた。よくないもの――邪悪なもの――。それはお嬢さまに近づこうとしている。……悪意を持って。


「お嬢さま!」


 私は持っていたろうそくを近くの戸棚の上に置いて、お嬢さまのほうへと駆け寄った。私のほうが早くつく、あのよくわからないものよりも。私はすぐに、お嬢さまのベッドのそばまでたどりついた。


 音が、やんだ。


 自分が汗をかいていることに気づいた。少しの間、凍ったようにそこに立ち尽くしていると、ベッドの中から声がした。


「……メアリ?」


 お嬢さまの声だ! ベッドをのぞくと、お嬢さまが、身を起こそうとしていた。


「……どうしたの、こんな夜中に」

「大丈夫ですか!?」


 説明もなく、尋ねてしまう。お嬢さまが不安そうな声で返した。


「何があったの? 私は……怖い夢を見ていて……」


 怖い夢……さっきの幽霊(?)と関係があるのだろうか。ともかくお嬢さまを安心させようと口を開きかけたとき、すぐ隣で声がした。


「お嬢さま、メアリは大したメイドなのですよ」


 びっくりしてとびあがりそうになってしまった。でも恐れることはなかった。声の主はスーザンだった。いつの間にかそばに来ている。


 スーザンの声には少し面白がるような笑いが混じっていた。


「今晩、私たちは不審な物音を聞いたのです。それで、屋敷内を見まわりに行くことになりました。忠実なメイドであるメアリは真っ先にお嬢さまの心配をしたのです。彼女はお嬢さまの寝室を訪れ、そこで何やら怪しい物音を聞いたために、お嬢さまを守りたい一心でベッドに駆け寄り――」


「怪しい物音?」お嬢さまの声が怯えている。「――何があったの?」


 どこまで正直に話すべきか、私は迷った。そもそも私自身もわからない。音は消えてしまったけど、あれはなんだったのか? 姿の見えない何かが現れてお嬢さまに近づこうとしたように思ったけれど、あれは一体――。……あれは、幽霊なの?


 幽霊なんて言ったら、お嬢さまをますます怖がらせてしまう。私は適当に話をごまかすことにした。


「ねずみだったみたいです」私は明るく言った。「大きなねずみが夜中の運動会をしていたようです。私が追っ払っておきました」


 ねずみも……まあそれなりに恐ろしいけれど、幽霊よりはマシじゃない?


「そうなの」ほっとしたお嬢さまの声がした。暗いからよくわからないけれど、少し――ほほえんでるような気もする。これはとても今までにないことでは?


「メアリ」お嬢さまが私を呼んだ。いつになく、真摯な声だった。「あなたは、勇敢ね」


 勇敢。うむ。私、ほめられたみたい。単純なんだけど、いい気持ちになってしまう。それにこんなに素直なお嬢さまなんて今まで見たことない。私は嬉しくなってしまった。


「ええ、私、勇敢なんです」少しおどけて、私は言った。どうよ。私は役に立つメイドじゃない? 勇敢で――お嬢さまを守ったわ。胸をはって、私は続けた。「今後もお嬢さまをお守りしますわ」


「……勇敢であると同時に、多少、ふしだらな部分も――」


 水を差すようにスーザンが言った。私はひじで彼女をつついて黙らせる。ふしだら、ってレオのことか。まだ、その話をするかな。


 その時、背後で声がした。驚いて振り返ると、そこにメリルさんが立っていた。


「あなたたち、何をやっているのですか」


 厳しい、メリルさんの声。そういえば、メリルさんの部屋はお嬢さまの部屋の近くにあるのだ。

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