2

「え?」


 私は足を止めた。小さな小さな、かろうじて聞こえる声で、私に言ったのではないように思われた。でも私は聞き返した。


「あの……何かおっしゃいましたか?」

「何も。もう用はないわ。下がっていいわよ」


 お嬢さまの声は強く、いいわよ、ではなく、下がりなさい、という命令に聞こえた。そこで私は部屋を出たのだった。扉を締めて、そして気になってしまう。


「叔父じゃない」って……どういうことなの? ウィンストンさまとお嬢さまは、叔父と姪の関係ではないの?


 スーザンはレオとラルフが兄弟かどうか疑ってるし。このお屋敷はよくわからないことだらけだ。


 また、こんなこともあった。その日はぼそぼそと雨が降る、暗い日だった。少し風も出ていて、私はお嬢さまの朝の支度を手伝っていた。風に乗った雨が窓に降りつける。それを気にしていると、お嬢さまは言った。


「――私は、死ぬの」


 何を言ってるんだろう? と私は手を止める。お嬢さまも窓を見ている。


「……もっと風が吹いて……暗くて雨が降って……。そんな日に、私はまた死ぬの」

「不吉なことをおっしゃらないでください」


 私はなんだか少しむっとして、お嬢さまに言った。お嬢さまはかすかに、笑っただけだった。


 死ぬだなんて、そういうことはあんまり口に出してほしくない。それにしても――「また死ぬ」? 

 

「また」って、どういうこと? まるで、一度死んだことがあるみたい。


 お嬢さまと仲良くなれるか、私は自信がなくなってきたなあ……。




――――




 ある晩のことだった。私はベッドの中でふと目を覚ました。辺りは暗い。まだ真夜中のようだ。


 なぜ目が覚めたのだろうとぼんやりと考えて――はたとわかった。物音がするのだ。遠くから、足音のような――。これ、前にも聞いたことがあるような――。……これって、ひょっとして、幽霊じゃない!?


 きっと、空耳よ、と思ってふとんにもぐりこんだ。けれども音はやまない。眠ろうとしたけれどもそれも無理。私は耐えられなくなってベッドから飛び出した。


 隣のベッドに寝ているスーザンに声をかけた。


「……スーザン。変な音がするの」


 カーテンのすき間から月明りが差し込んで、部屋はうっすらと灰色だった。スーザンは私の声を聞いて、眉を寄せた。


「……何?」

「変な音よ。足音みたいな……。これ幽霊!?」


 最初は小さな声だったのだけど、次第に興奮して大きくなってしまう。スーザンがしぶしぶといった表情で目を開けた。


「また出たの?」

「また、って、前のときもやっぱり幽霊だったの!?」

「そう言ったじゃない。でもあれはそんなに恐ろしいものではなかった。でもこれは…」


 スーザンはそう言って起き上がった。何かを探るみたいに首を伸ばす。そして、固い口調で静かに言った。


「これは……嫌なものね」

「嫌なものって……」

「この前のはさほど脅威を感じなかった。でもこれは違う。もっと力が大きくなって……もっと邪悪なものよ」


 邪悪? 恐怖が胸の内にわきあがり、私はスーザンに抱きつきたくなった。でも嫌がられそうだからやめたけど。私は両手を交差して、腕をおさえた。自分で自分を抱きしめるみたいに。


「あ……、あのね、幽霊じゃないかも……」


 怖くて、幽霊のことは考えたくなくて、黙ってるのも怖くて、私は無理に口を開いた。


「幽霊よ」


 冷静にスーザンは言った。妙に落ち着いてて……スーザンさえもなんだか怖いよ……。


「泥棒!」私は大きな声で言った。「そう、泥棒よ! これは泥棒の物音!」


「なるほど」


 言葉とはうらはらに、スーザンは私の意見に同意してないみたいだった。音は続いている。心なしか少し大きくなったような……。幽霊かもしれないけれど、泥棒が歩き回っている音かもしれない。


 幽霊と泥棒、どっちがマシなんだろう。泥棒は物を盗っていくし、場合によっては、そこの家の人に危害を与えることもある。幽霊は……危害を与えることはあるかもしれないけど、物は盗っていかないんじゃないかな……どうなんだろう。


 まとまりもなく、変なことを考えている。私はスーザンに近づいた。


「泥棒だったら……大変よね。ちょっと下に見にいってみない?」

「わあ、それはすごい」


 スーザンの口調が棒読みだ。かまわず私は続ける。


「応援を呼んでくるの……。ほら、下にはブライスさんやカーター夫人がいるじゃない?」

「レオの部屋も地下にあるわね」


 スーザンがレオの名前を出して、私はドキンとした。そう、たしかに、レオとラルフの部屋が地下にある。


 スーザンが穏やかに私を見上げた。


「レオの部屋に行く口実になるわね。泥棒が出たみたいなの、助けてって」

「口実?」

「なんならそのままそこに一泊してもいいかもしれない」

「スーザン!」


 私は声を上げた。早口に否定をした。


「あのね、そういうんじゃないから! 私はただ、何が起きてるのか知りたいから……!」


「あなたが行くんなら、私も行くわ」そう言って、スーザンはベッドから出た。「同僚のメイドが不埒な行為に及ぼうとしているのを、見過ごすわけにはいかないじゃない?」


 ……ああ、もう! 勝手に誤解でもなんでもしといてほしい!!




――――




 ろうそくを手に持って、私とスーザンはそっと部屋を出た。物音は続いている。近く、ときには遠く。出所を探ろうと、廊下で耳をすましたけれど、よくわからない。

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