2. 閉ざされた過去
1
その夜以降、幽霊? が現れることはなかった。春が終わり初夏の緑の季節となり、私もこのお屋敷での仕事に慣れてきた。平穏無事な日々が続く。
でも……。好転しない事態というのもある。
お嬢さまは心を閉ざしたままだし、メリルさんは笑わないし、カーター夫人は素っ気ないし、ブライスさんは悲しそうだし。ウィンストンさまは会うことがないからどうされてるかもわからない。
……レオとの距離も縮まらないし……。でも、ラルフはいい人! スーザンもなかなか良い同僚だと思う。
ある晴れた午前に、アトキンス先生がやってきた。
アトキンス先生は村に住むお医者さんで、ウィンストンさまの主治医だ。定期的にお屋敷にやってくる。今日は、お嬢さまのところに顔を出した。よくあることだけど、お嬢さまが、気分がすぐれないと言ってるからだ。
「悪いところは特にないよ」
ベッドの中で上半身を起こしたお嬢さまに、アトキンス先生は言った。アトキンス先生はまだ30代で、ぽっちゃりとした身体に丸い顔をしている。優しそうな濃いブルーの目をした人だ。
お嬢さまは黙っている。アトキンス先生は窓の外を見た。
「今日はいい天気だよ。たまには外に出てみない?」
お嬢さまは黙ったままだ。うつむき、窓の外を見ようともしない。お嬢さまはそのままぽつりと言った。
「外は嫌いなの」
「いい季節なのに」
「……」
沈黙。ああ、お嬢さまっていつもこうなのだ……。アトキンス先生は穏やかに、話を続ける。
「庭だけでも。ここの庭はとても綺麗だよ。テーブルや椅子を出してさ、たまには外でお茶をしようよ」
いいかも! この、暑くもなく寒くもない季節、鮮やかな緑の中でお茶をするのはとてもいいと思う! 私はメイドだから、一緒にテーブルでお茶を飲む、というわけにはいかないけど……。
お嬢さまは固い表情で呟くように言った。
「……私、身体が悪いの」
「それは君が勝手にそう思ってるだけだよ」
「ううん、違うの。私――私は、大人になれない」
「そんなことないよ」穏やかなまま、だけどきっぱりアトキンス先生は否定した。「君は大人になれる。大人になる。素晴らしい大人になるよ」
「……どうやったらなれるの?」
「たくさん笑ってたくさん遊んで。そしてたくさん食べてたくさん眠る。それだけだよ」アトキンス先生は言って、そして茶化すようにつけくわえた。「あとはまあ、たまには勉強もね」
お嬢さまの部屋を出て、アトキンス先生をお見送りするために、私も一緒に玄関まで向かう。階段を降りながら、先生が言った。
「本当に――どこも悪くないんだよ。身体はね。要は心の問題なんだ。誰か、友だちでもいればいいと思うのだけど……」
そう言って、先生は私のほうを振り返った。
「君が、彼女の友だちになってくれないか?」
「私が、ですか?」
でも私はメイドで、お嬢さまはお嬢さまなので――「身分の差が……」
ためらう私に、アトキンス先生は明るく言った。
「そんなこと気にすることはないよ! 君が仲良くしてくれれば、どれだけ彼女の心の支えになるか」
「あ、あの! 私、頑張ります!」
私は思わず背筋を伸ばして、いきおいこんで言ってしまった。期待されてるんだというのが嬉しくもあったし、私もお嬢さまと仲良くなりたかったから。
そうよ。お嬢さまと仲良くなったら。お嬢さまが今のような暗い方じゃなくなって、明るく楽しい方になったら。そして、私たちは、あれこれおしゃべりなどに花を咲かせて、庭を散策して、時には馬車で町まで出かけて、お嬢さまのお買い物を手伝って……。
ああ、それはいいなあ。アトキンス先生は、お嬢さまは素晴らしい大人になるって言ってたけど、きっとそうなると思う、美しい女性になると思う!
だって今でも、綺麗な顔立ちをしているんだもの。私はそんなお嬢さまに仕えて、美しさに磨きをかけるお手伝いをして、そのうちお嬢さまに言い寄る男性がわらわら現れて――。
未来を想像して楽しくなってしまった。
――――
そうはいうものの。さて。問題はお嬢さまとどう仲良くなるかということ。これがわからない。
お嬢さまの喜ぶ話題って何? お嬢さまは何が好きなの?
それとなく探ってみたけれど、かんばしい答えは返ってこない。そもそもお嬢さまは口数が少ない。
一つ、わかったことがあった。お嬢さまはたぶん、動物がお好きだ。お屋敷の庭にかわいいうさぎが現れて、それを話題にしたとき、お嬢さまは少し興味を示した。でも少しだけ。
うーん、私がうさぎの楽しいお話でも作ってお嬢さまに披露してみようかな。……うっとうしがられるか。
一度、ウィンストンさまの話題になったことがあった。この話題をしてもいいのか、私はためらった。ウィンストンさまのご病気のことに触れれば、お嬢さまをさらに暗くしてしまいそうな気がするし……。けれどもお嬢さまは話にあまり乗ってこなかった。
ちょうどお休み前で、お嬢さまはすでにベッドに横たわっていた。ウィンストンさまの話が広がらなかったことに私は多少ほっとして、部屋を出ようとしていた。そのとき、ぽつんとお嬢さまが言った。
「……あの人……私の叔父じゃない」
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