第6話 招待状
特別個体討伐任務を終えた日の夜、アルヴィー社は、いつもより少し賑やかだった。とても危険な任務だった故に報酬も多く、ルーグとスノの活躍が高く評価されたことも相まって、アルヴィーの提案で、2人をねぎらうための小さなパーティーが食堂で開かれていた。いつもより豪華な食事がふるまわれ、いつもなら仕事に出かけているポポも同席していた。しかし食堂のめでたい空気感とは対照的に、ルーグの顔は曇っていた。
「あら、もういいの?」
食器を片付けようとしていたルーグに、スノが声をかける。
「ああ…ちょっと食欲がなくて…」
「大丈夫?昼間から調子が悪そうだったけど。」
「平気だ…ちょっと自室で休む…」
ルーグはそういうと、足早に食器を下げ、自室へと戻った。
「大丈夫かな…」
スノが心配するような表情を浮かべていた。
自室のベットに横たわっていても、頭に浮かぶのは、昼間の異形の発言だけだった。
「…クソッ…」
毛布を頭までかぶり、頭から追い出そうとすればするほど、それは強くとどまり続けていた。その時、ノックの音が室内に響いた。
「起きてるか?」
聞こえてきたのはポポの声だった。
「社長が呼んでるぞ。」
ルーグは重たい体を起こし、2階の社長室へと向かった。もうパーティーは終わったようで、食堂からは、スノが食器の後片付けをしている音が響いていた。社長室の前につくと、ノックをする間もなく中から声が聞こえてきた。
「いるんだろう?入っておいで。」
言われるままルーグが室内に入ると、正面の椅子にアルヴィーが座っていた。いつものにこやかな顔とは違い、険しい表情を浮かべていた。
「突然呼び出して悪かったね。今日の任務は大変だったろう。」
口調は優しいものの、その目つきは、子供に何かを問いただす親のような厳しさを持っていた。
「俺がしたことなんて、大したことないです。スノがいなかったら、危うく致命傷を負うところでした。」
アルヴィーが姿勢を正し、再びルーグに向かい合う。
「その話はスノから聞いたよ。報告書にも書いてあった。確かに君は、特別個体を前に動揺し、大きな隙をさらしてしまった。これは決して褒められた行動ではない。君だけではなく、他のメンバーも危険だ。だが私が君を呼んだのは、そんなことを説教するためじゃない。」
アルヴィーが胸の前で腕を組み、ルーグに鋭い眼光を向ける。
「ルーグ、君はあの時、奴から”何を聞いた”?」
ルーグは一見冷静であったが、心は大きく動揺していた。ルーグはここで働くうちに、”この会社のメンバーを、自分の復讐に巻き込みたくない”という心理が強くなっていた。情が移ったとでもいうべきか。
「特に何も。あの時、スノやみんなが無事か気になって、動揺した隙を突かれただけです。」
アルヴィーの表情は、依然としてあの厳しい形を保っていた。
「確かにあの羽虫のような異形は、群れならB指定レベルの危険な存在だ。だがスノが対処できない相手じゃないことは、ここで約1週間半、ともに働いた君なら分かっているはずだ。事実、スノはあの場にいた羽虫をほとんど処理し、君に加勢している。」
「万が一だってあるでしょう。それに、俺がもし何かを聞いていたとしても、それで何がどうなるっていうんですか。」
アルヴィーが黙り込み、少しばかり沈黙が流れる。
「俺はもう部屋に戻ります。何か心配させたのなら、それは謝ります。では。」
ルーグが足早に部屋を出ていこうとする。それをアルヴィーが呼び止めた。
アルヴィーは自身の頭に手を伸ばすと、出会ったときからつけていた、猫の耳のようなものを取り外した。飾りだと思っていたそれは、ヘッドフォンのような形をしており、机にゴトッと無機質な音を立てて置かれた。アルヴィーが髪をたくし上げると。ルーグは息をのんだ。アルヴィーには耳がなく、耳の位置には小さな穴だけが残っていた。
「驚いたかい?」
猫の耳のようなものを頭に着けなおすと、アルヴィーは再び姿勢を正して座った。
「20年前、私は親に縁を切られて、戦場に軍医として送り込まれたんだ。当時15歳かそこらだった。耳は、そこで失った。今でも聞こえはするが、集音性が著しく落ちてしまってね、こんな機械をつけないと会話もままならない。スノとポポとは、その戦場で出会ったんだ。」
アルヴィーは、昔話を読み聞かせる老人のような、柔らかい語り口調で話を続ける。
「スノは戦争孤児でね。崩れた家屋の中で、たった1人で倒れていたところを私が保護したんだ。スノの両親は既に戦場で他界していて、当時幼かったスノは、両親の顔をぼんやりとしか覚えていない。」
突然、アルヴィーがルーグに向き直る。
「ひとつ確認しておきたいんだが、ルーグ、君は異形という存在全てを等しく憎んでいるかい?」
「いや、俺が憎んでいるのは、俺の両親を殺した異形だけです。」
アルヴィーはその問いを聞いて、安心したように微笑む。
「そうか、ありがとう。ならこの話が出来そうだ。」
腕を組みなおし、再び厳しい表情に戻る。
「ポポは異形なんだ。討伐命令の出ていない特別個体。異形の生殖には、未だ多くの謎があるが、共通してる1つの事実として、”親や兄弟に相当するものがいない”というものがあるんだ。分かるかい?私たちには”家族”がいないんだ。君にも共通することさ。」
過去のトラウマを掘り起こされて、ルーグは少し気分が悪くなった。
「それで一体、何が言いたいんですか。」
アルヴィーは厳しい表情を解き、少し悲しげな顔になった。
「私はここにいる皆を、家族のように大切に思っている。たとえ血のつながりがなかったとしてもね。ほかの2人も同じ気持ちのはずだ。私が君の復讐に協力しているのは、何も職務上そうするべきだと考えているから、という理由だけじゃない。たとえまがい物でも、家族として、君の背中を押してやりたいと思っているんだ。」
ルーグは黙ってうつむいた。
「もう一度だけ聞こう。ルーグ、君は昼間、奴から何を聞いたんだい?」
少し間を置き、ルーグが口を開く。ルーグは昼間のことを全て話した。それが自分のことを大切に思い、つらい過去のことを話してくれたアルヴィーに対する礼儀だと思ったからだ。自分が皆を大切に思い、秘密を隠し通そうとしたのと同じように、アルヴィーは自分を大切に思っているからこそ、その秘密を聞きたいと思っていることを、ルーグは理解したのだ。
すべて話し終えたとき、ルーグは虚しさにも似た感覚に襲われ、その場に倒れこみそうになった。
「ありがとう、疲れただろう、そこの椅子に座るといい。」
アルヴィーに促されるまま、ルーグは椅子に座る。ルーグが座ったのを確認してから、アルヴィーは書類の山を漁り始め、1つの封筒を手にもって、ルーグの正面に座った。
「これ、何か分かるかい?」
見るからに質の良い素材でできているそれは、何か異質な雰囲気を漂わせていた。
「招待状…?」
小さい文字のうち、読み取れた部分を声に出す。アルヴィーはその答えに満足したのか。封筒を開き、中から何枚かの書類を取り出す。そのタイミングで、スノが社長室を訪ねてきた。
「食器の片づけ終わったけど、社長お茶いる?」
「ああ、ちょうどよかった。下の階にいるポポを呼んできてくれ。」
「分かった。」
少し眠たげな声で答え、スノは社長室を後にした。やがて階段を上る2つの足音が聞こえ、社長室にポポとスノが入ってきた。
「全員揃ったね。」
アルヴィーは手に持っていた書類を開き、説明を始める。
「これは”ゼログループ200周年記念パーティー”の招待状だ。節目節目でちょくちょくパーティーが開催されていてね、基本は優秀な成果をあげた大企業にのみ招待状が送られるんだが、今回の特別個体討伐の活躍が評価され、私たちにも招待が来た。」
「あら、めでたいじゃない。」
「その通り、これはとても名誉あることだ。本来ならね。」
アルヴィーは書類をたたみ、ルーグから聞いたことを説明し始めた。ポポとスノは黙って聞いていたが、その表情は、明確に驚きと困惑を表していた。
「グループ内に異形がいるかもってことか?」
ポポが尋ねる。
「そうなるね。しかもただ捕獲されているだけじゃない。しっかりとした地位を持っている。」
「このタイミングでその話をしたってことは、まさか社長…」
「そう、そのまさかさ。」
動揺するスノをよそに、アルヴィーは机に書類を置き、机の下から見取り図のようなものを取り出した。
「このパーティー会場の屋敷の見取り図だ。ここを見てごらん。」
そこは”資料室”と書かれた地下の部屋だった。
「私は来たる200周年パーティーの日、この資料室をこっそり調査したいと思っている。」
社長室内が緊張に包まれる。今やゼログループは、世界トップクラスの企業グループ、ことイギリス国内においては、政府すらもしのぐ影響力を持った、絶対的な存在である。その資料室を無断で調査する、ということは”ゼログループを敵に回す”こととほぼ同義である。
「社長正気⁉相手はゼログループそのものよ⁉」
スノが声を荒げる。それも当然の反応と言える。現代において、グループに逆らうなど正気の沙汰ではない。しかし動揺するスノとは対照的に、アルヴィーは落ち着き払っていた。
「正気かって言われると、私は正気ではないだろうね。だが考えはある。それにスノなら分かるはずさ。君は両親を奪った戦争、そして戦争を起こしたやつを心底憎んでいる。出会ったときルーグに襲い掛かろうとしたのも、せっかく復讐する道が開けた
のに、それを手放そうとしたルーグが許せなかったんだろう?」
「それは確かにそうだけど…」
スノが言葉に詰まる。
「これは好機なんだ。普段なら忍び込むことすら困難な資料室で、姿形もなかった復讐相手の姿が、ようやくつかめるかもしれないんだ。私はルーグの復讐を手伝ってやりたい。分かってくれるか…?」
社長の思いが通じたのか、難しい顔をしていたスノも、はぁとため息をついてから納得した。
「わかったわ。協力する。ただし…」
スノがルーグの方に視線を向ける。
「途中でやめるなんて言い出したら、ぶった切るからね!」
「お…おう…」
ルーグは気迫に押され、少し引き気味だった。
「ポポはどうだい?」
「俺も社長に考えがあるってんなら、反対はしない。」
ポポは落ち着きを取り戻したようで、冷静に答えた。
「じゃあ決まりだ。今日からちょうど1週間後、パーティーに出席する。そのタイミングで作戦開始だ。本日は以上。みんな自室に戻って休みなさい。」
アルヴィーを除く3名は、社長室を出て自室へと向かった。ルーグとポポは自室に到着するなり、ベッドに横たわった。
「今日はいろいろあったな。」
先に口を開いたのはポポだった。
「まあ方針は定まった、気合い入れろよ。」
「はい。」
ルーグは毛布を頭からかぶり、悶々と考えを巡らせていた。アルヴィー、スノ、ポポ、全員が自分のことを大切に思っていてくれたことがうれしかった。それと同時に、家族を失ったあの日に重ねてしまう自分がいた。”また失うかもしれない”、そんなどうしようもない不安が、ルーグの心を埋め尽くしていた。
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