第4話 アルヴィー社

 いまだに日は昇らず、静まった暗闇の中に無機質なエンジン音だけが響いていた時、後部座席にスノと一緒に座っていたルーグが口を開いた。

「そういえば、ええとスノさんだっけ。会社ってどこにあるんだ?」

「いいわよ呼び捨てで。同い年なんだし。」

昨日の晩のことを引きずっているのか、少しばつが悪そうに答える。もっともルーグのほうはもう気にしていない様子だったが。

「今向かってるのは、旧スコットランドの都市”インヴァネス”よ。現イギリスの北東部の、経済と文化の中心といわれる都市、イギリス全体で見たら、ロンドンには負けるけどね。あの村から車で1時間程度の距離よ。」

案外近いのか、とルーグが言おうとしたのを遮るように、スノは付け加えた。

「ただし、頻繁に里帰りができるとは思わないほうがいいわよ。ネス湖付近は特に危険な異形の出現頻度が高いんだから、片道だけでも2、3体の異形と出くわすことは覚悟しなさい。」

 言い終わった直後、突如前方で轟音が鳴り響いた。運転手が車を止めると同時に、車のライトで照らされた、凶悪な異形の姿が、車内にいた全員の目に飛び込んできた。サイズは昨日の昼、ルーグが倒したものよりは一回り小さく、両足が象のようにがっしりとした四足歩行で、道路そばの木々をなぎ倒していた。

「言ってるそばから…」

あきれたようにスノが言うと、仕込み杖を手に取り、車の外へと出る。

「1人で大丈夫か?」

ルーグが心配そうに聞く。

「追い払うだけならね。良ければ手伝ってくれない?もう1人武器持ちがいると心強いし。」

「いや俺武器なんて持ってないぞ。」

「え?」

そんな会話をして居る隙に、件の異形がこちらに気が付き、突進してきた。スノは特に慌てることなく鞘から刃を出し、異形の顔の前あたりまで跳躍すると、顔に横振りで一太刀浴びせた。どうやら今ので両目が潰れたらしく、異形が突進を止め叫び声をあげる。足元に着地したスノは、間髪入れずに右前足の付け根にもう一太刀。この一撃がかなり効いたようで、異形は足を引きずって道路わきに消えていった。

 遅れて車からルーグが出てきた。

「倒さなくていいのか?」

ルーグが不安そうに尋ねる。

「今は任務中じゃないからね、追い払うだけで十分。というか、1人で、しかも素手で異形を殺せるあなたのほうが一般的には異端だからね?昨日言った通り、異形の個人討伐は、危険性が高いだとかいろんな理由で違法なんだから。」

「そういうもんか。でもさっきの戦いは見事だったぞ。スノならそのまま倒せたんじゃ?」

ルーグの称賛を交えた問いかけに少し照れつつ、スノが答える。

「武器がこれじゃなければいけたかもね。会社にもうちょっと頑丈な剣があるから。でもさっきの奴は、たまたま右前足を怪我していただけで、私自身の技量はそんな大したものじゃないわ。」

「なんで怪我してる場所がわかったんだ?」

「人より少し目がいいだけよ。さあ話は終わり。次の奴が現れる前にインヴァネスに向かいましょう。」

スノはそういうと、足早に車に乗り込んだ。少し遅れてルーグも乗り込み再びエンジンを鳴らして車が走り出した。

(もしも村で戦ってたら、俺負けてたかもな…)

疲れのせいかうつらうつらとしているスノの横顔を見ながら、ルーグはそんなことを考えていた。

 朝日が昇ってきたのと同時に、車はインヴァネスに到着した。都市に入って右へ左へ、狭い道を走り抜けていく。途中何枚か、癖の強い字で、旧イングランドに住む人々を蔑むような言葉が書かれているポスターを見かけた。

「あれなんだ?」

ルーグが聞くと、少し怪訝な顔をしてスノが答えた。

「あれは旧スコットランド過激派の連中が貼ったものよ。イギリス統一戦争で旧スコットランドが勝ったのに、イギリスの首都がロンドンなのが気に入らないのよ。それでここを新しい首都にしようとああいうことしてるわけ。」

「でもあれ効果あんのか?」

「さあね。少なくとも私は好きじゃない。」

「俺もだ。」

そういう話をしているうちに車が止まった。気が付けば車の右手側には、周りを立派な塀と、大きな庭に囲まれた屋敷があった。塀には”アルヴィー社”と書かれた表札がある。2人は車を降りると、運転手にお礼を言った。運転手は運転席で頭を軽く下げ、そのままどこかへ走り去った。スノは表札の少し下に取り付けられている機械のボタンを押し、少し待った。やがて機械から、不機嫌そうな低い男の声が聞こえてきた。

「何の用だ…」

「スノよ、新人連れて今帰ってきたとこ。」

「ああ…分かった…鍵開けるから入れ…」

カシャンという音が鳴る。どうやら門の鍵が開いたようだ。スノが少し押すと、いとも簡単に門が開いた。

「心配しないで。彼多分寝起きなだけだから。ここから少し歩くわよ。」

ルーグはその言葉を聞いて胸をなでおろした。自分が歓迎されてないわけではないと分かったからだ。木々の間を抜け、ビルの前に到着する。スノがビルの扉を開けると、男が1人、前を横切った。かなりの長身で、ぼさぼさだが、カボチャの内側のように明るくきれいなオレンジ色の髪、そして上下寝間着。

「やっぱり寝起きみたいね、ポポさん。一応客人の前なんだから、もうちょっとちゃんとした格好してよね。」

”ポポ”と呼ばれた男が目をこすりながら答える。

「いや…すまん…社長とお前が対応するもんだと思って寝てた…」

「そういえば社長見当たらないわね。社長!社長~!」

スノが大声で呼びかけるが、どこからも返事はない。ポポがルーグのほうを向いた。

「じゃああとは社長とスノが対応するから…俺は寝る…」

それだけ言うと寝間着姿のまま、奥のほうの部屋に入っていった。

「多分2階にいるのね。ついてきて。」

足早で階段を上るスノの後ろを、ルーグは慌ててついていく。

「今の人は?」

ルーグがたずねる。

「ポポさん。普段はもうちょっとちゃんとしてる人で、私の上司。そして私よりずっと強い。」

階段をのぼりながら、スノが付け加える。

「ここは職場兼住居だから、ああいうことがちょくちょく起こるの。あなたはたぶんポポさんと同じ部屋になるだろうから、仲良くしておいたほうがいいわよ。」

 今更ながら、新生活の不安が湧き出てきたルーグをよそに、2人はやたら豪華な扉の前にたどり着いた。スノがノックをしたが、しばらく待っても返事がない。スノがしびれを切らして扉を開く。中はきれいなソファが2つ向かい合い、間には上品な木製のテーブル、奥にはひときわ豪華なデスクと椅子、そこに積まれた大量の書類。そして何より、書類に埋まる形で眠っている、1人の人間。なんとも奇妙な光景だった。

「ただいま社長。」

スノが声をかけると、デスクに寝ていた人間はゆっくりと体を起こした。

「ああ失礼…寝てしまっていたか。」

細いが鍛えられていることが分かる体格に高い背、長い脚、中性的な顔、おまけに着ているスーツが男物なので、張りのある高い声と、整えられた長く青い髪がなければ、女性だとはわからなかっただろう。頭には猫の耳のような飾りをつけている。

「情けない姿を見せてしまったね。どうぞ座って、コーヒーでもいれよう。」

彼女は2人にソファに座るよう促すと、部屋の外へコーヒーを入れるための道具を取りに行った。

「あの人が社長?」

「そ。このアルヴィー社の最高責任者。」

ほどなくして、社長が両手に道具を抱えて戻ってきた。コーヒーをてきぱきと入れながら、彼女はルーグに話しかける。

「初めまして、ルーグ・リザード。スノから紹介があった通り、私がここの最高責任者、”アルヴィー”だ。リサさんに聞いていたことが間違いないなら、ここへは両親を殺した異形を探しに来た、ということでいいかな。」

「はい。」

アルヴィーはコーヒーをカップに注ぎ、2人の前へと差し出す。

「歓迎するよ。良ければ飲んでくれ。スノもよければ。」

ルーグはカップに注がれたコーヒーに口をつける。オリバーの店で飲んだものより少し甘みを感じるそれは、自身の浄化のための旅が始まったという事実を、ルーグにより強く実感させた。

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