第3話 出会いと旅立ち

 鈍い音を立てて扉が開く。もう日が沈み、静寂に包まれた外とは対照的に、店内は気が遠くなるほど騒がしかった。入ってすぐ左では体格のいい男が2人、チェスの決着だか何だかで取っ組み合いの大げんかをしている。2人の間に入ろうとしてるのは、いつも仲裁役をしている細身の中年、周りを取り囲むのは娯楽に飢えた酔っ払いたち。酒、飯、娯楽全てを満たせる場所は、ここオリバー酒場を除いて他には、この村にはないだろう。店主のオリバー自身もよく自慢していた。ルーグは

(それははたして自慢してていいものなのだろうか…?)

と常々思ってはいたが、今の彼にとってこの喧騒は逆に心地よいものであった。喧嘩会場の奥のほうに目を向ければ、小さな椅子が4つ並べられたカウンター席、上の方には大して美味くない酒がずらりと並べられている。手前から2つめの彼お決まりの席に座ると、待っていたかのように厨房からオリバーが出てきた。

「おう!遅かったな!なんだか元気がねえみたいだが、とりあえず食え!いつものでいいよな!」

「うん、ありがとう…」

オリバーは豪快で繊細さのかけらもなさそうだが、実際はかなり察しがよく、無用に他者のプライベートに踏み込むような真似はしない。その性格故、ルーグをはじめとした多くの村民に慕われていた。

「ほらよ!いつものだ!」

そう言ってオリバーが差し出したのは、巨大な陶器製の器に入った大量のシチューと、固めのパン2つであった。シチューは早めに作られていたせいか少し冷めていたものの、酒の匂いに満ちる店内でも、確かな存在感を放っていた。ルーグはパンをちぎり取り、すこしシチューに浸して食べる。固めのパンがシチューを吸い、いい具合にやわらかくなる。味は決して褒められたものではないが、数少ない肉入りメニューかつ、量が圧倒的なので、これでも酒場で一番高いメニューなのだ。パンを浸し、食べる。この流れを繰り返し、ルーグが着実に腹を満たしていると、1人の客が来店した。

 客は白いフード付きの上着をかぶり、フードで顔を覆い隠していた。

「いらっしゃい!」

店内にいる人々がオリバーを除き静かになる。ここいらでは見かけない服装だったので、注目されるのはごく自然なことだ。件の客はつかつかと安定した足取りで店内を進み、ルーグの1つとなりの席に座った。客はルーグを見るなり一言

「よく食べるのね。」

と言った。今まで無関心だったルーグも今の発言には驚きを隠せなかった。不意に自分に向けられた発言というのも理由の一つだが、なによりその声の高さが若い女性のそれだったからである。むろんこの村にもいないというわけではない。しかし数は非常に少なく、もし村民だったとしても、若い女性がこの時間に酒場に入ってくることはまずありえない。そんな驚きをよそに、彼女は”ドブよりはまし”でおなじみのコーヒーを注文し、だいたいを飲み干したところで席を立った。

「食べ終わったら、リサさんの家の前で。待ってる。」

とだけルーグに囁き、カウンターに代金分の小銭を置いて、店を出て行った。

「あの姉ちゃん知り合いか?」

店内の誰かがルーグに向かって問いかける。そのうち恋人だとか勘違いしてはやし立てる酔っ払いが現れ、店内はみるみるお祭り状態になった。ルーグはというと、顔は青ざめ、先ほどの倍近いスピードでシチューとパンをかっこんでいた。朝のこともあり、ルーグの頭は悪い想像で満たされていた。時々むせながらも完食し

「ごちそうさま!」

とだけオリバーに伝え、足早に店を後にした。ほかの客は何が何だかよくわからない様子だった。オリバーだけ

「そうか、来たか…」

と小声でつぶやき、白髪だらけの頭をかいた。

 ゼイゼイと息を切らしながらリサの家の前に到着すると、約束通りあの女がいた。フードをおろしており、短めの鮮やかな赤い髪と、宝石のように澄んだ碧眼、ここいらではみかけないデザインの水色のシャツと、ベージュ色のショートパンツを身に着けていた。腰には杖のようなものを携帯している。

「ああ、来た来た。」

彼女がつぶやく。

「お前一体なにを…」

ルーグが言い切るより先に、彼女はポケットからメモ帳を取り出した。メモ帳を開くと、まるで罪状を読み上げる裁判官のように中身を読み上げ始めた。

「ルーグ・リザード。職業は自営業で何でも屋。年齢は21、同い年ね。幼いころに両親を亡くし、原因である異形を独自に追っている。決まった住居は持たず、村民の家に泊めてもらったりして雨風をしのいでいる。異形退治の功績や人柄の良さから、村民からの信頼は厚い。ここまでの情報に間違いはない?」

「ああ、ただ1つを除いてはな。」

黙って聞いていたルーグが口を開く。

「俺はもう探しちゃいない。両親を殺した異形にだって、もう未練はない。俺1人じゃどのみち見つからねえし。」

「本当に?」

突然女が口を開く。

「残念。私の話は、あなたにとっても利益のあるものだと思ってたんだけど。」

ルーグが聞き返す。

「なんだよ、その話って。」

女がメモ帳から目を離し、ルーグに面と向かって言い放つ。

「単刀直入に言うわ。あなたには私たちの会社に入って欲しい。」

 「会社だと?そのことと異形探しと、何の関係がある?」

ルーグがあきれたように聞く。

「私たちの会社は、”ゼログループ”傘下の異形退治を専門とする会社よ。ゼログループは世界中から異形関係の情報が集まる企業グループ。知ってる?」

ルーグが首を横に振る。

「あなた新聞とか読まないタイプなのね。」

女があきれたように言う。

「まあともかく、異形探しにはもってこいの環境ってこと。」

ひとしきり説明し終えると、女は手帳を閉じてポケットにしまった。

「なるほどな、大体わかった。」

この発言から一呼吸置き、ルーグは一呼吸置き

「断る。」

と答えた。

「さっきも言った通り、未練はない。それに会社ってのはこの村を離れるんだろ?俺はこの村を離れる気はさらさらない。」

女が大きくため息をつく。

「そう…残念ね。」

そういうと腰に携帯していた杖の持ち手を握り、ゆっくりと引き抜いた。持ち手より先は、鋭く光る刃だった。

「仕込み杖か。」

ルーグが言い放つ。

「そ。なかなか洒落てるでしょ。」

さやから刃を抜き終わると、ルーグに刃先を向けた。

「私たちみたいな専門企業に属さない状態での異形討伐は、一部例外を除き犯罪よ。犯罪者を見逃すことはできない。」

ルーグも臨戦態勢をとる。緊張した空気が2人の間に流れる。

 「やめんか!」

緊張した空気は怒号によってかき消された。2人が声のした方を見ると、1人の老婆が立っていた。

「ばあちゃん!」

「リサさん!」

2人が驚いているのも構わず、リサはずんずんと2人に歩み寄った。

「人んちの前で何をしとるか!」

「すみません。断られると思っていなかったもので…」

”スノ”と呼ばれた女の弁明をかき消すように怒号が飛ぶ。

「あんたが相手してんのは異形じゃなくて人間だよ!お前もだよルーグ!」

「え、俺?」

完全に気を抜いていたルーグにも怒号が飛ぶ。

「そうとも!2人ともお説教だよ!上がった上がった!」

2人は強引にリサのぼろ家に上げられ、気が遠くなるほどの説教を食らった。

 2人が気を失いかけたタイミングでリサの怒りも収まった。

「あれま。こんな時間か。すまんがスノさん、席を外しておくれ。」

「は、はい…」

スノはよろよろと立ち、部屋の外へと出て行った。リサはテーブルに置いていたコーヒーを飲み、ルーグへと向き直る。

「あの人は、私とオリバーが呼んだんだよ。」

「ばあちゃんとオリバーさんが?!」

驚きのあまりルーグが声を漏らす。

「そうとも、お前の未練を晴らしてもらうためにね。前もって言っておくと逃げるだろうから、秘密にしておいたんだよ。夜な夜なうちの裏庭借りて、異形の死体を調べたり、異形退治の顔を見てればすぐにわかる。お前の未練は晴れてない。」

ルーグは唇をぐっと嚙む。

「晴らしておいで。何もかも浄化できた時、またこの村に帰ってくればいい。私たちなら大丈夫さ。」

ルーグは少しだけ黙った後

「わかった。」

とだけ言った。その表情には村を離れることへの悲しみと、希望が混じっていた。

「話は済んだということでよろしいですか?」

少し顔色の良くなったスノが、扉を開きながらリサに尋ねる。

「ああ、ルーグも納得したよ。」

「わかりました。それじゃあ出発しましょう。車を待たせています。」

リサの家の前には、いつの間にか立派な黒い車が止められていた。

車に乗る直前ルーグは振り返り

「行ってきます!」

と大声でリサに行った。それに対しリサも

「行ってらっしゃい。」

と穏やかな笑顔で返した。黒い車がうなり声のようなエンジン音を鳴らして出発する。この日ルーグは、初めて村を飛び出した。

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