第2話 ルーグ・リザードという男

 ネス湖南西端にフォート・オーガスタスという村がある。ネス湖の怪獣が捕獲されるまでは観光でそこそこ栄えたものの、今では高頻度で出現する危険な異形の影響もあり、観光客は減り、都市へ出ていきたがる若者と、取り残された老人だけの、かつての最盛期とは比べ物にならないほどさびれた村になっていた。そんな村にある男がいた。両目と少し乱雑に切られた短い髪は、ともに澄んだ緑色をしており、少しくたびれてはいるものの、ここらでは珍しい上質な白いシャツと深い青のジーンズ、黒い革靴を身に着けている。彼は朝早く家を出ると、どこかへ向かって歩き出した。道中様々な村民に出会う。

「ようルーグ!今日はずいぶん早いな!」

酒場を経営している、老いてはいるものの満ち溢れる気力を放つ店主が声をかける。”ルーグ”、それが彼の名前らしい。

「おはようオリバーさん、リサのばあちゃんの家の柵を修理しに行くんだ。」

「あれか!もう長いことあのまんまだもんな!仕事が終わったらうちに来いよ!飯奢ってやる!」

「そうさせてもらうよ。それじゃ、またあとで。」

こんな他愛のない会話を2、3人とかわしながら件のリサの家へと向かう。どうやら彼は村民からなかなか慕われているらしい。

 そうこうしてたらリサの家についた。

「ばあちゃん、俺だよ、ルーグ。約束通り柵の修理に来たよ。」

しかし誰の声もかえってこない。不審に思ったルーグは、勝手ながら家に入ることにした。ドアに手をかけ、鈍い音を立てながら動かし、家に入る。

「またカギかけてない…玄関に靴があるから、裏庭か。」

古い木造の家、床は踏めばきしみ、壁の塗装はところどころ剥げている。天井は小さい穴がいくつか空いているせいで、いつも獣がうなっているような音を発している。

「ばあちゃん?寝てる?」

天井の音のせいだろうか、よくない想像が彼の頭の中を駆け巡る。そもそもリサは高齢で、頭もボケ気味だ。しょっちゅうカギはかけ忘れるし、人の名前も時々抜け落ちる。そのくせお人好しで、困ってると言われればだれかれ構わず家に上げてしまう。

強盗か害獣か、はたまた…

「ばあちゃん!ばあちゃん!」

だんだんと呼ぶ声が大きくなり、足取りも早くなる。裏庭への出入り口の前を通りかかったとき、扉が開いており、裏庭への靴がないことに気づいた。肩から力が抜けるのが、彼自身にも分かった。

「なんだ裏庭にいるのか。さてはまた1人で柵直そうとしてるな。この前それで腰痛めたばっかなのに…」

あきれたように言うと、裏庭へ出るために靴を持ってこようと、玄関へと歩き出す。その瞬間悲鳴が鳴り響いた。

 「裏庭の方からだ!」

そうつぶやくと、ルーグははだしであるのも構わず裏庭へと飛び出した。彼の目線のすこし先には、粉々になった柵と腰を抜かした老婆、そして自身の二倍はある大きさの、クマのような化け物がいた。頭は凶暴なワニ、後ろ足は小鹿のように細く弱弱しいが、それ以外の部位は凶暴なヒグマのそれであった。それの凶暴な爪が、老婆めがけて振り下ろされようとしていた。

「ばあちゃん!」

そう叫ぶなり、彼の後ろ脚が変化し始めた。皮膚は固い鱗に覆われ、ジーンズが弾けそうなくらいに太くなった。それと同時に、彼は軽やかに、しかし力強く飛び上がり、怪物の背に着地した。

「こんだけデカい異形は久しぶりだな…」

そう言うと今度は、彼の右腕が変化し始めた。爪は鋭く硬く伸び、皮膚は鱗で覆われ、こちらも同じように太くなった。その凶悪な右腕を怪物の脳天に突き刺す。痛みと苦しみで怪物は悶え、背中にいる元凶を引きずり降ろそうと腕を背中に回す。しかしそんな状況に反し、ルーグの険しい表情からは焦りや恐れは読み取れなかった。

 結局怪物は彼を背中から引きずり下ろすことはかなわず、力なくその場に倒れこんだ。ルーグは怪物の頭から血まみれの右手を抜き取り、老婆に向き直る。

「大丈夫かい?リサばあちゃん。」

彼は血に濡れてない左手を差し出す。

「ああ、助かったよ。ありがとうルーグ。」

リサは左手を取り、イテテテと声を漏らしながら立ち上がる。上下灰色の寝巻に、濃い紫色の上着を着ていた。

「庭に椅子を出そうと思ったらぱったり出くわしちゃってね。ほら、柵を治すときに、私が見ていたほうがいいだろう?」

「子ども扱いしないでくれよ。柵くらい一人で直せるさ。」

「そうかい?まあ椅子は出しちまったし、作業してるとこだけ見さしておくれ。口は出さないから。」

リサは庭の隅にぽつんと置かれた木製の椅子を指さした。

「まあそれならいいけど…」

リサは椅子に座り、ルーグは柵を治し始めた。時々他愛のない会話と、リサの作ったサンドイッチの昼食をはさみ、村が夕暮れに染まるころには立派な柵が完成していた。

「ありがとうルーグ。ほら、これは今日のお礼。」

リサが差し出してきた革袋のなかを見て、ルーグは目を丸くした。

「こんなにいいの?」

「どうせ老い先短い命さ、異形退治もしてくれたし、遠慮なく受け取りなさい。まだ仕事もあるし。」

「へ?」

彼は椅子を運ぶよう頼まれた。そこまで重くはないものの、頑丈なものではないので気を使った。報酬の件もあるし、文句は言えなかった。

「強かなばあさんだな…」

そんなことを考えていると、不意にリサが口を開いた。

「お前さん。まだあれを探しているのかい?」

すぐには答えを返せなかった。深く深呼吸をし

「もう探しちゃいないよ。昔のことだ。」

と答えた。ほとんど間を置かずに、リサは畳みかけた。

「今更私に嘘がつけると思うんじゃないよ。どれだけ長くあんたの面倒を見てきたと思ってるんだい?」

再び沈黙が流れる。リサがもう一度口を開く。

「朝お前が言った通りさ、お前はもう子供じゃない、どこへだって行っていいんだよ。私なら大丈夫だ。」

しばらく間を置き、ルーグは答えた。

「俺はこの村が好きなんだ。これから先だって、ここに住むよ。」

「でも、リザードさんの…」

リサが何か言おうとするのをよそに、ルーグは椅子を運び終え、足早に玄関へ向かった。

「今日オリバーさんの店で飯食うんだ!じゃあまたね!」

それだけ言い、彼はリサの家を後にした。リサの何か言いたげな表情だけが脳裏に浮かんでいた。オリバーの店に向かう彼の足取りは重く、緑色の目には、深い悲しみが宿っていた。



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