第13話 花

「見て下さい、先輩!可愛いお花ですよ!」

 よく整えられた花壇に咲く花を見て胡桃が言う。

「そりゃ、アンゲロニアやな。もうすぐ終わるけど」

 花径、1センチ程度の小さな花を茎の先端や葉の付け根につけている。別名エンジェルラベンダーで間違うないやろう。花言葉は確か『過去の恋人』だったか。先生にも『過去の恋人』がいたのやろうか?私の『過去の恋人』は……。こんなこと考えてもしゃぁないか。

「なんとなく切なくなってしまいそうですね……」

 そんな柄にもないことを言うもんやから茶化して訊いてみる。

「『過去の恋人』でも思い出していたんか?」

「そ、そ、そんな訳ないじゃないですか!」

 図星か。

「そんなことより!現場見るんでしたよね!」

 最初に脱線させたのは胡桃の方やったけどな。でも綺麗な花壇に多少なりとも気を取られてしまったのも事実。ってか、これ素人がやるレベルとちゃうやろ。

 そう、現場百遍!私たちは(初めて来た)現場を見に行こうというところである。気になるマイクロSDの中身は後で部屋でゆっくり見ることにした。楽しみにしておられた方、もう少しお待ちください。(誰に言ってんねん)


「ここですね」

 南雲邸の横に立つ、ある木を指差して胡桃が言う。

 私の腰の辺りだろうか、幹が少し抉れている。先生から預かった矢を合わせてみると結構ピッタリといった感じだった。

 確かに、南雲邸と並行に矢が通ったように思う。例の日と同じところに車は停めているとのことやったから車に当たらなかったことにも納得がいく。

「あ、ここきっと先生の仕事部屋ですよ!」

 そろそろ戻るか、と胡桃に言おうとしたが、当の胡桃は南雲邸の外壁の側に立ってはしゃいでいる。

 見れば、カーテンこそ掛かっているが大きな窓がついている。さっき見た記憶があるから胡桃の言う通り先生の仕事部屋なんやろう。

 その窓の下にも鉢植えやら、プランターやらが並び胡桃を楽しませている。

「中元、そろそろ帰るで」

「ああ、はいはい!帰りましょう!」

 小さな鉢植えを抱えていた胡桃は慌てて私について来ようとする。

「あ!」

 という、正確には濁点がついた声と共にガシャンという音が聞こえたような気がするが気にしない気にしない。気にしたところでロクなことにならない。気にしなくてもロクなことにならないが。


 南雲邸には入り口が二ヶ所あり最初訪れた時に使った玄関と、その裏側つまり今いるあたりに裏口がある。裏口を使って中に入れば、後ろから胡桃が慌ててついてくる。手をパンパンとはたいているところを見て、証拠隠滅は完了したのやろうか、と思う。

「手、ちゃんと洗っときや」

「それもそうですね。おやつも食べられません」

 いや、そういう意味ちゃうて。こんなんが弁護士になって大丈夫なんかと思う。人を弁護する前に自分を弁護することになりそうや。まぁ、なれたら、の話やけど。

 胡桃が手を洗い終わって、一旦リビングに戻ると見知らぬ大人が屯っていた。全くどうでもいいことだが、"見知らぬ人"を英訳すると"Stranger"となる。へぇ、"strange"はやのに"stranger"はにならへんのかいな。ふ〜んそうなんか。『Sorry. I'm a stranger ……』。これの"stranger"に棒線がひいてあって訳せやったんやな。当然私はこう答えた。『』。早い話が、『すまんけど、あんたとはよう知らん仲や』っていう意味やととった。

 まぁ、結論から言えばこれは大いなる間違いやったわけやな。"……"の部分にhereがあったんやな。だから正しくは、『すまんなぁ、私はここには無案内やわ』やったわけや。文章は最後まできっちり読みましょう。って、なんの話やこれ。ちょいと、誰か教えてくれんか?

「ああ!前嶋社長、もう用は済まれたんですか!」

「うん、やっぱり、中元さんたちは先に着いてたんだね」

「おお!真波まなみ着いたか!ああ、浜本先生たちにも紹介しよう」

 急に横から現れた先生は、スラリとした体型の30代後半から40代前半といった女性を真波、その右横の少年をたくむ、最後にこれと取り立てて特にない眼鏡を掛けたおっさんを庄司しょうじと紹介した。

 真波さんは若い頃さぞモテただろうなと思わせる顔立ちでどうしてこんなおっさんの相方をやっているのかと疑問に思った。

「ああ、お義父さん、これ」

 何を差し出したかと思えば、例の春庭良やった。大極殿本舗、長野の片田舎—じゃない、自然豊かな別荘地—で謎の人気。

 それを先生は微妙な顔付きで受け取る。

「おお、いつもありがとね。いやぁ気がきくねぇ」

 なるほど、このおっさんは先生に気に入られたくちか。

「ああ、巧には後でお小遣いをやろう」

 2個目の春庭良を手に入れた先生はそんなことを言いながら仕事部屋に戻っていく。

 巧君はそれにぺこりとお辞儀で応じるが、あまりいい関係ではないのだろうか?

 庄司さんは先生に「あ、そういえばお義父さん……」と金魚の糞になっている。仲良くしようと必死のようや。


 適当に彼らと別れた後は胡桃と二人で部屋に戻った。窓からさっきの花壇が見えることから考えると、どうやら私たちの部屋は先生の仕事部屋の真上らしい。

「先輩!ドライブレコーダーの映像、見ましょう!」

 胡桃がスナック菓子をボリボリ食べながら言ってくる。晩御飯も用意してもらうんやから程々にしとけよ、と言いながら鞄からノートパソコンを出す。

「パソコンに菓子のカスをつけんなよ?」

「はい!当然です!気をつけます!」

 返事だけが立派なのが胡桃の特徴や。自分が気をつけるに限る。

 ノートパソコンの横にマイクロSDを差し込む。と思ったら、充電のプラグを差し込むところやった。道理で上手くささらんはずや。ったく、英語もこういう電子機器もややこしいんよ、お〜ん。なんか岡田監督みたいになってもうた。

「じゃ、再生するで」

 と言って、キーボードのEnterを叩く。

 適当に飛ばして例の日の朝に合わせる。

「あ!」

 当の先生のお出ましや。車にキーを向けて。

「ああ、ここですね」

 胡桃の言う通り、ボーガンの矢のようなものが先生の横あたりを通る。スローで見てみるが、綺麗に先生には当たらなかったようだ。

「先も見てみましょう」

「うん」

 ちょっと聞き取りにくいが、「先生!」だろうか、家政婦が倒れた先生に向かう。続いて絢音さんが。遅れて金魚の糞とその息子、巧君が行く。巧君が一旦止まったのは今起きていることがすぐに理解できなかったからか。

 金魚の糞は「大丈夫ですか」と近づく。一方で巧君は矢の来た方を見ながら近付く。意外と観察力があるのか。

 少し遅れて真波さんが出てくる。父親の方に向かっていくが、その様子はとりあえず形だけ、というように見え、やる気がなさそうだ。

 先生は介抱されながら、起き上がらされるが、「大丈夫大丈夫」と言いながら、それを振り解く。その目が一旦、巧君の前で止まり、微笑んだように見えた。孫がいることがそんなに嬉しいのか。私にはその感覚がよく判らん。

「先輩、何か判りましたぁ?」

 素直に言うしかあるまい。

「いいや、全く」

 私は結構面倒な仕事を引き受けてしまったのかもしれない。

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