第二十一話:思い描いた理想の形


 部室に着くと、既に夕日が満ちており、やわらかな朱色のひかりが部室全体を包みこんでいた。電気を付けてカーテンを閉めると、そこはいつも通りの部室に戻る。


 先輩が先にパイプ椅子へと座り、それに続いて俺と小波が席に着く。各々、いつの間にか決まった自分の指定席があった。先輩が右手奥、それに向かい合うように俺が座り、俺の隣には小波といった具合に。


 本来、先輩には『部長席』とアクリルプレートまで用意された席があるのだから、そちらに座ればいいものの「みんなとおしゃべりするのに面倒」とかいって埃をかぶっている。


「あ、あの!」


 すると、先ほどから出入口付近で動かなかった秋野が声を張り上げた。


「先輩方、本当に本当に、ありがとうございました。私ひとりじゃきっと、今も大福と進展しないまま、どこかで諦めていたと思います。特に影浦先輩には、その、ご家族にまでご迷惑をおかけして、ホント、なんてお礼を言ったらいいか……」

「いいって、そんなかしこまらなくっても。結花も、秋野とお泊りできて楽しかったって。家では家事も手伝ってくれたって、父さんも母さんも喜んでたし」

「……え、なに、どういうこと。秋野ちゃん、影浦の家に泊ったの!? それに家族の顔合わせも済んでるってなに! 影浦、説明しなさい!」

「い、色々あったんだ、色々! それに泊ったのは俺の実家であって、俺のアパートじゃない! 色々あって、同じ学年の妹にお願いして実家に泊めたんだよ。詳しい事情はまた今度、な?」


 小波には金曜日に起きたことを何一つ説明しない。仲間外れにしたいわけじゃないが、流石に、秋野本人の了解なしに説明することはできない。


 それに、今はもっと大事なことを控えているのだ。悪いが小波に構っている暇はない。


「じゃあ秋野ちゃん、今回SA部に相談したことを無事解決できたってことで大丈夫?」

「はい、問題ありません」

「あ、いやちょっと待ってもらっていいか。最後に一つだけ、やり残したことがある」

「ん? 何かな、影浦くん」


 俺は皆を置いて、一旦教室にあるものを取りに戻った。


 俺が戻ると案の定、手にしている物に視線が集まる。


「それなに? 随分大きい荷物ね」と小波は指を指して問い、秋野も同じ気持ちのようだった。


「……」


 先輩に関しては、珍しく中身の予想がついていないようで、顎に手を置き、思考をめぐらせていた。


 それもそのはずで、外からは新聞紙でぐるぐる巻きにされた長方形の細長い何か。縦は上半身ほどあり、横は腕に抱えてギリギリ端っこを掴める程度。それ自体が何かを予測できたとしても、内容は絶対にわかりっこない。


「秋野、開けてみてくれない」

「私が、ですか?」

「ああ、秋野のために持ってきたものだからな」


 秋野は言われるがままテープで止められたか箇所を丁寧にはがし、一枚、また一枚と、折りたたまれた新聞紙をはがしていく。


 自信はある。


 秋野は俺の理解者だ。


 それでも、秋野の手が、段々と答えに近づいていく度、秋野から背けてしまいたくなる視線を繋ぎとめるのに必死だった。


 秋野が、最後の一枚を、はがす。


「………これっ」


 上から下まで何度も眺めまわし、間違いなくそれだと解ると俺に同意を求め顔を向けてきた。目を大きく見開かれ、アメジストの瞳が揺れ動いているのがみてとれた。


「これって秋野ちゃんと大福、よね。後にいるもう一人は誰?」

「五十鈴ちゃん。それはきっと、澄玲ちゃんのお母さんだね」

「はい、その通りです」


 それは、かつてSA部の勧誘ポスターで披露した鉛筆画と同じ。A2サイズのアルミ額縁には、気持ちよさそうに眠る大福と、大福を膝に乗せた秋野のお母さん。そして、一緒に隣に座って大福を可愛がる秋野の姿。モノクロで彩られたその絵には、秋野が望んだ理想の形を、あの頃実現できなかった幼き頃の理想を、俺なりに描いてみたものだった。


 正直、これを渡すかどうかは最後まで悩んだ。


 絵のクオリティは勿論、これを渡すことで、見る度過去を思い出し苦しめることにならないだろうか。清算しようとした過去を、過度に背負い続けることにならないだろうか。


 これは、俺のエゴだ。秋野とお母さんのとの関係に、より深い確執を生みかねない行為だ。それでも俺は、二人が想いあって生まれてしまった傷を、過去のものにして欲しくない。


「秋野、勝手なことだと思ったんだが、どうしても、これを送りたかった。秋野が過去に沢山苦しんだことは知ってるし、今でも、お母さんを傷つけないために隠し続けていることも知ってる。でも、できることなら、向き合って欲しい。なかったことにしたり、目を背けるんじゃなくて、ちゃんと、話合ってみて欲しい。きっと秋野のお母さんも、それを望んでる」


 これは希望的観測なんかじゃなく、たしかな確信があった。


 それは秋野が幼い時の話をしてくれた時に感じた違和感。友達と遊び終わったあと、ゴローを砂場から持ち去り母親に見せ、再び公園に戻っていき、少しして父親が病院に連れていくため向かえに来たと言った。しかしあたりは暗く、明滅する街灯の明かりしかない状況で、どうして秋野の父親はベンチに座る子供が秋野だとすぐに特定できたのだろうか。秋野は車の色すらはっきりと見えず、父親が近づくまで自分の家の車だと判断もできなかったのに。


 それは多分、玄関で倒れていた母親を父親が抱え上げた時に、秋野が向かったであろう場所を教えたのだろう。その後、母親が緊急搬送された病院の場所だけ聞き、秋野を迎えに出かけた。発見が遅ければ最悪死んでいたかもしれない状況で、彼女は秋野の事を考えていた。当然、あの状況で飛び出していった秋野の居場所を知っているわけがない。それなのに、正確に秋野の居場所を言い当てて。

 

(それが、母親ってものなのだろう)


 秋野には、これほど自分を大切に想ってくれる母親がいる。まだ、生きていて、いくらでもやり直すことができる。


「ありがとう、ございますっ……お母さんにも見せます、それで、宝物にします」


 これは俺のエゴだ。だが、知ったことじゃない。俺は、不器用だから。


 額縁に流れ落ちた涙を見て、俺はまたそっとハンカチを被せた。


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美少女ゲームに魅せられた俺は、『甘々ハイスクールライフ』目指す。 黒神 @kurokami_love

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