第二十話:帰路
「どうだった秋野、堪能できたか?」
「……はい、至福の一時でした……」
「秋野ちゃんのとろけ顔、萌える……」
「五十鈴ちゃん、今はそういうの控えようね~」
俺たちは工藤さんにお礼を言い、部室に戻るため平屋を後にした。先輩と小波、その後ろを俺と秋野が並んで歩く。秋野は大福がさるギリギリまでその毛並みを堪能し、「もう、この手は一生洗いません」宣言している。
(今の秋野が言うと冗談に聞こえない)
流石に手は洗って欲しいけど、水を差すのも忍びないので何も言わなかった。撫でた時に落ちた毛玉を持ち帰ろうとした事に比べれば、まだかわいい方である。
「それにしても、まさかあの霧吹きの中身がマタタビだったとはね。影浦が秋野ちゃんに何か吹きかけた時、思わず110番通報しそうになったけど」
「おい! お前、俺の後ろでそんなことやってたのか!」
「そうだよ影浦くん、そういうことは事前に説明しておかないと。私が止めてなかったら今頃、『近所の女子中学生に対し、謎の男子高校生が卑猥な液体を吹きかけた』ってテロップで公共の電波にのるところだったんだから」
「先輩……ホント、小波を止めてくれてありがとうございました。いつもは面倒事ばかりおこすのに、こういう時は頼りになりますね」
「あ、すみません、今すぐ江路南高校に来ていただけますか? 女子中学生に卑猥なものを吹きかける輩が……」
「すみませんでした冗談です! ちょっと先輩、それ繋がってませんよね、ね? お願いだからスマホをしまってください!」
この先輩、やると決めたらとことんまで堕とし入れるタイプだから、本当に通報しかねない。とはいえ先輩には、あの時点で俺が何をしようとしていたのかお見通しだったらしい。
秋野にほどこした二つの仕掛け。それらはどちらも大福の警戒心を和らげるためのものだ。
最初に巻いた藍染の手毬模様の手拭い。あれは工藤さんの持ち物であり、普段から日常使いしているものとしてお借りしたものだった。猫というのは人の何万倍も嗅覚に優れており、初対面の人間のにおいには警戒を示すことが多い。そう言った場合、住み慣れた家にあるものを身につけることで警戒を薄める、という方法があるらしく、秋野にも同じことを施した。
マタタビエキスも同じ理由で、猫にとって好みの香りであるマタタビエキスを水で限りなく薄めて、手脱ぎのにおいを邪魔しない程度に吹きかけた。『嫌いじゃないかも』と錯覚してくれることを期待し、あくまで保険としての後押し。
(どっちが効果的だったかはわからないけど、成功してよかった)
秋野のとろけきった顔を横目に、そう実感する。
「それにしても影浦、あんた大福が飼い猫だっていつから気づいてたの?」
小波が振り返り、聞いてくる。
「私も気になってました。影浦先輩、教えてください」
「別に、そんな大したことじゃないぞ? 俺も確証があった訳じゃないし」
「まあまあ、そういわずにさ。みんな気になってるし、教えてあげたら?」
先輩に促され、俺は説明を始める。
「最初に気になったのは放課後に大福を捜索している時だった。大福の写真と野良猫とを見比べてると、妙に大福が小綺麗に見えたんだよ。写真を拡大してみてるから見えにくいだけとも思ったんだけど、大福の身体は白いから、汚れていれば他より目立つはずなんだ。でも、そうは見えなかった」
「そう、ですね。でも砂埃とか木くずとか、汚れている時もありましたし、それだけでは判断ができなくないですか?」
「確かにそうだ。だけど大福の場合は色に加えてあの体躯。本来なら他の猫よりも人一倍ものに触れやすく、汚れやすいと思う。それに、大福には他の野良猫とは明らかに違う点があったんだよ」
「違う点?」と小波が聞いた。
「目やにだ。他の野良猫には多かれ少なかれ、ほぼ必ずと言っていいほど目やにが付いていたんだ。それに比べて、大福や首輪をつけた飼い猫たちには目やにがほぼなかった。それで、もしかしたら大福は首輪をしていない放し飼いの猫で、家族の誰かが目やにを拭いてあげてるんじゃないかって、そう思ったんだ」
「なるほどね~、影浦くんはそこから推理を始めたわけか」
「正直、秋野が初めて話してくれた時も気にはなっていたんです。特にあの恰幅のよさは、餌を上手に食べ歩いたからといって、野良猫が一朝一夕になれるものではないですから。秋野の言った『近所で餌を上げている人』って線も当然ありましたが、飼い猫って考えた方が腑に落ちたんです」
猫の肥満は運動不足と餌の与え過ぎが主な原因といわれている。特に、飼い主による餌の管理がずさんな場合に多いらしい。餌を催促されると断れない、皿一杯に出してもぺろりと平らげてしまうので足りていないと思い多めに与えてしまうなど。そう考えれば必然、餌場を練り歩いている野良猫よりも、自宅で悠々自適に食事をし、好きな時に外へ出られる放し飼いの線が濃厚になってくる。
「でも、じゃあどうやって大福が工藤さんちの猫ってわかったの。飼い猫だってわかっても、どこで飼われているかなんてわからないじゃない」
「小波先輩の言う通りです。大抵の場合は、万が一のために首輪に飼い主の連絡先を書いておきますが、大福の場合はそれもありません」
これは、あまり言いたくないんだが……秋野と小波の視線が離してくれそうにない。
「ちなみに、先輩はわかります?」
「まあ、おおよその検討はついてるよ。コミュ障の影浦くんにはさぞ大変だったろうな~って」
くっ、流石は先輩。
まあバレているのなら二人も三人も変わらないか。
「あ~っと、それは、まあなんだ、端的にいえば『ざっくり総当たり』って感じ、かな」
「それってつまり……」
「片っ端から調べたってこと?」
秋野と小波は答えを聞いて、これっぽっちも納得がいっていない様子だった。小波はあきれたように首を振り、秋野も目を細めてさらに追及を強める。
「いやいやいや、片っ端からって。ここら辺の家を全部聞いて回ったってこと? 何十、いや何百件あると思ってるのよ。秋野ちゃんが教えてくれた範囲を調べるだけだってかなりの家があるのに、そんなの、たった二日間で調べられるわけないじゃない」
小波の言葉に秋野も頷き返す。
「言っただろ、『ざっくり総当たり』だって。流石に片っ端から聞いて回ってたんじゃ時間が足りない」
「じゃあどうやってやったの?」
「そこはほら、影浦くんお得意の推理による絞り込み、だよね?」
先輩は俺の考えを読んだように答えを言い当てた。先輩には、俺がホームズの小説を読んでいることを知っているから、まあ順当にだどりつけるだろう。
「ま、そういうことだ」
「いや、ちゃんと説明しなさいよ」
俺が面倒臭がって説明をしないと思った小波は、すぐさま食って掛かった。
(これは俺の力不足を晒すようなもんだから、あんまり言いたくないんだが……ここまできたら、もう逃げられないだろう)
「つまり、大福が放し飼いの飼い猫ってところまではわかったけど、大福の飼い主を見つけ出す効率的な方法は、いくら考えても浮かんでこなかった。だからしかたなく、愚直に範囲を絞り込んだ。まず不動産仲介店が提供しているここら一帯のペット飼育可能物件を全部調べてポイントした。そのあと実際に行ってみて、犬小屋がないところ、網戸がゆるくなっているところ、子供用自転車が置いてあるところ、そういった家に絞って調べていったんだ」
「ちょ、ちょっとまって。犬小屋はなんとなくわかるんだけど、網戸と子供用自転車は何? それと猫を飼っているのと関係あるの?」
「猫は自分が家に入りたいとき、存在を伝える手段として爪を引っかけて網戸をよじ登る場合があるんだ。だから、猫用の出入り口を用意していない家だと網目がゆるくなっている可能性が高い。子供用自転車は、猫を飼い始める理由に『子供にお願いされたから』っていう可能性を考えて、だな」
『子供にお願いされたから』は可能性としてかなり低めだったが、秋野の顔がちらつき、どうしても考慮から外せなかった。
秋野と小波は信じられないとばかりに目を瞬かせ、開けた口がふさがらずにいた。
「すご……それで工藤さんの家を探しあてたってわけ?」
「いんや、これがぜんっぜん駄目だった」
小波はわかりやすく頭をガクっと落としてリアクションする。以外にノリがよくて、つい口が軽くなる。
「土曜日は全滅。見たことあるって人はちらほらいたけど、飼い主が誰かまではわからないって。だから家に帰ってもう一度、絞り込む条件を考え直そうとインターネットで猫の生態を調べてたんだ。その時には、ふとある画像が目に入ったんだよ」
「ある画像?」と小波が問う
「それが、縁側で日向ぼっこする猫の画像だったんだ」
俺の言葉に、小波はわかり易く吐息を漏らす。
「あんた、もしかして『猫と言えば縁側! 縁側のある家を探そう!』って考えたとか言うわけ? いくらなんでも話が出来すぎ。今は冗談とかいらないから、本当のことを教えなさいよ」
秋野もそれが嘘だと思ったのか、疑わし気に見つめ返してくる。
「画像を見たのは本当だって。それでひらめいたのも本当だ。けど、小波が言った『縁側にいる』と考えたわけじゃない。縁側のあるような、少し年季のある建物の特徴が、まさにポイントだったんだ」
「特徴ですか?」
「そう。俺たちはこの三日間、三人で手分けをして大福を探してただろ?でも、見つけられたのは金曜日の放課後に一度キリ。これだけ猫が多い場所で、大福だけが見つからないのは不思議だったんだ。だから思った、大福はいなかったんじゃなくて、見えなかったんだって」
「見えない……あっ」
小波と秋野がほぼ同時ぐらいに回答に辿り着いたらしく、先ほどのような曇りまなこはなくなっている。
「「竹垣!」」
二人の声がぴったり重なる
「そう、あの位置から竹垣を隔てて縁側に座る大福を視認するには、意図的に覗き込まないと難しい。覗き込んだとしても、あそこには洗濯物が干してあるから、その影にいたんじゃ見つかりっこない」
「やるじゃん影浦! 見直した!」と小波はバシバシ背中を叩き、突然の事でつんのめりそうになる。
実のところ、かなり分の悪い賭けであり、休みもろくにとらずペダルをこぎまわったせいで疲労はピークに近かった。藁にもすがる思いで外から隠れて見えないような家々を探し周り、工藤さんの家を探しあてたのは奇跡と言ってもいい。
おかげで、もう一つの作業は根を詰める羽目になったが、なんとか間に合わせることができた。
(喜んでくれるだろうか)
そう、俺の計画はまだ半分しか終わっていない。でも今は、このメンバーで勝利の余韻に浸りたい気分だった。
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