第十七話:迷走のち、奔走


「……疲れた」


 俺はアパートに帰ると、着替えも忘れてベットに勢いよく寝転んだ。マットレスのスプリングがキイキイと喚くが、それに反抗する気力も残っていなかった。


 だるくて、動きたくないのに、眠くない。


 天井が、近くて、暗い。


 仰向けに、ただぼんやりと、見たまま感じるままを言葉に浮かべる。薄く開けはなれた口から浅く呼吸を繰り返し、唇が渇くと少し湿らせ、また呼吸を繰り返した。


 仰向けの姿勢に背中が悲鳴をあげ、寝返りをうつ。しばらくすると枕に押しつぶされた耳が悲鳴をあげ、また仰向けに戻ると、いつしか暗くなった部屋を、掃き出し窓から差し込む月明かりがいやに眩しく照らし出していた。


 月明かりの煩わしさに目が覚めてしまい、起き上がる。カーテンを閉めるのも億劫になって、ぼんやりするのにも飽きてきた俺の脳は、つい先刻のことを思いだそうと、記憶の糸をゆっくりと手繰った。




 遊具で遊ぶ子供たちもいなくなり、公園のベンチには二人だけ。俺と秋野の間に長い沈黙が居座った後、日が暮れて、あたりが暗くなるのを口火に俺は帰ろうと提案した。しかし、秋野はベンチから動く素振りもなく『帰りたくない』と一言。当然、『帰りたくない』の意味を『もっと一緒にいたい』なんて間違えるほど愚かではない。


 一人暮らしの男の家に泊めるなんて論外。ただ、俺が頼れる女性の知人といえば先輩、小波、結花の三人のみ。正直、結花にお願いすれば後々根掘り葉掘り聞かれて面倒だなと憂慮したのだが、先輩は連絡しても既読がつかないし、小波は病欠なので当然無理。


 残された選択肢は、一つしかなかった。


「久しぶりに見たな、結花のあんな顔」


 両親が仕事から帰宅していないのは不幸中の幸いだった。俺は『何も聞かずに秋野を泊めさせてあげて欲しい』と結花に拝み倒すと、結花は俺と秋野を交互に見比べ『この愚兄、また面倒ごとを持ってきたな』みたいな表情を浮かべた。それも一瞬のことで、俺のことよく知った賢妹はすぐに外行そといきの御面をかぶり、秋野を家に迎え入れてくれた。


 帰り際、『ハー〇ンダッツのアイス、一ダース』とメッセが来たので、土下座したパンダのスタンプを送り返し、心の中で感謝を述べた。


 五日の勤労を終え、気怠く休みたい身体と裏腹に、休日が待ち遠しく胸躍る気持ちが入り混じる金曜日。それが、今はただただ憂鬱で、煩悶とするばかりだった。ものは試しにと、日課だった美少女ゲームをやってみたが、ただテキストを流すばかりで内容はこれっぽっちも入ってこない。スマホゲームも実況動画も音楽も、何をしていても、最後にちらつくのは辛そうに語る秋野の横顔と、頬をつたう涙ばかり。


「くそっ、どうしろっていうんだよ」


 俺に、何ができたっていうんだよ。


 そもそもこの部活に入ったのだって、先輩に無理誘われて、部活動が強制入部だから仕方なくと思って入部して、でも部員が足りないから部員集めまでやることになって、まだ正式に認められていないのに部活動をさせられて、当の先輩は一切連絡が付かくて、何から何までしっちゃかめっちゃかだ。


(こんなの、何もできなくて当然だ。それに、相談を受けたのはSA部なんだから、責任は俺だけにあるわけじゃない。今日、たまたま秋野と俺だけが部活に参加して、たまたま秋野と秋野のお母さんが出くわす現場に居合わせて、たまたま秋野の過去を聞く場に俺しかいなかっただけ。そうだよ、誰だってこんな状況に立ち会えば、何もできないのが普通なんだよ)


 そうだ、普通なんだ。


 助けになれるのなら、そうしている。


 誰だって、簡単に主人公になれるならそうしてる。


 それができないから、人はフィクションの中で輝く自分を夢想し、思い通りにならないから、フィクションに理想をのせて描くんじゃないか。


 現実で叶えられない願いの数だけ、物語ができるんじゃないか。


 今手にしているスマホの中にだって、沢山の種類の物語が消化され残っている。思い通りにならないことの証明として、残っている。


 俺は、自分が今日とった行動を正当化し、自分の精神を守ろうとしたことに気付く。思考するいとまを挟むことなく、言い訳はスラスラと、これまでに経験がないほど流暢かつ明朗に吐きだせた。


 これは仕方ないことだ、誰がやっても同じ結果だった、俺だけが悪いことなんてないんだ。そんな言葉が思いつく度に、月明かりに照らされて浮き出た影が、一層濃くなるように感じ。


「かっこわる」


 吐き捨てた言葉には、これまで誰にも浴びせたことのない、酷く嫌悪した感情が込められていた。噛み潰した唇の裏の皮から血がにじみ流れ、鈍く鋭い憎悪が身体中に流し込まれる。


 いつから俺は、こんなにも流されやすく、腑抜けた人間になったんだろう。父さんの部屋で見つけた美少女ゲームの告白に魅せられて、『甘々ハイスクールライフ』を実現するために突っ走ってきたつもりだった。中学三年間をステータス上げに費やし、夢にまで見た高校生活に足を踏み入れた途端、このざまだ。


 俺は、何一つ成し遂げてなんかいなかった。ステータス上げなんていくらしたところで自己満足。一番つらいことから逃げだし、現実から目を背けていないと自分にいい聞かせて、安心したいだけなんだ。こんな奴が主人公になんて、理想の恋愛を叶えるなんて、呆れる。


「……消そう」


 俺は立ち上がり、机に座る。先ほどシャットダウンしたばかりのノートパソコンをつけ、美少女ゲームのデータが保存されたフォルダを片っ端から削除していった。メーカーごとジャンル分けされたフォルダを一つ、また一つ、禍根を清算するように。


 保存用の外付けドライブも含め、残るフォルダはあと一つ。


 全ての初まりにして、元凶。諸悪の根源ともいえる、出会いのソフト。


「これで、最期だしな」


 俺は実行ファイルをクリックした。新しいOSバージョンでも起動するか心配だったが、あの時と画面だ。今では少し色褪せたようにも映る、やや古めかしいレイアウトのホーム画面。


 『ロード』を選択すると、セーブデータ一覧には当時の日付と一緒に、スクリーンショットとシーンエピソードの話名が五行×二列の小枠にびっしりと保存されていた。一から順にタブを切り替えてみても、どこも隙間なく一杯だった。


「どんだけやりこんでんだよ、俺」と思わず苦笑する。


 保存された日付をみるだけで、あの頃の気持ちがそのまま蘇ってくるようだ。


 カチ、カチ、とクリックしていた指が止まる。


 No29_シーンエピソード:『告白』

 

「……最期、だからな」


 カチカチ


 しっとりとしたオルゴールの音色と、ほのかに頬を赤らめ、朝顔の浴衣に身を包んだ金髪の女の子。


 あの時と、何一つ変わっていない、理想の形。 


 カチカチ


『先輩にとって私は、まだ子供っぽいただの後輩?』


 何度も聞いた、あの透き通るような声。次にくる言葉も、表情も、全てわかっているはずなのに、ひとさし指に気持ちがのせられる。


 カチ、カチ


『先輩後輩としてじゃなく、一人の女性として、お前が好きだ』


 花火によって照らし出された女の子の、あでやかできらびやかな泣き笑顔。頬には花火の光が優しく触れ、魔法のように美しく、幻想的。


(ああ、ダメだ)



 何度見ても同じだ。同じ、過ちを犯してしまう。



 あの時感じた想いが、蘇ってしまう。








「いいな……」


 焦がれてしまう。







 これが、俺なんだ。変わらない、変わりようものない。三年たっても何一つ同じだ。俺は、こんな恋愛に、告白に憧れている。この物語の主人公のように、青春時代を、運命の人と送りたいと思っている。


 そして、最後まで見終えるころには迷いなど最初からなかったように、胸の内が晴れ晴れとしていた。


 これは全て、俺が選んできた道。誰に指図されたわけでもなく、俺が思い描いた理想に辿り着くため、必死で辿ってきた道。なら、最後まで突き通せ、『甘々ハイスクールライフ』を描く主人公として。


「っし! そうとなれば作戦準備だ!」


 俺は机からルーズリーフを取り出し、ペン立てからシャープペンを引き抜いた。あの時と同じやり方で、ひたすら頭に思い浮かんだ解決策をルーズリーフに書きなぐった。不器用なんてもんじゃない。どこまでも泥臭く、牛歩にも劣るスピードで、それでも歩くことを止めなかったあの時と同じやり方で、ひたすら突き進む。

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