第六話-②:嵐が吹いて、地が固まる前に吹き飛ぶ
「影浦くーん、部活行こうぜ!」
空気が、がらりと変わった。
それまで漂っていたクラス内の下校ムードを、間に割って掻き分けるような存在感のある音が響き渡り、いや彼女の存在感もあってか、視線はたちまち一人の来訪者が全てかっさらっていった。
躍動する赤茶色の髪を振り乱し、コバルトブルーのシュシュで結ばれた後ろ髪は、彼女の活発な動きに呼応してふわふわとなびく。碧い瞳に宿した、溢れんばかりの好奇心がこちらに向けられると、思わず身体が強張ってしまう。
「お、影浦くんはっけーん。さ、早く部活にいこ」
クラスの喧騒を意にも介さず突き進み、俺の前で止まってそう話しかける一人の美少女。唇が薄っすら桃色で、ぷっくりとやわらかそう。第一印象に圧倒されてしまったが、彼女のひときわ目立つ女性的な部位を近くに感じ、自分の顔が赤らんでいくのが解る。
「あ、あの、どちら様でしょうか」
「ひ、酷い……。あの時、運命を共にすることを誓いあった仲だというのに、もう忘れてしまったの。もしかして、私との関係は遊びだったのね!」
「待て待て待て!断じてそんな誓いは立てていないし、遊びで付き合ったことも、そもそも女性と恋愛関係になったこともない!」
あと近い!
彼女は机に身を乗り出す勢いで、まるで結婚を約束した相手が妻帯者であった時の不倫相手であるかのように食って掛かってくる。
ブレザーでは隠しきれない、ワイシャツから膨れる曲線美に目を持っていかれそうになるのを堪えるのに必死だった。
(ん?待てよ。いちいち芝居がかっていて妙に鼻につく、やたら豊満なのに距離感の詰め方がおかしいこの感じ、どっかで……)
鬱陶しい、というかうざい。
芝居がかっていて、調子よく人をおちょくるんだけど、どこか憎めない。
目鼻立ちが整っていて、なにより豊満な、胸部……
「あ、アイリーン?」
「お、正解せいかーい!もうちょっと時間かかるかな~っと思ってたんだけど。影浦くん、以外に探偵の素質あるかもよ?」
言えない、最後の判断材料が胸であるとは、ここでは口が裂けても言えない。
「え、いや、だって先輩、確か黒髪でおさげだったはず」
「勿論、演劇部から借りたカツラだよ。私それなりに有名人だから、髪型と校章を変えるだけじゃすぐにばれちゃうんだよ。だから、髪色と、普段よりも長めのカツラ、そして大人しめの印象付けができるおさげ髪。ちょっとそばかすも書いてみたりして変装してた訳」
徹底してる……
真面目に不正を、徹底している。
「手が込み過ぎじゃありません?」
「成果を上げるための近道は、まずルールをよく確認すること。そのうえでリスクを検討し、有効な抜け道を探すこと。そしてバレずに済めば万事解決」
「俺にばれてますけど」
「君はばらさないよ」
先輩は堂々と、確信があるように言い切った。
「なんでそう、思うんですか」
「君を信じているからね」と先輩はウインクして答える。
「……それ、暗に脅してません?」
「そんなことはないよ。それに、間違いなく楽しい部活動になる。私がそうする。だから君も、信じて飛べばいい」
大言壮語を疑う余地もなく、俺は息をのんだ。
この時、初めて先輩に会った時の、ちぐはぐ感の正体がわかった気がした。
この人は、人の上に立ち、先頭から
変装しても隠せなかったあふれ出る存在感が、文学少女とのちぐはぐ感を生み出した。
眩しいけど、得体が知れない。それゆえに、怖い。
これが、改めて感じた先輩への第一印象だった。
「というわけで、はやく部活にいこ~」と打って変わって燦々と笑顔輝かせ、俺の右手首を掴んで引っ張ろうとする。
「あ、いや、ちょっと待ってもらっていいですか」
「ん、何か用事?」
俺は小波さんの姿を確認する。
彼女は俺と先輩とのやり取りを、他のクラスメイトにもれず傍観していた。
先に帰っていないのは吉報がだ、この状況じゃどう動いても注目を集めてしまう。それは、きっと
「……なるほど、そういうことね」
先輩の口角が、怪しく吊り上がるのを、俺は見逃さなかった。
「ね、ね、ね。君、名前は何て言うの?」
先輩は音もなく、気か付けば隣に座る小波さんの正面に立っていた。
「こ、
「五十鈴ちゃん!このあとって何か用事あるのかな?」
「い、いえ、もう帰るだけですけど……」
「じゃあさじゃあさ、この後少しだけ付き合ってくれないかな。ほんの十分、いや五分、部室によってみるだけでもいいんだけど」
「いや、興味な、」
「お願い!先輩、いますっごい困ってるの。五十鈴ちゃんが来てくれると本当に助かるんだけど」
先輩は手を合わせ、「お願い」「困っている」「助けてほしい」という単語をしきりに並べたてた。決して
最初は断ろうとしていた小波さんも次第に疲弊し、先輩の視線を避けるようになっていった。しかし、避けた先にもクラスメイトの奇異なものを見る視線とかち合い、最終的には俺に助けを求める始末。
俺は、自分の身内が粗相をやらかしてしまった気持ちで、深く頭を下げる事しかできなかった。
「はぁ、分かりました。分かりましたから、もうやめてください」
とうとうお願いの猛攻に耐え切れず、小波さんが折れた。先輩の両肩に手をやり、何とか距離を取ろうと必死に押し返している。
「ホント!思った通り五十鈴ちゃんはいい子だね!じゃあ早速部室にいこうか」
「二人とも早く早く」と先輩は言うが早いか、出入口前に移動し、扉を抑えるような態勢で手招きしている。華麗な身の翻しに、小波さんは口を開いたまま呆然としていた。
「ねえ、本当に何なの、あの先輩」
ようやく言葉にしたのは至極もっともで、雅人自身も教えて欲しい難題だった。
「俺も今日会ったばかっりなんだ。だけど、何と言うか、すまん」
もう一度、深々と頭を下げた。
今日一日ずっと言えなかった謝罪が、こんなにもすんなり伝えられた。
謝罪の理由は全くの別問題に対してであり、これが昨日の事についての謝罪であればどれほど良かっただろうと、影浦雅人はしみじみ思うのだった。
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