微糖Extra:個性たらしめるもの

 晴れてSA部の加入が決まったのはいいが、当面の問題がまだ片付いていなかった。


「さて、あれをどうしたものか」


 部活動を決めたからとはいえ、あの勧誘パレードデスパレードの中を突き進まなければいけないことに変わりはない。

 生憎、今日は謝罪文と菓子折りの事で頭が一杯で、部活動勧誘など頭になかった。イヤホンでもあれば……いや、あのパレードはイヤホンだけで乗り切れるほど甘くないだろう。

 小学生のころ一年だけ習った、お寺の爺さんの道楽空手教室で培った祈りの正拳付きをかます時か。いや、駄目だ。あのラガーマン&フットボーラーの前じゃたちまちぺしゃんこにされておしまいだ。


(結局、どれだけ腕っぷしに自身があっても、重量差には勝てないもんな)


 ボクシングを観ていればよく分かる。

 通信講座でボクシングを習っていたころ、何とかドリームマッチという、世界中の有名選手が一夜に集い、言葉通りファンにとっては夢のような組み合わせの試合が観れる番組がやっていた。


 同じ階級同士の選手が戦うルールだが、相手のM選手が減量に失敗し、本来の階級水準を大幅にオーバーしてしまっていた。興行とはいえ、許容を大幅に超える体重超過は即失格となる。それでも、減量に成功したK選手の強い意向もあり、エキシビジョンマッチということで試合は続行。


 前半、K選手は持ち前の身のこなしと鋭い突きでM選手を圧倒しているように思えた。しかし、M選手の放った一撃を、たった一撃を食らいK選手はそのままノックアウト。

 M選手は喜んでいたが、会場からはブーイングの雨あらし。実況解説も、やはり体重差によるパンチ力の差が勝敗につながったと説明していた。


(突き止めると、相撲が最強の格闘技ってことだな)


「お困りかな、ワトスンくん」


 石垣から正門を覗く俺の、さらにその後ろから声がする。

 自称アイリーンことおさげ文学少女であり、実質部活動の先輩。


(この人、ずっとここで違法勧誘する気なのか)


「はいお困りです。あとワトスンくんって言うのやめてください。さっき入部届に名前書いたじゃないですか」

「そうだったね、雅人くん」


 思わず下の名前で呼ばれ、俺はこそばゆくなり身をよじる。


「…なんで下の名前なんですか」

「おやおや、こっちの方が嬉しいかなと思ったんだけど、違う?」

「それは家族と幼馴染、そして彼女にのみ許された特権です。是非やめていただきたい」

「あはは、なにそれ童貞っぽーい」


 ……部活やめようかな。

 入って五分と経たずに退部するなんて、全国の高校史をたどってもそうはいないのではないだろうか。


「そういえば先輩の名前、聞いていませんでした」

「アイリーン・アドラー」

「もういいですって」

「え~、でもせっかくなら秘密にしておこうかな。そっちの方が面白そうだ」

「こっちは名前を教えたのに、フェアじゃなくないですか」

「私は入部届を受け取っただけだよ?直接名前を聞いたわけじゃない」

「た、たしかに」と俺は素直に納得してしまった。


 だが名前を知らなくても困ることはないし、今のところ『先輩』に当たる人間はこの人だけだから、またおいおいにでも調べればいいか。


「それよりも、影浦くんはまずはあのパレードを何とかして通りたいんだよね」

「ええ、まあ。比較的穏便に、できれば一言も話しかけられず、誰にも触れられたくありません」

「むむむ、要望が多いな。だがしかし!可愛い後輩のために一肌脱いであげようじゃない」


 大きな胸いっぱい、自身に満ち満ちている。

 初めて頼りがいがありそうに見えた。

 

(一肌脱ぐ、に若干ドキッとしたのは忘れよう)


「はいこれ」


 先輩はブレザーのフラップポケットからあるものを取り出し、手渡した。


「……えーと、これは?」

「王将だよ。あ、玉将の方が好きだった?」

「いえ、それが将棋の駒だというのは分かりますし、どちらかといえば王将が好きです。そういう意味ではなく、なぜ将棋の駒を渡したんですか?」


 先輩はやれやれ、と手の平をみせつけるようにため息をついた。

 この先輩、人をイラつかせることについては天性の素質があるかもしれない。


「いいかい影浦君、これは部活動の勧誘パレードだ。正門前にいる人間は誰しも部活に所属し、新たな部員獲得のため奔走している。そして、自らの部活動が何なのかを示すため、みな一様にユニフォームや、それに準ずる道具を身に着けているだろう?」

「まあ、確かにそうですね」


 運動部は基本ユニフォームか練習着を着用し、バットやボール、ラケットといったものを持っている。文芸部はユニフォームこそないものの、習字に絵画、生け花といった作品を並べている。


「つまり、部活動に所属している、その部活をしているというパーソナリティを自演すればいいんだよ」

「言っていることは理解できます。でも、なぜこれ王将なんですか。もっと分かり易くて目立つのがあったでしょう。ほら、野球のバットとか、テニスのラケットとか」

「いや、かさばるし。私もってないもん」

「いや、まあ、そうですけど。じゃあせめて、折り畳みの将棋盤とかもってた方が分かり易いじゃないですか」

「いやいや、棋士が常に将棋盤もってるって、どこの少年誌?」

「将棋の駒持ち歩いてる棋士もいませんよ!」


 しょうがないな~、と先輩は新たに鞄からある物を取りだした。

 白くて、長い、あれは……たすき


「はい、ちょっと屈んで。これを掛けていれば問題ないから」

「おお、何ですかこの襷、役員証明みたいなやつですか?」


 俺は言われるがまま屈み、先輩が前のめりになって首から下げてくれる。

 ほのかにかおる、柔軟剤の匂いに鼻腔をくすぐられ、一瞬意識が彷徨う。

 しかし、その意識はすぐに現実に引き戻された。


『竜王』


「先輩、もしかしなくても『竜王』って」

「うん、将棋のタイトル戦。これを付けていれば、いかに無知な生徒でも将棋部って思うよ」

「無知なのは先輩の方ですよ!世間知皆無ですか!」

「え、『竜王』ってメジャーなタイトルだと思ってたけど。じゃあ『棋聖』もあるからそっちに変えとく?」

「そこじゃねぇよ!どこの世界にタイトル名引っさげて往来を歩く棋士がいるんですか!」


 冗談かと思ったら、本当に『棋聖』の襷まで出てきたので、頭を抱えた。

 これで何度目だろう。

 俺は入部届を書いてしまったことをまた後悔した。


「も~我儘言わないの!。影浦くんにはこのまま勧誘しにくる部活動の餌食になってもみくちゃにされるか、棋士になりきってやり過ごすかの二択しかないんだよ」


 酷い二択だった。

 どちらを選んだとしても、肉体をすり減らすか精神をすり減らすか、何かを犠牲にすることには変わりなかった。


「でも、でもせめて、身バレだけはしたくないっ。タイトルぶら下げて駒を持ち歩く変人だと知れたら、今度こそ教室内、いや高校での立場が終わってしまう」

「身バレ、身バレか……」


 先輩は何やら真剣に考え込むと(嫌な予感しかしないが)、を差し出してきた。


「こ、これは!」



「聞いたか、うちの高校、将棋のプロ棋士がいるんだって」

「え、うっそ、マジ?」

「まじまじ、なんでも『竜王』と『棋聖』って書かれた襷をダブルクロスさせて、王将の駒を掲げてパレードに参加してたんだってさ」

「何それ、それ本当にプロ棋士なの?」

「いやいや、すっごい堂々としたただずまいだったんだって。それに、もし偽物だとしたらかなり痛いやつじゃん?流石にそんな奴いないって」

「それもそっか。それで、その生徒って誰なんだよ」

「それがさ、校章から二年生であるのは間違いないんだけど、サングラスをかけてて顔が見えなかったんだ。将棋部の連中も『そんな二年生はいないし、そもそも部にプロがいない』ってさ。だから、今まで部活に所属してこなかった、隠れプロ棋士が現れたんじゃないかって。もうその話で持ち切りだよ。将棋部の連中、血眼ちまなこになって探してるんだってさ」

「確かに、入部したら完璧エースだろ、そいつ」

「なー、うちの学校にも取材とか来たりして」


 俺は噂が自然に消え去るまでの期間、クラスの連中が話しているのを聞く度、新しく刻まれてまもないアナログタトゥーに心が苛まれたのだった。

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