第十三話③:ホントの相談者
「……あの猫は、大福は、私が初めて一目惚れした猫なんです」
一目惚れ。
その名の通り、一目見ただけで恋に落ちる事、またその心的な機能を指す。相手を見た瞬間に胸が高鳴った、夢中になって目を離せなくなった。心理学的には『出会って一時間以内に相手を好きになる』なんて定義もある。
一目惚れ……
「それはあれか、なんだ、今まで好きだった猫とは、その、別感情のなにかが、大福にはあるってことなのか」
「どしたの影浦くん、その『初めて一目惚れを聞いた』みたいな人の質問は」
仕方がないだろう、まだ恋人どころか好きな人すらいたことがないんだから。一目惚れと言われても、ゲーム内でしか経験したことないし、それも人間の、異性に対してする一目惚れしか知らないし、ましてや動物に対して一目惚れする感覚など到底持ち合わせていない。
「出会った日の事はよく覚えてます。雪がさっぱりとけて、少しぬかるむ土を避けて散歩道を歩いていた時でした。大福は高いところが好きみたいで、いつも石垣や塀、ベンチの上にいるんです。あの時も、山吹色の平屋を仕切る石垣の上に、それは気持ちよさそうに眠ってました。私は近くで見たいと思ってゆっくり近づきました。大抵の野良猫さんは途中で警戒して逃げてしまうんですが、大福は私に気が付きながらもその場を離れようとはせず、それどころか態勢を変えて座りなおしたんです。私も欲が出てしまい、もう少し、もう少しだけと大福に近づいていきました。その時です、大福がものすごい形相で睨み返してきたんです。それが、もう、本当に、たまらなく冷たい視線で……」
……ん?
在りし日の、大福との出会いを語っていたはずの秋野は、急に艶っぽく、恍惚とした表情をしていた。まどろむような柔和な瞳の奥には、大福の冷たい視線にさらされた時の記憶が蘇っているのか、焦点が合っていない。
「大福は一見、丸々としたわがままボディがチャームポイントだと思われがちなんですが、いや、それも立派なチャームポイントなんですけど、本当の魅力はあのどっしりとした態勢から繰り出す冷酷な視線にあるんです。眼帯のような左目の黒い斑点が、まるで裏組織のマフィアみたいな雰囲気を醸し出していて、それがまた一段と冷酷さに磨きをかけていて、本当に本当に……」
「ストップ、もう解った。その、大福が秋野にとって特別だってことは十分伝わった。だからいい加減戻ってきてくれ。」
そうでないと、なんかもう、怖くて手に負えなくなりそうだ。
秋野は口調こそ一定なのに、喋れば喋るほど、秋野と現実世界との距離がどんどん離れていってしまうようで本当に怖い。
(今まで猫欲を無理に抑え込んできた影響なのか?)
幼少期から教育ママに育てられ、娯楽の一切を禁止されていた人たちが、大人になってゲームにドはまりするみたいなものだろうか。
それにしたって怖い。
これ以上秋野をトリップさせておくのは、何か手遅れにさせてしまいそうだった。
だが、どうしようか。
正直、ここまで来て秘密を打ち明けてくれたのだから、力になりたいとは思う。しかし、今現状SA部は存続、創設の危機に陥っているわけで、この依頼を受けることで部活そのものが無くなる、なんてことになれば本末転倒、目も当てられない。
それに、これほど思いやりの強い秋野のことだ。後日、事の顛末を知れば、間違いなく負い目を感じてしまうだろう。
(断る、しかないよな。すぐにどうこうってわけじゃないんだ、後日改めてでも……)
「よし!その依頼はSA部が引き受けよう」
「そうですよね、やっぱり一旦保留……」
あれ、聞き間違いだろうか。
「先輩、この依頼は」
「勿論、引き受けるよ。来るもの拒まず、去る者追わずがSA部のモットーだからね」
絶対今思いついただろ、それ。
だが問題はそこじゃない。
俺は秋野に聞こえないようするため、先輩を壁際まで移動させる。
「ちょっと先輩、依頼受けちゃってもいいんですか」
「当たり前だよ~。なんたってSA部始まって以来の初めての相談者だからね。何としても解決してあげないと」
いや、この部活まだ創設してないから。それに、初めての相談者はあんただろうが。
「でも部員の方はどうするんですか。もう火曜日ですよ、月曜日までにあと一人勧誘しないといけないのに」
「大丈夫大丈夫。そっちは最悪、最終手段で乗り切るから」
「それだけは誰も幸せにならないんでやめてください」
「あはは、そうかもね。でも、この依頼はすぐにでも受けるべき依頼だと思うよ」
先輩は冗談めかしていた口調に、いつになく真剣な声音を織り交ぜる。
「澄玲ちゃんがなんでここに相談に来たと思う?。見ず知らずの人間がやっている、まだ実績もないような部活に」
「それは……」
それについては引っかかっていた。
秋野は大好きなお母さんのために猫好きを隠していて、第三者から漏れることを警戒する徹底ぶり。クラスメイトにも秘密にするほどだ。それが、何故、こんな正体不明の部活に依頼をしに来たのか。
「一つはリスクヘッジ。澄玲ちゃんが特に警戒しているのはクラスメイト、ひいては友達やその家族から、澄玲ちゃんのお母さんに猫好きがバレてしまう事。高等部の生徒にばれたとしても、悪意をもって直接言いふらしに行くようなことでもない限り、伝わる可能性は低いからね」
そうか、クラスメイトに秘密にしているのは、その家族もろもろを警戒してってことなのか。確かに、先輩が言うとおりであれば、高等部の人間から噂が広まる可能性は低い。そもそも秋野澄玲を知らない人間の方が多いから、話題に上がる事すら少ないだろう。
「でも、その『悪意をもって直接言いふらす』可能性だってゼロではないでしょう」
そんな人間、フィクションの中だけだと信じたいけれど、実際、マルチ勧誘や悪徳宗教のような、人の善意に漬け込む悪人はいくらでも存在しているわけで、『人の不幸は蜜の味』なんてことわざが残っているのは、つまりそういうことだろう。
「それが二つ目の理由だよ」
「どういう意味ですか?」
「君だよ、君。影浦くんだからってことだよ」
「俺?」
全然わからない。
「つまり、澄玲ちゃんは影浦くんを信頼しているってことだよ」
「いや、いやいやいや、それこそ意味がわからないですよ」
信頼してくれるのは素直に嬉しい。だが、今朝あったばかりの、たまたま通りすがり、倒れているところをたまたま保健室まで運んだだけの人間を、そこまで信頼なんてできるだろうか。
「それについて、私からは何とも言えないよ。今朝あったことは澄玲ちゃんと影浦くんにしか分からないことだから。でも、ここまでの話を聞いてたら、これしか考えられないかな~って」
ここまでの話。
秋野澄玲の、徹底した秘密主義。
少し、というかかなり、混乱している。
正直、先輩の話を全て鵜呑みにはできなかったけれど、秋野が秘密を打ち明けるに踏み出した理由が、少なからず俺にあるのだという事実は受け入れようと思った。そうしなければ、話が進みそうにない。
「分かりました。部長である先輩がOKを出したなら、俺が断る理由はないです」
気持ちとしては最初から、手伝う方向に向いていたわけだし、俺にとっても願ったり叶ったりだ。
「よし!それじゃ五十鈴ちゃんと一緒に、澄玲ちゃんのお願いをかなえてあげてね。私は部員勧誘の方に回るから、あんまり力になれないと思うけど。でも、影浦くんなら大丈夫だよね?」
期待の眼差しに答える気持ちで「まかせてください」と息巻いてみせれば恰好が付いたのだろうけど、俺は「が、頑張ります」と若干どもって答えるのがやっとだった。
◇
「そういえばずっと気になってたんだが、秋野はなんでここに相談をしに来たんだ?。秋野にはSA部の活動内容を言ってなかった気がするんだけど」
ぶて猫、もとい大福との仲良し作戦は明日の早朝からと決まり、ひと段落ついたところで質問してみた。
「いやいや、それは影浦くんが勘違いしてるだけだって。さっき事情を説明してもらった時、影浦くんはSA部の活動内容を話していないって言ってたけど、どこかでぽろっと喋ってたんだよ。そうでなきゃ、相談をしに来ようってまず考えないと思うな」
「それは、まあ、確かに」
先輩の言うことはもっともだ。
先輩の論でいえば、俺という人間を信頼していることが、秋野が秘密を打ち明け、相談しようとなったキッカケの一つであるとのこと。
しかし、それは『相談ができる』という前提のもと、その判断材料に俺が使われた。つまり、ここが『依頼を受けてくれる場所』かつ信頼ができるかどうかを判断したうえで訪れたということ。
ただ、いくら思い返してみても、秋野が目を覚ましてから保健室を離れるまでの間に、それらしき会話をした覚えがない。ポスターを渡し、部員勧誘を行っている事実のみしか伝えていないはずだ。
「いえ、先輩は説明をしていません。正確に言うと、先輩からは直接説明を受けていません」
「……どゆこと?なぞなぞか何か」
「さ、さぁ。俺にもさっぱり」
先輩は首を傾げ、俺も腕を組み考えてみるが、それらしい答えは思いつかなかった。
「これです」
秋野が取り出したのは、俺が保健室で掲載をお願いしたSA部のポスターだった。
「あ、秋野、もしかして……」
「まさか澄玲ちゃん、そのポスターの意味、解ったの?」
「『どんなお悩みでも答えに導く』ですよね?。描いてある通りだと思いますけど」
まさか、そのまさかだった。
「秋野!絶対に大福との関係を進展させてやるかな!」
「え、はい。よろしく、お願いします……」
俺は秋野の手を握り、硬く、熱烈な感謝を込めた誓いの握手をした。握手が交わされている横で「ええ……」と、得体のしれない物をみる視線を感じたが、関係ない。
俺はこの日、なんとしても秋野の願いを叶えてやるのだと誓ったのだった。
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