第十三話②:ホントの相談者


「相談?」


 思わず聞き返してしまった。


 SA部はもともと、生徒の相談を解決するために創設された、いや創設予定の部活動なのだから、相談者が来ることはなんら不思議ではなく、相談ある前提で話を進めるのが当然だろう。


 この疑問符も『どんな相談?』という意味ならおかしくはない。だが、しかし、まずもって俺の頭に浮かんだのは『どうして相談?』だった。


 そんな俺の疑問を質問と捉えたのか、秋野はそのまま話を続けた。


「これは、クラスメイトにも話していない事なんです……」


 彼女は先ほどにもまして神妙な面持ちだった。


(ちょ、ちょっと待て。そんな大事なことを、こんなどこの馬の骨とも知らない部活の一部員に話していいことなのか?)


 藁にもすがる思い、なんて切迫しているようには見えないが、とてもリスキーな選択だ。しかし、秋野の表情に焦りの色はなく、冷静に相談相手を選んだうえで相談を持ち掛けているように見える。正直、早計だと思うが、それでも、彼女が俺を選んでくれたことには、少なからず報いたいと思った。


「実は……」

「実は?」


ごくり。






「私、猫が好きなんです」

「……ん?」

「猫が、大好きなんです」


 知っている。今朝、嫌というほど知る羽目になり、そのせいで遅刻した。


 というより、あの出で立ちで、あの風貌で、必死にエノコログサを握っていて、もし猫が嫌いだったとしたら、それはきっと何らかの如何わしいビデオの撮影か、罰ゲームで苛められているとしか考えられない。それほど強烈に印象付けるワンシーンだった。


 とはいえ、猫が好きだということをクラスメイトにも隠しているというのは、一体全体、どういうことなんだろうか。クラスメイトが全員犬派で、極度の猫アンチなのか。


 思考が邪推にシフトしそうだったので、それが、猫が大好きなことが、相談とどう関係してくるのかを聞いた。


「私、子供のころから猫が好きでした。きっかけはよく覚えてないけど、多分、動物番組を見たのが最初だったと思います。ふれれば壊れてしまいそうなほど小さい子猫さんも、食いしん坊で、他の人のご飯まで食べちゃう大きな猫さんも、警戒心が強くて、絶対人には懐かないような鋭い目つきの猫さんも、全部、全部大好きで、身の回りのコップや図書鞄、靴に筆箱に帽子、子供の頃買ってもらった持ち物には、猫がモチーフのものであふれてました」


 聞けば聞くほど、秋野の猫に対する想いは膨れ上がる一方で、保健室で見た人間と同一人物だとは思えないほど、叙情的に言葉を重ねていく。


「それで、小さい時にお願いしたことがあるんです。『猫を飼いたい』って。でも、ダメでした」

「それは、どうして?」

「お母さんが、猫アレルギーだったんです」

「ああ、それは……」


 それは、確かに、秋野個人が努力して解消できる問題ではないだろう。もし秋野の素行や態度に問題があるのなら、それを改善して見せることで賛同を得られたかもしれない。しかし、金銭的、家族的トラブルは、秋野がどれだけ誠意を見せても、どれほどの想いを語ったとしても、どうにもならない事だ。


 ましてや、もし専業主婦であるならば、一番お世話をする機会があるのは秋野のお母さんだ。


「あの時、私はまだその事を知らなくて、何度もお母さんに『猫を飼いたい』とお願いしました。後になってお父さんにアレルギーの事を聞かされて、それからはお願いしていませんが、あの時のお母さんの顔は、よく、覚えています。お母さんは、最後までアレルギーの事は言いませんでした。ただ、『難しいね』とだけ言って、苦笑いして」


 じんわりと、解きほぐすような熱が、胸のあたりに滲む。


 俺は、俺の母親である影浦雅かげうらみやびの愛しか知らない。よその家庭のことなんて、知りたいとも、無理に調べたいとも思ったことがない。


 それなのに、なぜか、『母親』の存在が、自らの子に対して唯一無二の寵愛を振りまくものだと、心のどこかで絶対だと信じこんでいる。






 だからだろうか、俺は、多分。





「そっか、秋野のお母さんは、きっと、秋野の事が大切なんだろうな」






 秋野に、親近感を感じていた。


 勝手に、同じだと期待してしまっていた。


 秋野は「はい……はい」とやや俯きがちにうなずく。彼女の期待するものとは、きっと、意味が違うのだろうけど。


「それで、その、秋野はなんだ、昔の事を引け目に感じていて、それでおおやけには猫好きを公言していないってことなのか?」

「はい。あれ以来、学校でも家の中でも猫の話題は極力しないようにしています。猫グッツも、自分の部屋以外にはありません」

「クラスメイトにも隠しているのは?」

「どこからお母さんの耳に入るか、分かりませんから」


 なんという徹底ぶり。彼女が刑事ドラマの被疑者であったなら、秋野は間違いないなく、共犯者の口封じをためらわない。


 だが、それにしたって。


(気にし過ぎじゃないだろうか)


 それだけ、秋野がお母さんを好きで、その愛情が行き過ぎた想いの裏返しになっているだけとも考えられるけど、それにしたってやり過ぎな気がする。


(まだ、何かあるような……)


「それでそれで、澄玲ちゃんはSA部にどんな相談に来たのかな?」


 気が付くとそこに、先輩の姿がすぐ横にあった。話に夢中で全然気が付かなかった。


 ようやく荒ぶる小波を落ち着けたのか、と思えば、小波は端っこの方で一人、パイプ椅子に座って深呼吸、というより瞑想に近い何かをしている。


「先輩、あれは一体……」

「ああ、五十鈴ちゃんね。ちょっとうるさかったから、即効性のある冷静になれる方法を教えてあげたの。そしたら自分から邪魔しないようにって、端っこに行っちゃった」


 それで、瞑想か。それは納得だが、小波のやつ、無理やり瞑想しようとして、深呼吸じゃなくラマーズ法になってないか?


(完全に迷走している。まあ小波が静かな間は、特に気にすることもないか)


 俺は中断した話を戻し、今度は先輩と一緒に秋野との話を再開した。


「相談って言うのは、その、どうしても仲良くなりたい野良猫さんがいるんです」

「それって、もしかしてあのぶて猫のことか」

「ぶて猫?」

「あ、ぶて猫って言うのは俺が勝手にそう呼んでるだけなんですけど、なんていうか、実にふてぶてしい、恰幅のいい猫なんです」

「……あれは『大福』です、ぶて猫なんて名前じゃありません」


 あれ、秋野の声がワントーン低くなった気がする。何故だ、大福ってことは、ようは丸々太っている見た目を指して付けたあだ名だろう。ぶて猫とさして変わりなくないか。


「ここらへんの住宅街って野良猫が結構いるんです。勿論猫好きなことは隠しているんですけど、どうしても、その、目の前に猫が来ると抑えられなくって。触りたくなっちゃうんです」

「わかる、わかるな~。得も言えないフェロモンを放ってるよね、猫ちゃんは」

「そういうもんですか」


 正直、俺はそこまで動物、ひいては人以外の生き物に対して、秋野のような愛着を持ったことがない。犬や猫が可愛いのは理解できるし、撫でたら気持ちがいいのだろう。しかし、犬をベビーカーに入れて散歩に行くだとか、猫に顔をうずめる通称『猫吸い』だとか、少々過剰になりすぎた愛情表現をしている飼い主をみると、何と言うか、『落ち着け』と言いたくなってしまう。


「何気なく曲がった先、不意に視界に入る猫、それだけで気分は上がっているのに、途端姿を消してしまう。その持ち上げてから容赦なく落とされる感じも、たまらなくいじらしくて、それはそれで魅力的なんですけど、でもでも、そのピョコっと跳ねた耳がまた撫でたい欲を煽ってきて、それでそれで……」

「落ち着け、秋野」

「あはは、澄玲ちゃんが悦に入ってる~」


 なんか、もう既に悩み事なんてないぐらい、秋野はある種の悟りの境地に入っていた。今の話だけ聞けば、本人はとても満足そうで、とても悩める相談者には見えない。


「でもあのぶて……じゃない、大福って猫。あいつは秋野が近づいても逃げなかったよな」


 最後、足蹴にされたのは逃げたというより、踏み台にして使われた感じだからノーカウントとして。


「そうですね、大福は他の野良猫と違って警戒心が薄いのか、ある程度近づいても逃げません。まあ、自分から近づいてくることもないんですけど……」


 秋野は嬉し半分、寂しさ半分といった表情で語る。


「というか、大福って野良猫なのか?。首輪はしていなかったと思うけど、あの体型は誰かが手を加えない限り、一朝一夕でなれるものじゃないぞ」

 

 近所に沖合でもあれば、漁師に恵んでもらうこともできただろうが、海なし県である長野にそんな場所はない。渓流で鮎がとれればせいぜいだが、ここいらは住宅街でそれもない。


「それは多分、近隣の方々が餌をあげているんだと思います。以前、おじいちゃんおばあちゃんが袋一杯のキャットフフードを、銀皿に出してあげているのを見たことがあります。飼い猫にあげるついでに、一緒に来た猫さんにもあげてしまっているのかと」

「ああ、なるほど……」


 空腹を訴える目に、老婆心さながら餌を与えてしまっているわけか。多分、一人二人の仕業ではないだろう。野良猫の中で、餌を提供してくれる人間の情報網があり、それを巧みに辿っている結果があの大福というわけか。


「気を悪くしないでほしいんだが、どうしてそこまであの猫にこだわるんだ?。野良猫と仲良くなりたいだけだったら、それこそもっと人懐っこい性格のやつだっているかもしれない。そういう猫を探したほうが良くないか」


 今日初めて会った俺ですら、あの猫が、一筋縄で仲良くなれるような猫じゃないことは分かる。ふてぶてしくて気難しく、良くも悪くも、自分と波長の合う人間としか交わらないタイプに見えた。


 話を聞く限り、秋野は既に何度かアタックして玉砕している。それなら多少好みと違っていても、ふれ合える可能性の高い猫を選ぶべきだ。


 秋野は少しためらい、ほんのりと頬を赤く染めるようにして、言った。


「……あの猫は、大福は、私が初めて一目惚れした猫なんです」


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