第十一話:猫の奴隷
『頼ってくれ』
そう啖呵を切ったはいいものの、これといった解決策が浮かばないまま次の日を迎えてしまった。帰ってから早々に、手当たり次第の方法を模索したが、どれも確実ではないものばかり。残り一週間を切っている焦りから、何か始めなければと、部活動勧誘ポスターを百枚刷った。
(まさか、色鉛筆画の通信講座がここで役に立つとは)
俺は通信講座の入会特典である、クリーム色のオリジナル収納手提げバックにポスターを入れ、しみじみ思いふけっていた。
授業中、ノートの隅に書いたパラパラ漫画を隣の女子が発見し『え、影浦くん絵が上手なんだね』とマンガ好きのヒロインが話しかけてくるシチュエーションに憧れ、半年掛けて習得した色鉛筆画。
隣の席が
(とはいえ、残り一週間で最低一人。今日ポスターを掲示して四日間、いや、掲示した日を除いて三日間としてどれだけ効果があるか。画に自信はあるけど、この短期間では望みは薄い。直接勧誘するのが一番手っ取り早いけど、俺と小波の対人スキルはミジンコ同然。勧誘に行って誰にも声を掛けらずに帰ってくる、なんてなったら目も当てられない……)
「はぁ、どうしたもんか」
澄み切った青空の下、腕を組み、首をひねって思考をめぐらせてみても、悩みの雲が晴れることはない。
「猫の手でも借りたい」。ふと、ため息交じりに呟いた言葉だった。
「にゃーん、にゃーん」
猫の鳴き声が聞こえる。
猫がいるのかと思い、近づいていった。
猫はいた。
いや違う、正確には猫もいたが正しい表現だろう。
鳴き声の正体。
それは、抑揚のない一辺倒な調子で猫の鳴き声を真似した、限りなく猫になりきった身なりの女の子だった。
昨日、徹夜でアートの世界に入り浸っていたせいだろうか。潜在する欲望を無意識に具現化し、現実世界と妄想世界が混在してしまっている。
(俺、ケモナーだったのか?)
俺は目をこすり、空が青いことを確かめると、もう一度正面を向いた。
「にゃーん、にゃーん、ごろにゃーん」
道端で、どこからどう見ても人間にしか見えない物体が、猫耳と猫尻尾と肉球グローブを付けた状態で、猫なで声を出している。
(よかった、俺はケモナーじゃない。あの子がおかしいだけだ)
向かい合う石垣の上には
そっぽを向かれ、表情こそ変化はないが、アメジストの瞳には明らかに失意に陥ったものの色を示している。
(通りづらい……)
石垣に挟まれた一本道。
部活動勧誘を避けるため、登校時刻をギリギリにしたのが仇になった。回り道をしている余裕は、もうない。
(ノリノリで音楽を聴いているフリをしてやり過ごそう)
サイドポケットからイヤホンを装着しようと、リュックを前にずらそうとした。
その時だった。
「こうなったら、奥の手」
女の子は、肉球グローブをカポッっと景気よく外し、紺色のスクールバックから沢山の棒のようなものを取り出した。先の方がふさふさと丸みを帯び、ややしなるように前傾するモスグリーンの棒。
(あれは……エノコログサか)
最近ではその名を猫じゃらしに取って変わられ、世間ではほぼ忘れ去られている草、エノコログサ。それもおもちゃではなく、あきらかにどこかから引き抜いてきた純度100%の天然もの。それらを両手の指の間に隙間なく挟み、その姿は
女の子は、猫が逃げない範囲でゆっくりと近づき、両手のエノコログサを小さく、短く振っている。妙ちきりんで不格好、それでいて狩人のように、視線は猫を掴んで離さない。彼女の眼にはあの猫が、
女の子は「にゃーん、にゃーん」とふてぶてしい猫、略してぶて猫の注意を猫じゃらしへと誘導する。ぶて猫もそれに気が付いたのか、揺れるエノコログサを一瞥した。
すると、さっきまでの香箱座りをやめ、女の子に向き合うように振り向いたではないか。
俺たちは同時に
一度も顔を合わせたことがないのに、同じ映画をみているような一体感がそこにはあり、いまかいまかと次のシーンを待つようにぶて猫を観察する。
ぶて猫は石垣のくぼみに前足を乗せ前傾し、溜め込んだ力が今にも爆発しそうな勢いで、お尻をバネのように高く持ち上げる。
ダッ。
飛んだ。
「へぐっ」
ゴチン。
シュタ。
気付けばぶて猫は向かいの石垣まで飛び移り、そのまますたすたとどこかへ去って行ってしまった。
ぶて猫が飛び、迎える女の子の両手を見事にすり抜け、顔面を蹴り上げて向かいの石垣まで飛び移る。それは、彼女の熱烈な想いに答えるアイドルのファンサービスとは間違っても言えず、ただただ『足場に都合のいい女』として使われているだけであった。
俺はその一連の動作が、切り取られたフィルム映像を観ているようで、思わず魅入ってしまった。
「だ、大丈夫か!」
俺は正気に戻ると急いで女の子の前に駆け寄り、そっと身体を抱えあげる。受け身を取れず、ぶて猫に踏みつけられた勢いそのまま、コンクリートの道路に頭を打ち付けたらしい。
(急いで処置しないと、最悪救急車か、それとも……)
「う、ううん……」と微かに声が聞こえ、意識があることに一安心すると同時に俺は声を掛け続けた。
「どこか痛むところはないか、ここがどこか分かるか、ちゃんと俺がみえるか?」
女の子はゆっくりと空に手をかざすと、掴めなかった軌跡を手繰るように彷徨わせ、そのまま額をなぞり言った。
「肉球、やわらかかった……」
へへへっ、と頬をとろけさせ、夢心地の表情をしたまま夢の世界へと落ちていく。俺は、
◇
一限開始のチャイムが鳴ってどれくらい経っただろう。
入学して早々一限をぶっちするなんて、悪になったものだ。
保健室には男と女が二人きり。
ベットに横たわる無垢な少女、肌着の透けた制服姿に欲情を掻き立てられ、送りオオカミよろしく、覆いかぶさるような黒い影がカーテンに映し出され、純白のシーツは少女の鮮血と涙で染められる。
気が付いた時には既に遅い。
女は男の毒牙にかかり、羞恥を握られ、学園生活を男の欲望を満たすためだけに使われ……。
「すやすや……ふふふっ、ねこ、肉球……」
「まだ言ってる」
そんな美少女ゲームの濡れ場展開になる気配は微塵もなく、俺は彼女の呟く寝言、というか猫言を何度も聞かされ、そろそろ放置しようかと思案していた。
彼女が猫に昇天させられたあと、へんてこな猫耳と猫尻尾を取り外し、保健室のベットまで背負って運ぶと、養護教諭は毎度のこと不在であり、来るまでの間待つことに。
幸い、氷袋のありかは覚えていたのでその一つを拝借し、彼女の眠る枕にタオルと共に敷いてやった。少しすれば目が覚めるかと思ったものの、幸せそうにぶて猫に踏みつけられた夢を見ているそうで、なかなか目を覚ましてくれない。
「これ、どうしよう」
俺は手にもった猫耳と猫尻尾、そしてエノコログサの束を見た。
流石にこれを置いたまま、もし誰かが入ってきてしまっては彼女の尊厳にかかわる。とはいえ、勝手にスクールバックを開けてしまうというのは、どうにも憚られた。
再び彼女に視線を移す。
灰色がかった長い髪に長く伸びたまつげ。とがりのない柔らかそうな肌は、触れれば崩れてしまいそうなほど
(セーラー服に赤いスカーフってことは、中等部の二年生か。結花と知り合いかもしれないな)
最悪、猫グッツを一旦持ち帰った後、結花に事情を説明して彼女に返してもらうようお願いしようかと考えた時、不意に視線を感じた。
顔を上げると、彼女はその大きな目をぱっちりと見開き、俺と、俺の手にあるブツを交互に見た。
そして
「変質者?」
「違う!」
あろうことか、恩人に対してあまりの侮辱。
猫耳と猫尻尾とエノコログサを持った男子高校生が健全とは言えないが、そのブツの持主に言われるのは納得がいかない。
「まあいいや、とりあえず大丈夫そうで」
彼女は「あなたが私を」と言ったあと、俺を制服姿を見て「先輩が、私を運んでくれたんですか?」と言い直した。
「そうだ。頭を打ったのは覚えてるか」
「はい……幸せでした」とファーストキスを思い出す少女漫画のヒロインのように、また笑顔をこぼす。貰ったものは手痛い肉球だというのに。
「もしまだ具合が悪いならそこで寝ているように。氷袋の変えはこの冷凍庫の中にあるから。あと、これな」
俺は所在に困っていた猫グッツ一式を手渡すと、校舎全体に一限終了を知らせるチャイムが響き渡る。
「お、ちょうどいい時間だったみたいだな。俺はこのまま戻るけど、もう少し休んでいけよ。もし具合が悪くなったら早退すればいいし」
「……ありがとう、ございます」
彼女はあらたまって向き直り、深々と頭を下げた。
感謝を伝える時の、少しぎこちのない仕草が結花と重なり、ちょっと似てるかもと懐かしい気持ちになる。
(お、そうだ)
「なあ、時間がある時でいいんだけど、もしよかったらこのポスターをクラスのどこかに掲示してくれないか」
「……これは?」
「俺が入部している、いや、入部予定の部活のポスターだ。今は部員を集めてるんだけど、なかなかどうして上手くいってなくてな」
「なんていう、部活ですか」
「それは」と説明しようとして、不意に時計に目がとまる。時刻は二限の開始時刻五分前を指していた。
「すまん、そろそろ時間だ」
「じゃ、よろしく」と短く別れの言葉を残し、俺は急いで教室に向かって走っていった。
結局、養護教諭に走っているところを注意され、二限の開始時刻にも間に合わず、授業中の教室に入っていくという気まずさを味わう羽目になるのだった。
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